二話 伯爵様の嫉妬
もう一人の主役であるダークが心配そうな顔で立っていた。
たかが婚約披露だというのに、濃青の三つ揃いをフランス製レースでこれでもかと飾り立て、大きなリボンを巻いたトップハットにはサファイヤやダイヤをはめこんでいる。
大英帝国広しといえど、彼ほど派手に着飾れる紳士はいないだろう。
「ナイフを落としてしまっただけよ」
「怪我がなくてよかったよ。プロポーズした思い出の場所を血で汚したくないしね。俺の婚約者が失礼しました」
ダークに微笑まれたゼブラ令嬢は、悔しそうに退散していった。馬のお尻みたいに大きなバッスルを見送りながら、私はダークと踊ったあの日を思い出す。
会場を下見に来て、改めてプロポーズされた私は、ダークへの恋心を強く自覚した。
それまでは自分の感情は二の次だったし、自分が転生していると気づいてからも、誰かに恋をする余裕はなかった。
危険を遠ざけるためならと、好きでもないモブとの結婚を画策していたのだけど……頑なな心は、ダークの一途な想いに突き崩された。
(ダークがそばにいると、私という人間が作り替えられていくみたいだわ)
ダークと一緒だから、私は初めから普通の女の子だったみたいに恋ができるのだ。彼となら、闇や血の気配がしない、温かな陽だまりの中で幸せになれる気がする。
楽しそうに話すダークを見つめていると、彼の向こうの軽食コーナーにいる若い男性が視界に入った。
シルクのジャケットを羽織り、首には濃淡ピンクのストールを巻くという独特なスタイルで、愛らしいラズベリーケーキを受け取っている。
「ミートパイもどうかって? 結構よ。ダイエット中なの」
体格のいいシェフにウインクした彼は、リーズ。私の家族だ。
物知りの頭脳派で、仕事から私生活まで分けへだてなく私の相談に乗ってくれる。
性別は男性だが、話し方や所作は女性のようにしなやかで、男女問わず人を魅了する美しい人だ。
私の視線に気づいたリーズは投げキッスを送ってきた。
笑顔になる私の脇を、黒い影が横切る。
「お嬢、油断するなよ」
忠告していったのは、黒い猫っ毛が特徴の若い執事である。
彼はリデル男爵家で唯一の使用人、ジャックだ。いつも執事服を不良のように着崩しているけれど、今日はきちんと着用して、会場内に異常がないか歩き回っている。
(油断なんてしていなくてよ。いつでもね)
鉄扇を持った手で触れたドレスの下には拳銃がある。パーティーの主役なので、目立つポシェットではなくガーターベルトに通して持ち歩いているのだ。
会話に区切りをつけたダークは、警戒を怠らないジャックを褒めたたえた。
「彼は素晴らしい働き者だね。このパーティーも、彼が積極的に意見を出してくれなければ、ここまでの出来にはならなかっただろう」
会場をとにかく派手にしたいダークに対し、ジャックは「お嬢を見世物にするな」と異論を唱えた。リーズも口を挟んでくれたおかげで、華やかさの中に貴族らしい気品のあるパーティーに落ち着いたのだ。
声に張りがない気がして、私は視線を戻した。
ダークは涼しげな顔をしているけれど元気がないみたい。
招待客はほとんどが彼側のゲストなので、話し疲れてしまったのかもしれない。
「私、少し休みたいわ」
「控室へ行こうか。衣装を変える時間をいただきます。皆様は引き続きお楽しみを」
私とダークは腕を組んで拍手の林を抜けた。
落葉のようにパラパラと肌をかすめる音、音、音……。祝福されているのか、脅されているのか分からなくなる。
控室に入ると音が遮断されて、ようやくほっとできた。
「婚約披露ってこんなに大変なのね。社交の季節でなくて本当によかった」
「俺としては、もっとたくさんの人にアリスを見せびらかしたかったな。君はもう俺のものなんだって。この部屋は少し暑いね」
ダークが窓を開ける。爽やかな風が一気に吹き込んできて、トップハットが落ちた。
とっさに拾いあげた私の目には、床に伸びたダークの影が映る。
頭から、人間にはあるはずのない二本の角が生えていた。
しかし、視線を上げても、サラサラとした銀髪のどこにも突起なんてない。
上手に隠しているのだ。正体を見破られないように。
ダークの正体は悪魔だ。人間の皮を被った――というと語弊があるけれど、人間として出生しながら地獄にルーツを持っている。
角を見えなくすることはできても、影までは消せない。
そのため、大仰に飾り立てた帽子で頭を覆ってカモフラージュしている。服装が過剰装飾なのは、帽子だけが悪目立ちしないように派手にしているからである。
華美なダークに対して、私は赤いバイピングをきかせた黒いティアードドレスと肘まであるグローブ。腰の辺りに赤いリボンと大きな薔薇をあしらっているが、ダークに比べるとシンプルだ。
(『アリス』に過剰装飾の設定はないものね。下手に着飾ったら、ダークは相対的にさらにゴテゴテした服になる仕様だろうし……)
余計な心配をしてしまうのも、私が転生者だからだ。前世でナイトレイ伯爵ルートはプレイしていないけれど、乙女ゲーマーの知識はそれなりに役立っていた。
死亡フラグにすぐ気づけたのも前世で蓄えた知識の賜物だ。
ダークは、受け取った帽子を深く被り直して、私の髪型に注目した。
「今日はアップスタイルなんだね。セットは誰が?」
「リーズにやってもらったわ。彼、手先が器用なの」
ドレスにあう髪型を相談したら、リーズは華やかなヘアスタイルを提案してくれた。
髪をコロネのように巻いてまとめ、赤い薔薇を飾ると、ダークと並んでも見劣りしないパーティーの主役が完成した。
さすが我が家のファッションリーダー。センスがとびきり良い。
鼻高々でいると、ダークは急に不機嫌になった。
「またリーズ君か。彼はいつもアリスを飾り立てているね。しかも万能に」
「私には侍女がいないから彼の手を借りているの。令嬢の装いは大変よ。コルセットでウエストをぎちぎちに締め上げないと入らないドレスを着る時なんて特にね」
「着付けまで手伝っているのか」
ダークは怒ったような顔で私を抱き寄せる。いきなりの抱擁に、私はきょとんとした。
「ダーク?」
「君を、俺以外の男に触らせたくない」
突然の独占欲に、顔がカッと赤くなる。
(触らせたくない、だなんて……)
まるで熱烈に愛し合っている恋人同士みたいだ。
私と彼はまだそんな関係じゃない。けれど、背中に回った腕の強さから伝わってくる。
ダークは本気で私を愛しているんだって。
私は、胸をキュンと鳴らして彼の胸に顔を埋めた。
神様に選ばれたみたいに嬉しい。でも、こんな時は決まって、今すぐどこかに逃げ出したいような、泣き叫びたいような複雑な気持ちになる。
私は本当に素直じゃない。可愛げもない。
こんな私を独り占めしたいなんてダークは変わり者だ。
「心配しないで。リーズは家族よ。私にとっては兄みたいなものだわ」




