一話 第五法廷の幕が開く
「ただいまより『切り裂きジャック』事件の裁判を執り行う」
オールドウィッチにある王立裁判所、第五法廷でジャックの裁判は幕を開けた。
五十以上の人が入る大部屋で、最奥の壁にはヴィクトリア女王の肖像画を中心に、歴代の最高裁判長の絵が飾られている。
額縁を背にする形で、裁判官たちは飴色の法壇に座っていた。
真ん中に座る本件の裁判長は、ビル・トレヴァー判事だ。
法壇の左右には、老若男女をとりまぜた十二名の陪審員が座っている。
たとえ裁判長が有罪と確信しても、彼らの同意なくして判決はくだされない。
判事が法廷を見渡せるように、他の座席は低い位置にある。
証言台は判事の真向かいに設置されている。
被告人席は向かって右手側に、検察席は左手側にあり、それぞれ調書や証拠品をのせるテーブルと椅子が置かれている。
大部屋の出入り口付近は傍聴席になっていて、座席の前部分にある関係者席とは柵で区切られている。
被告人の弁護人は、被告人席のテーブルにつくのが習わしだ。
だが、ジャックの弁護人は関係者席にいた。
トレヴァーによって五つ確保された椅子には、大きなリボンを結わえた黒いトップハットと黒いマントでめかし込んだナイトレイ伯爵を筆頭に、リーズとトゥイードルズ兄弟が緊張した面持ちで座っていた。
残る一つは空席だ。
傍聴席は、センセーショナルな殺人事件に興味を持った多数の市民で埋まっていた。
ペンとメモ帳を持って開廷を待っているのは新聞記者だろう。
時代遅れの古着を身につけた野次馬のような男女もいる。
その中に、グレーの三つ揃いを着たシャロンデイル公爵と、小花柄のおくるみを抱いた公爵夫人もいた。
「被告、入廷」
トレヴァーの合図で、手錠をかけられたジャックが法廷に現われた。連行されたときと同じ執事服だが、心労からか、やつれて頬がこけてしまっている。
表情も暗く、これから地獄に落とされるような悲痛な雰囲気をただよわせていた。
ジャックが被告人席に立つと、検察側にいるドードー警部は、カチャリと音を立てて懐中時計を確認した。
「開廷時刻を二分三十秒もオーバーしておりますな。ジャックの有罪は決まったようなものです。無駄な時間を費やして裁判をする必要はありません」
「静粛に!」
カンカンとガベルを打ち鳴らしたトレヴァーは、ジャックに視線を落とした。
「被告人。あなたには沈黙する権利がある。質疑応答を拒む権利がある。意見を陳述する権利がある。ここでの証言は、被告人に有利か不利かにかかわらず、有用な証拠とする。誰に何を言われても、神に誓って偽証はしないように。分かりましたね」
ていねいに裁判のルールを教えてから、手元の訴状を読み上げる。
「被告は、七月十五日の真夜中、イーストエンドのホワイトチャペル地区の路地裏において、シャロンデイル宝飾店を経営するケイト・エドウッドを、故意に刃物で刺し死に至らしめた。検察側からは、殺人罪で極刑が求められている――。それでは冒頭陳述を始める。被告の弁護人は、前へ」
「俺が行こう」
立ち上がったのはダークだった。目に宝石がはまった白馬のステッキをついて近づいてくる彼を、ジャックは敵愾心をむき出しにして睨みつける。
「そう怖い顔をしないでくれ」
ダークは、ジャックにだけ聞こえる声で言う。
「俺は、アリスの代理だよ。彼女は、そう……少し事情があって遅れているんだ。それまで我慢してほしい」
「お嬢も来るのか……」




