五話 鼻にツンとくる救助信号
とつぜんの暴露に法廷がどよめいた。
陪審員が混乱するなか、床に座ったままの公爵夫人は、ほつれた髪を直しもせずに瞬きした。
「何をおっしゃっているの、旦那様……。わたくしが切り裂きジャック事件の真犯人だなんて、冗談にもほどがありますわ。お集まりの皆さま、よく考えてくださいませ。わたくしが、こんなむごい事件を起こすように見えまして?」
虫も殺さないような公爵夫人に、法廷は同情的だ。
しかし、公爵の態度は頑として変わらなかった。
「真実は、リデル男爵家の当主が解き明かしてくれる。アリス嬢、頼めるかな」
「はい!」
呼ばれた私は、赤ちゃんを抱えて、ダークと共に被告人席のそばへと移動した。
ジャックが「お嬢……」と溜め息をもらす。
再会に泣きたくなるけれど、彼を抱きしめるのは無罪を勝ち取ってからでいい。
私は、法壇の高いところにいるトレヴァーに、片足を引いて腰を落とすお辞儀をした。
「開廷時刻に間に合わず、申し訳ございませんでした。船舶事故に巻き込まれて、出廷が遅れたのです。私は、被告人のジャックが仕えているリデル男爵家の当主、アリス・リデルと申します。ここでの証言に、いっさいの嘘がないことを誓います!」
声高に宣誓する。
隠されていた真実を暴くのは、ここからだ。
「まずは、ジャックの誤認逮捕について追及したいと思います。事件が起きた翌日に、ジャックは重要参考人として警察に連行されました。その時点では、被害者の身元は不明とされていましたが、のちにケイト・エドウッドという宝飾店の経営者だと分かっています。彼女は、シャロンデイル公爵と身分違いの恋人で、公爵から出資を受けていました。その事実を、警察は伏せていたのです。そうですね、ドードー警部」
「ふ、伏せていたわけでは……」
「一般的に、殺人事件が起こった場合、一番に疑われるのは第一発見者です。今回の件では、シャロンデイル公爵がその人に当たります。警察は、それもスルーしてジャックを容疑者へと格上げし、真犯人であるスージー様は野放しにされてしまいました」
私は、腕に抱いた赤ちゃんの様子をうかがう。
幸いにもご機嫌は持ち直したようで、泣き顔から一転して可愛らしい笑顔を見せてくれた。
「被害者と公爵の間には、この子が生まれていました。犯行当夜、公爵は被害者と酒場で会っており、赤ちゃんとも対面していましたが、その帰りに犯人であるスージー様に襲われたのです。それ以降、赤ちゃんを人質に取られていたので、公爵は真犯人を告発できなかったのですわ。何も言えない公爵が助けを求めて出したのが、先ほどのタルトのような胡椒のサインでした」
一個のタルトで、法廷中が匂いに包まれたことから分かる通り、香辛料の威力は絶大だ。
強すぎる香りは防犯ブザーのように働いて、本人が騒がなくても周囲に異変をしらせた。
「公爵は、大量の胡椒を料理に使わせることで、公爵家の異常を発信したのです。貴族は香辛料をよく使うものですが、公爵家ではお菓子に使う量も尋常ではありませんでした。事件以前の公爵家で、胡椒の匂いがしなかったことは、ナイトレイ伯爵が記憶しています」
「アリス嬢の推理の通りだ。わたしは、キッチンメイドに胡椒をたくさん使うように命じたんだ。スージーには、胡椒が好きになったと嘘をついてね」
公爵の思惑通り、胡椒の香りにうんざりした使用人が屋敷を去り、異常を感じた周囲は噂しはじめた。
――シャロンデイル公爵家は、なにかがおかしいと。
私の証言を、陪審員はガリガリと音を立てながら書きとめていく。
「スージー様は、被害者を殺して赤ちゃんを人質にし、殺害を黙っているよう公爵に命じたのです。逆らえなかった公爵は、壁にミスリードをさそう犯行声明を残し、酒場で見かけただけのジャックを犯人だと証言した。それに騙されたドードー警部が、ジャックを逮捕して裁判に持ち込んだ。これが『切り裂きジャック事件』の全貌なのですわ」
「嘘をおっしゃらないで!」




