四話 くしゃみは生還の証
実感に目を潤ませていると、柵をなぎ倒してダムとディーが抱きついてきた。
「「アリス、おかえりなさい!」」
「ただいま、みんな……。心配をかけてごめんなさい」
私が二人の背を交互に撫でていると、鼻の奥がむずむずとした。
静粛な場なので、なんとか我慢しようとしたが、刺激的な香りのまえでは無駄なあがきだった。
「はっ、はっ、はっくしゅん!」
盛大にくしゃみをすると、法廷の真ん中でクスリと笑い声が漏れた。
「――待っていたよ、アリス」
近づいてきたダークは、手を差し出して私を立ち上がらせてくれた。
「胡椒のタルトがきいたようだね」
「おかげで出るタイミングを間違えずに済んだわ。でも……。くしゅん、くしゅん、くっしゅん! くしゃみが止まらないわ。ヒスイ殿、タルトにカバーをかけてくださる?」
「ガッテンダ」
ヒスイは大皿にカバーをかけて、匂いが漏れないように入念に布で巻いた。
新顔の登場に法廷はざわついているが、公爵夫人が最後尾に座っていたこともあり、私は出入り口から駆け込んできたと思われたようだ。
(鏡の世界から飛び出してきたとは、誰も思わないわよね)
腕の中の赤ちゃんは元気に泣き続けている。
かたわらに尻もちをついていた公爵夫人は、オロオロした様子で腕を伸ばしてきた。
「か、返して……。私の子どもを、返しなさいっ!」
「嫌です。このお子様は、スージー様の子どもではなく、シャロンデイル公爵殿下の子どもですから」
きっぱり告げて立ち上がった私は、公爵のそばへと急いだ。
辛そうな表情で口を閉ざしていた彼に、赤ちゃんの姿を見せて無事だと伝える。
「殿下のお子様は、私がこの手で守ります。もう、切り裂きジャック事件の真実について話して大丈夫ですわ。私たちも警察も法律も、何もかもが殿下の味方です」
「だが、私は……。しゃべれないんだ」
「それも分かっています。悪魔にかけられた術は、私が解きます」
目を閉じて意識を集中する。
脳裏に三日月型の紋章を思い描くと、ダークに烙印を焼き付けられた胸元が、じわりと熱くなった。
(――どうか、シャロンデイル公爵の本音を解き放って――)
胸元にある烙印から、光の帯が伸びて私の指先へと絡みつく。
その指で公爵の喉元をなでると、肌に鏡の悪魔の紋章が浮かび上がって、ぱっと消え去った。
信じられないような顔で喉元を撫でていた公爵は、ほっとした表情になる。
「ありがとう、アリス嬢。これで安心して罪を告白できる」
そして証言台に歩いていった。片手をあげて「嘘偽りなく全てを話す」と宣誓する。
「ジャックの目撃証言について、わたしから正しておきたい。警察に話したように、彼の姿を現場近くで目撃したのは事実だ。だが、彼は被害者ケイトを殺していない。殺したのは、私の妻のスージーだ!」




