六話 本当に愛しているなら
否定したのは公爵夫人だ。
立ち上がった彼女は、ツカツカと証言台に歩いてきたが、警備員に行く手をさえぎられる。
それでも諦めずに、警備員の脇から顔を出して訴えた。
「わたくしは、殺人事件なんて起こしておりませんし、旦那様を脅してもおりません。その子は、旦那様とケイトさんの子どもですが、心から愛していますのよ。面倒だって、ずっとわたくしが見ているのです。さ、こちらに渡してくださいな。そろそろミルクの時間ですの」
優しげな表情に法廷中が騙されそうになる。
公爵夫人のおっとりした物腰は、ふしぎと周囲を魅了するのだ。
だが、本性を見た私がいる以上、そうは問屋が卸さない。
「嫌です。私は、スージー様の赤ちゃんへの愛が、虚実のものだと証明します。これを使って」
法壇に歩み寄った私は、鏡の世界で拾った指輪をトレヴァーに渡した。
「男性サイズの指輪ですね。これは?」
「被害者が経営していた宝飾店で作られたものです。さまざまな宝石を横並べにして、その頭文字をとってメッセージを作る、アクロスティックという手法のデザインがなされています。シャロンデイル公爵は、これを被害者から受け取るために、イーストエンドにいたのです。そうですね、公爵殿下?」
公爵はコクリと頷いた。
トレヴァーは、指輪をさまざまな角度から観察して、しまいに分からないといった表情になる。
「これがなぜ、公爵夫人が公爵のお子を愛していない証拠になるのですか?」
「そうでしてよ、アリス様。たかが指輪に、愛の否定はできませんでしょう?」
うふふと笑う公爵夫人に、私は真顔で言い返した。
「それが、この指輪だけはできるのですわ。スージー様にお尋ねします。本当に愛しているなら、赤ちゃんの名前を言えますよね?」
「なまえ……?」
公爵夫人はきょとんとした。私は、重ねて問いかける。
「ええ。出会ってからこれまで、おくるみを抱いたスージー様とは、何度もお会いしてきましたが、一度もこの子に呼びかけるのを聞いたことがありません。愛していると言いきるくらいですから、お名前だって当然ご存じのはずですよね?」
トレヴァーや陪審員が注目するなか、公爵夫人の目が泳いだ。
「あ、あらあら、わたくしったら! うっかり子どもの名前を確かめるのを忘れていたわ。忙しいのでつい後回しにしてしまったのです。赤ちゃんは、短時間で寝たり起きたりするし、こまめにミルクをあげなくてはいけないし、おむつも換えなければならないし、持ち歩いてご機嫌をとらないと、すぐに泣いてしまいますのよ。そんな余裕はありませんでしたの。皆さんもお分かりになりますでしょう?」
法廷の反応が悪かったので、公爵夫人はうろたえた。
「どうして理解してくださらないの……」
「共感できないからですわ。スージー様はご存じなかったかもしれませんが、人間は、どんなに忙しくても愛する人の名前を呼ぶものなんです。育てていた赤ちゃんの名前をご存じない、ということでよろしいですか?」
「だったら……、だったらなんだって言うのです! アリス様だって、その子の名前なんか知らないでしょうに!」




