一話 パーティーに潜む罠
「──わたくしナイトレイ伯爵家の当主ダーク・アーランド・ナイトレイと、ここにいるアリス・リデル男爵令嬢の婚約を発表いたします」
そう言って、ダークは私の背に触れた。レース仕立ての黒いドレスを着た私は、スカートをつまんでうやうやしくお辞儀をする。
紳士淑女はわっと沸き立って、ホールは歓声と拍手で包まれた。
ここは早秋の風が吹き込むシャロンデイル・ガーデンズ。
その中にあるお城風の催事場で、私たちは婚約披露パーティーを開いていた。
両家と繋がりがあり、なおかつこの時期でもロンドンにいる人々を招待したので、少人数の気軽なものだ。
貴族は貴族院議会がある二月頃にロンドンへ終結し、五月に開かれる王立芸術院の内覧会を合図に本格的な社交シーズンを楽しんで、夏がやってくると領地へ戻る。そして領地でキツネ狩りとクリスマスシーズンを楽しんだらまたロンドンへ入る。
つまり、今はちょうど社交の閑散期なのである。
昼下がりのお茶会をテーマにした会場には、一口サイズのケーキを並べた軽食ブースや色とりどりの花々とバルーンで飾ったベンチ、楽団の演奏に合わせて踊れる舞踏スペースがある。
しかし、集まった招待客はダークに選ばれた私に興味津々で、料理やダンスは後回し。
挨拶が終わってダークと離れた私を、スクラムを組むラグビー選手みたいにズザザッと取り囲んだ。
「ご婚約おめでとうございます、リデル男爵令嬢アリス様。あのナイトレイ伯爵がお相手だなんて驚きましたわ。とてもお似合いですわね」
話しかけてきたのはサロンで何度かお目にかかったことのあるご夫人だ。
噂話のタネにされるのだろうな、と想像しながら私は愛想笑いで対応する。
「ありがとうございます。ナイトレイ伯爵とは、彼が主催したパーティーで不覚にも声をかけられて、たまたま意気投合して、うっかり婚約まで進みました」
「不覚にも、たまたま、うっかり……。ずいぶんと偶然が続いたんですのね」
そうなんです、自分でも驚いています!
思わず大声で言ってしまいそうになったが我慢する。
(だめだめ。貴族令嬢らしからぬ物言いは絶対にだめよ、『アリス』!)
社交の失敗は後を引く。私は、口が勝手にしゃべり出さないように、硬い地面に植えられた花みたいにぐぐっと踏ん張った。
いきなり力んだものだから、ご夫人は私が緊張していると思ったようだ。
あからさまな好奇心を引っ込めて、世間話に移行してくれた。
「ナイトレイ伯爵領はいいところですわよ。自然が豊かで、暮らす人々も朗らかな土地なのです。雪解け水が流れつく湖があって、真夏には海のように水浴もできますの。アリス様は泳いだことはありまして?」
「水浴機械を見たことはありますが、泳いだことはありませんわ」
最近のロンドンでは、海浜リゾートで休暇を過ごすのが流行っている。
産業革命で時間労働制が一般的になった。長時間労働がはびこったため、いつの頃からか、普段はバリバリ働いて、長期休暇を利用して遊行や旅行に出かけるのが、都会人の理想の生き方になっていったのである。
(この世界の海には行ったことがないのよね。転生する前は、海やプールで泳いでいたけれど……)
ぼんやり考えていると、ゼブラ柄のドレスの令嬢が喧嘩腰に問いかけてきた。
「そんなことより、どうやって伯爵に見初められたのか聞きたいわ」
「馴れ初めでしたら先ほどもお話しした通り、彼のお屋敷で開かれたパーティーで……」
「場所の話ではないわ。誰にでもお優しいナイトレイ伯爵が、なぜよりにもよってあなたを選んだのかしら。強盗に襲撃されて一度はイーストエンドに堕ちた少女当主なんて、どう考えても伯爵夫人にはふさわしくないわ!」
私の――リデル男爵家が背負う暗い歴史に突っ込んだ発言に、取り巻いていた人々は真っ青になった。噂好きの夫人も、慌てて「お祝いの場にそんな話を持ち込むんじゃありません」とゼブラ令嬢をたしなめる。
ふと視線を横に向けると、壁際にいる令嬢たちが親の仇のように私を睨んでいた。
まあ、嫉妬ですよね。分かります。
私が婚約した相手は、あなたたちが大好きなナイトレイ伯爵ですものね。
積極的に見下していじめてきた相手が、憧れの伯爵にシンデレラのごとく見出されたら、そりゃあお腹の底が煮えたぎってもおかしくない。
でも私は、この程度の嫌がらせで寝込むような気弱ではない。
「誤解されているようですが、私はナイトレイ伯爵に選ばれたのではありません。自分で彼を選んだのですわ」
あくまで冷静に、そして毒々しく微笑んであげる。
喧嘩を買われたゼブラ令嬢は、サバンナの獣のように鼻息を荒くした。
「選んだってどういうことかしら」
「多くの令嬢は、お皿に載せられたケーキのように男性に選ばれる存在かもしれません。けれど私は違います。ナイトレイ伯爵と婚約したのは、彼をリデル男爵家に迎えるにふさわしい男性だと認めたからに他なりませんわ」
「信じられない。ナイトレイ伯爵に、格下のリデル男爵家へ婿に入れと言うつもり!?」
「そういうことになりますね。勘違いなさらないでいただきたいのですが、どちらの爵位を存続させるかはまだ決まっておりませんわ」
私が他家に嫁入りすれば、リデル男爵家は断絶する。
他にやり手のいない家業をしていることもあり、私には跡を継ぐ子どもを、できれば爵位を継げる男の子を生み育てる責任がある。
ちなみに、ダークもナイトレイ伯爵家で唯一の直系血族だ。
親族はいるが揃いも揃って権力や財産にがめつく、伯爵の座に就いたなら重税を課して領民を苦しめかねない。ナイトレイ伯爵領の領民は、一刻も早くダークに花嫁を迎えてもらい、跡継ぎをもうけてほしいと思っているだろう。
つまり、私とダークは〝婚約〟こそお披露目できても、〝結婚〟までは駒を進められない。現実は、チェスよりも複雑怪奇なルールに縛られているのだ。
「あなた生意気だわ。ナイトレイ伯爵様を何だと思っているの!」
ゼブラ令嬢はむかっ腹が立った様子で、脇のテーブルに手をドンとつく。
その拍子に、お皿に置いていたナイフが跳ね上がった。
鋭い刃先を私の方に向けて、すごい速さで飛んでくる。
(まさか、死亡フラグを立てちゃった!?)
大英帝国の悪を粛正する一家の頭目である私には、とにかく危険が多い。
ならず者に命を狙われているだけでなく、道を歩けば馬車が向かってくるし、お茶会に行けば池に落とされる。それもこれも、私のキャラクター性のなせる業だ。
前世でしがない会社員をしていた私は、トラックに轢かれて乙女ゲーム『悪役アリス』シリーズの中へ転生した。
このゲーム、主人公のアリスが死にまくると有名で、年間でもっともプレイヤーを死に至らしめたゲームに贈られる『死にゲーオブザイヤー』を受賞している。
そういうわけで、アリスに転生した私の日常は死と隣り合わせ。
しかし案ずることはない。十六年も危険にさらされていれば警戒も超一流である。
「見きった!」
手に持っていた扇でナイフを叩き落とす。ナイフは大理石の床に落ちてカラカラと転がり、思わぬ事故を引き起こしたゼブラ令嬢と招待客たちを驚かせた。
(ふふん。私はちょっとやそっとではビクともしなくてよ)
こういう事態が起こると見越して、鋼鉄製の軸で作った扇を準備しておいたのだ。
今の私は『鬼に金棒』ならぬ『悪役令嬢に鉄扇』である。字面からして強い。
一人で悦に入っていると、後ろから声をかけられた。
「アリス、何かあったのかい?」




