二話 タルトを上手に切り分ける最適で最善の方法
アリスが船舶事故にあって、鏡の向こうに迷い込んだことは黙っておいた。
初公判で緊張しているジャックを動揺させても、ダークに利はない。
ジャックの気持ちが振り切れて、人前で烙印の能力を発露させるようなことになれば、二度と元の生活に戻れなくなる。
「ここでの発言に、嘘偽りがないことを神に誓う」
片手を掲げて宣誓したダークは、さっそくジャックの弁護をはじめた。
「被告人ジャックは、事件当夜に現場付近を歩いていました。働いていた酒場が同地区にあり、リデル男爵邸へ帰る途中だったのです。しかしながら、彼には被害者を殺す動機はなく、また犯人と示す証拠もない。彼の無罪を主張します」
すると、ドードー警部は、長い首をこれでもかと伸ばして反論した。
「異議あり。現場に残されていた犯行声明に『ジャック』という署名がありました。被告は拘留中に脱獄も図っています。このことからも、彼が凶悪犯だということは疑いようがないですな。切り裂きジャック事件の犯人は、そのジャックに違いない!」
「ふざけんな! 殺人現場に自分の名前を残す馬鹿がいるかよ!」
「ジャック君、落ち着きたまえ。法廷で冷静さを欠いてはならない。印象が悪くなるだけだからね」
いさめられたジャックは、チラリと陪審員たちをうかがった。
審理に使うため、気になった言葉を手元の黒板にチョークで書きつけていく。
チョークが削られるカンカンという音を聞いていると、頭のなかまで白く汚れてしまいそうだ。
ダークは、ステッキを床について、検察側を眺めた。
「ドードー警部。貴方は常日頃から無駄を嫌っている。その姿勢はご立派ですが、今回の捜査には悪い影響を及ぼしました。都合のいい証言があったので、内容を精査せずに手近にいたジャックを逮捕してしまったのです。一見、事件は解決したように見えますが、真犯人は野放しにされてしまった。切り裂きジャックは今頃、どこかの裁判所の傍聴席で、悠々と足を組んでいることでしょう」
「言いがかりもほどほどにしていただきたいですな。調査で得た情報のすべてが、そのジャックこそ『切り裂きジャック』本人だと示していました。真犯人だと確信しなければ、重要参考人から容疑者に引き上げたりしません」
「貴方がつかまされた情報が、真犯人に流されたものだったとしたら?」
「なんですと……」
つぶらな目をしかめて、ドードー警部は口ごもった。
ダークは、手にしたステッキをコンコンと床に打ちつけ、傍聴席の後ろに控えさせていたヒスイを呼ぶ。
「時間を惜しんで結論を急ぎすぎるから、大切なことを見落とすのです。一度、甘いものでも食べて冷静になりましょう。タルトはいかがですか?」
ヒスイに運ばせた大皿のカバーを外すと、胡椒の匂いが法廷に放たれた。
皿にのっているのは何の変哲もないタルトだが、スパイスを使いすぎである。
香辛料の香りは、少しなら食欲をそそっても過剰であれば公害だ。
法廷に集った人々は、鼻をつまんだり目をしばしばさせたりしている。
リーズは、ハンカチで双子の口元をおおって、ダークを非難した。
「何て匂いなの。胡椒をきかせすぎだわ、伯爵」
「これがシャロンデイル公爵家風なんだよ。そうですね、公爵殿下?」
傍聴席にいた公爵は、何も言わずにダークを見つめた。
隣に座っていた公爵夫人の腕のなかで、それまで静かだった赤ちゃんがぐずり始める。
「あらあら、困ったこと。旦那様、周りの迷惑になるので後ろに移動しますわね」
公爵夫人は、傍聴席の最後尾へと移動して、廊下に出る扉のまんまえに座った。
ダークは、彼女の移動を見届けたのちに、不可解そうな顔をしているトレヴァーやドードー警部、陪審員を順ぐりに眺めていった。
「タルトを上手に切り分けるには、何人で食べるか知っておかなければなりません。事件も同じです。重要な人物が一人足りていないことに、我々は気づかなければならなかったのです――」
コツン。
床についたステッキの音が、静まった法廷に響きわたった。




