三話 反抗期にきく薬
なだめにかかる私に、ダークは「彼の方もそうだといいんだけどね」と零した。
「番犬君の件もあるから不安だよ。このまま連れ帰って、誰の目にも止まらないように俺の屋敷へ閉じ込めたい」
「そんなことをしたら、ヴィクトリア女王陛下にお手紙を送って叱っていただくから。今日はいらっしゃらなくて残念だわ」
私とダークの恋路を応援(というよりは、野次馬根性で鑑賞)していた女王にも招待状は送ったが、今朝になって欠席の連絡が届いた。
手紙を持ってきた従者の話では、風邪で起き上がれないそうだ。
「女王陛下は、アリスの一世一代の晴れ姿を見られなくて悔しいと、涙を滝のように流して枕を濡らしているそうだよ」
「たかが婚約披露なのに……。後でお見舞いにうかがいましょう」
日取りを相談していたら、視界の端で黄色の塊が二つ揺れた。
長椅子の背もたれに男の子たちが顎を乗せて、水色のジト目でこちらを見ている。
「ダム、ディー。姿が見えないと思ったらそんなところにいたのね」
彼らは、私の護衛を務める子どもたち。
兄の方はダム・トゥイードル。弟の方はディー・トゥイードル。
くるんと丸まった髪がトレードマークの双子だ。
今日のためにあつらえたサロペットはセレモニー感漂うデザインで、あたかも小学校の入学式みたいである。
どこに出しても自慢の可愛らしさなのだけど、数日前からご機嫌斜めで、今日も柔らかな頬をリスみたいに膨らませている。
彼らを溺愛するダークは、それにすら破顔した。
「愛する双子たち、パーティーはどうかな?」
「「……」」
二人は無言で長椅子を離れ、とととっと走ってきて私のドレスに顔を埋めた。
小さな手で必死に捕まっているせいで、レース生地が引きつれそうだ。
「何かあったの?」
「「だめ」」
「え?」
顔を上げた双子は、大きな瞳に涙をたっぷり溜めていた。
「「アリス、婚約しないで」」
「きゃっ」
私はダムに左手を、右手をディーに掴まれて、思いきり引っ張られる。
小柄な子たちだけど、腕力は私の数倍はあるので、ろくに抵抗できない。
「ダム? ディー? いったいどこへ行くの!?」
テラスに出ると、執事服を着た白髪のおじいさんに行く手をはばまれる。
「こんにちは、アリス様。ダム様とディー様も、お元気そうで何よりでございます」
「じいやさん!」
立っていたのは、ナイトレイ伯爵家の家令だった。
彼は、ダークに全幅の信頼を寄せられていて、立ち回りの上手さに定評がある。亀の甲より年の功とはよく言ったもので、私やリーズも一目置く人物だ。
立ち止まった双子は、またもドレスに顔を埋めてしゃべる。
「僕たちはおうちに帰る」
「パーティーはもうおしまい」
「アリス様を困らせてはなりません。お二人は護衛という名の使用人なのですから、己の意思よりも主を優先すべきです」
「「…………いや」」
今にも千切れそうな声がした。強くなる握力に私は戸惑う。
(婚約しないでって、今まで一度だってそんなことは言ったりしなかったのに……)
かける言葉に悩んでいると、ダークもテラスに出てきた。
「じいや、愛する双子を責めないでくれないか」
「いけませんよ、ダーク様。子どもはきちんと叱られなければ、何をしてはいけないのか気づけません。失礼ですが、アリス様は彼らに真っ当な教育を施しておられませんね?」
「語学と算数は教えておりますわ。二人はリデル一家の構成員なので、勉強よりもターゲットを仕留める腕を磨く方に力を入れさせています」
裏社会で生き残るための教育としては、これが最適解のはずだ。
ところが家令は残念そうに首を振った。
「その甲斐あってお二人の戦闘力は並以上でしょう。ですが、このままでは自分の感情に折り合いを付けられず、横暴に力を振るう大人になってしまいます。周りとの軋轢に苦労するのはお二人です。そうならないために、彼らを学校へ行かせてはいかがですか? 寄宿学校であれば、アリス様のお手をわずらわせず常識が身に付きます」
寄宿学校とは全寮制の学校だ。貴族や富裕層の子息が通うイートン校やハロウ校など九つの名門校が有名である。
いきなりの提案に、二人を寮に入れるという選択肢がなかった私は困ってしまった。
「学校は大事だと思います。けれど、ダムとディーがリデル家を離れてやっていけるかどうか……」
「たいていの親も、今のアリス様のように不安を抱えながら学校にやるのです。親鳥が成長した我が子を無理やり巣から出すのと同じですよ。学校は、強き者も弱き者も、賢き者も愚か者もいる、いわば社会の縮図です。少年時代の思い出は、生涯に渡って彼らの人生を支えるでしょう。一生をリデル一家で過ごすお二人だからこそ、視野を広げなければなりません」
その言葉の重みに、背骨の辺りがぎゅっと縮こまった。
私は生まれた時からリデル男爵家で過ごし、父の言うことを聞いて生きてきた。
勉強やマナーは家庭教師から学び、敷地中にある罠の位置や武器の扱い方を覚える日々。
私にとっての世界といえば、屋敷と噴水のある庭、両親と使用人だけ。薔薇が咲き乱れる箱庭で世間知らずな私が幸せだったのは、周りの大人が守ってくれたからだ。
箱庭が壊れてからは――もっと社会について知っておくべきだったと何度も思った。
「それは本当に二人のためになるでしょうか?」
ためらいつつ尋ねた私に、家令はこっくりと頷いた。
「愛あればこその試練です」
「待ってくれ、じいや」
これ以上見ていられないと、ダークが話を遮った。
「双子を寄宿学校に入れるなんて正気を疑うよ。家庭教師を付ければいいじゃないか。彼らはアリスの家族であり護衛でもあるんだ。いなくなったら困るだろう」
「ダーク様は、ダム様とディー様がいなければ、アリス様をお守りできないとおっしゃるのですか? じいやは残念です、まさかナイトレイ伯爵家の当主が、ここまでヘタレだとは……」
「いや、俺だけでもアリスは守れるが……」
白いハンカチを目元に当てて泣き真似をする家令に、ダークは大弱りだ。
私はいまだドレスにしがみつくダムとディーの様子をうかがった。
「ダム、ディー、学校に行ってみない?」
「アリスは僕らがいなくなってもいいの?」
「アリスは僕らを遠くに捨てるの?」
ダムとディーの頬に、黒い模様が浮き上がった。
薔薇の形をしたこれは烙印だ。悪魔が蘇らせた人間に付けるもので、リデル一家は皆、感情が高ぶると同じ印が体のどこかに現われる。
二人はそれだけ怒っているらしい。
ただ、寄宿学校に行くか尋ねただけなのに……。
「反抗期かな」
ダークがぽつりと漏らした。
そういえば、子どもにはそういう時期があるんだった。『アリス』は行き場のない感情を持てあますような性格はしていなかったので、今の今まで思いつかなかった。
「私は、あなたたち二人を遠ざけたくて言っているのではないわ。大切だから提案しているのよ。ダムとディーはどうしたい?」
本音を聞かせてほしいと思って再度問いかけると、双子の手から力が抜けた。
短い眉がしょぼんと下がる。
「どうしてほしいのか分からない」
「どう言えばいいのか分からない」
胸に溜まったもやもやを吐き出すには、双子は語彙不足だった。
言語化できないと人は癇癪を起こしがちになる。それを解消するには、いろいろなことを勉強して自分を知り、人に伝える方法を会得するしかない。
奇しくも私は、そういった教育を二人に施していなかった。
それに、二人も格言めいた言い回しは得意だが、勉強に熱心ではない。
「じいやさんの言う通りね。二人が上手く答えられないのは、気持ちや意思を表現する言葉を知らないせいだわ。学校に行って勉強しましょう。肌に合わなければいつでも戻ってきていいから。それならどう?」
ダムとディーはお互いの顔を見て頷きあった。
「「行く」」
二人を手放すのは私も不安だ。けれど、数年くらい何とかする。
一生をリデル男爵家で過ごす彼らの幸せを守るのが、当主である私の務めだ。
「ダーク、ダムとディーに合いそうな寄宿学校はないかしら?」
「評判がいいのは九つの名門校だ。しかし、そういうところは上流階級の子弟を優先させるので、入学審査で弾かれるだろうね」
「ちょうどよいところがありますよ」
口を出してきたのは、ハンカチを畳んでしれっと普通の調子に戻った家令だ。
「アーク校などいかがでしょう。先日、ナイトレイ伯爵宛てに嘆願の手紙が来ておりました。学校の新しい支配人になってほしいので、ぜひ一度お越しくださいと」
「ふむ。俺が支配人になれば、その伝手で双子を入学させてあげられるかもしれないね」
まさに渡りに船だ。
私は、顎に指をかけて思案するダークにお願いした。
「視察に行くようなら、私たちも連れていってほしいわ。ダムとディーを安心して預けられる学校か確かめたいの。雰囲気が悪いと可哀そうだもの」
我が子にかける気迫が届いたようで、ダークは少し困った風に微笑んだ。
「それでは一緒に行こうか。これを機に、君も子離れしないといけないよ」
「え?」
子離れってどういうことかしら。
考える暇もなく、ダークは軽快に手を打ち鳴らした。
「そうと決まれば旅支度だ。パーティーが終わったら、すぐに準備に取りかかろう」
「お嬢、いつまで休憩してんだ」
主役二人が現れないことにしびれを切らしたジャックがテラスへやってきた。
彼は、今日一番の盛り上がりを見せるダークとここにいるはずのない家令、むっとした表情の双子を順に見て首をひねる。
「で、俺はどいつを斬ればいいんだ?」




