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【翻訳英語版③巻発売】悪役アリス  作者: 来栖千依
第二章 対決は過剰装飾《おかし》な伯爵と

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五話 キスは♡をあばくもの


 言葉をさえぎった伯爵は、うんざりした顔で私の向かいに座った。


「家名で呼ばれるのが嫌いなんだ。俺はダーク・アーランド・ナイトレイ。たまたま伯爵家に生まれて後をいだだけの、えらくもなければ威厳いげんもない男さ。どうぞ『ダーク』とお呼びください、レディ」


 伯爵家は、男爵家よりも上位に位置する。

 下位にあたる者がファーストネーム呼びするのは異例だが、当の本人が求めるなら従うべきだろう。

 私は、気を取りなおして伯爵――ダークに話しかける。


「ダークは、なぜウエイターに変装してらしたの?」

「ちょっとしたお遊びだよ。招待状の最後に追伸があっただろう? 『主催者は巧妙こうみょうに変装して会場におります。見つけた方にはプレゼントを進呈しんてい!』って」


「招待状にそんなメッセージはありませんでしたわよ?」

「たしかに書いたよ。『《《あぶり出し》》』で」

「あぶり出しっ?」


 驚きのあまり、私の声は威勢いせいよく裏返った。


「なんてことをしたの! それでは誰にも気づいてもらえないでしょう!?」


 強い口調で言うと、ダークは「おや?」と首を傾げた。


「君なら気づくと思ったのに。炎の使い手の執事がいるんだろう?」

「っ!」


 背筋がひゅんと冷えた。

 ダークのそれは、ジャックが炎の烙印を持つ『悪魔の子(スティグマータ)』だと知っている口ぶりだ。


「……あなたは、私たちが何者か、知っているの?」


 震える声でたずねると、ダークは悠々と足を組みなおした。


「知らない者はいないさ。男爵家を再興さいこうした少女当主は有名だからね。もっとも、身内に悪魔の子(スティグマータ)を抱えているとは、最近まで知らなかったが……」

「私の元に炎の使い手がいることは、誰から聞いたのかしら?」

「きみが、その情報を明かした人物からさ」

「女王陛下……!」


 ヴィクトリア女王には、『アリス』が悪魔あくまに助けられたこと、同じような境遇きょうぐうの子どもたちを集めてリデル家を再興すること、その全てを打ち明けていた。


 有力な味方を作るために必要なことだったが、こんな風に逆手にとられる日が来るとは思いもしなかった。

 秘密がれてしまったのなら、取るべき態度は決まっている。


「たとえ悪魔の子(スティグマータ)でも、私にとっては大切な家族に変わりありません。あなたが私たちに手を出したり、私たちについて言いふらしたりするつもりなら、全力で排除します」


 私は、まっすぐに姿勢を正し、毅然きぜんとした態度に本気をにじませた。


 『悪魔の子(スティグマータ)』が実際に存在していると明るみになれば、リデル男爵家みんなの身が危ない。

 妖精や幽霊とは異なり、悪魔あくまは国教会上でのタブーなのだ。


「女王陛下があなたにどこまで話されたのかは存じませんが、どうかこの件は、このままお忘れになってください」

「放っておけないよ。君のような令嬢には、黒幕として大英帝国の平和を守っていくよりも、幸せな人生があっていいはずだ」


「余計なお世話と申しておりますのよ」

「そういわれてもね……」


 ダークは、ふと思いついた顔で立ちあがり、テーブルを迂回うかいして私の真横に腰かけた。


「メッセージに気づいていなかったとしても、君は俺の正体をあばいた。プレゼントをあげるよ」

「いりません! 変装は、あなたが勝手に解いたのでしょう!?」

「解かされたのさ。君があまりに魅力的だったから」


 ダークは、私に腕を回して頬をほころばせる。


(どうして、このタイミングで笑うのよ!)


 理解しがたい人だ。くせ者と言っていい。

 けれど、間近で見る瞳は、夜空のように綺麗きれいだった。


 んだ虹彩には、きらりと光る星ではなく、戸惑う『アリス』の姿があった。


(ゲーム機の画面じゃなく、相手の瞳の中に私が映ってる……)


 現実でありながら、非現実でもあるこの世界で、私は不安そうな顔をしていた。理想とかけ離れた、とても『アリス』らしくない表情で。


 苛立ってそっぽを向いた私に、ダークが甘く呼びかける。


「怖がらずに試してごらんよ。夜の魔法がとけてるんだ。きっと君を夢中にしてみせるよ」

「いらないって言っているでしょう! そもそもプレゼントが何なのかも知らないんだから、安易に受け取るなんてこと――」

「アリス、こちらの肩に何か付いてるよ?」

「えっ?」


 振り向いた私の唇に、ダークが吸い付いた。


 ――だまされた!


 そう思った瞬間、私のむねのおくが、地面に叩きつけられた火薬玉みたいにパチンとはじけとんだ。


 弾けた拍子に心が開いて、隠していたさまざまな感情が飛び出してくる。


(お父さまがいた頃に戻りたい。みんながいなくなって悲しい。ジャックたちを守るために、しっかりしなくちゃ)


 それらが散らばった心の底には、ひとつの感情が残っていた。


(寂しい、寂しい、さびしい――)


 これは『アリス』がずっと抱いてきた気持ちだった。

 そして、前世の『私』が見ない振りをしてきた、一人ぼっちゆえの弱さでもある。


 自分の本心に気づかされた私は、ほろりと涙を零しながらダークのそでを握った。

 すると、彼は名残惜なごりおしそうに唇を離した。


「これがプレゼントだったんだけど……すまない。まさか泣かれるとは」

「あなた、私の心をのぞいたの?」

「どうかな。そうだと言ったら、きみは信じる?」


 信じがたい。けれど、私は心をあばかれた。

 ダークの、魔法のキスで――。


「信じたくないわ。だから、私は、あなたが何をしたのか、あなたが何者なのか、きちんと知りたい――」


 どうしてダークは、悪魔や悪魔の子(スティグマータ)の存在をすんなりと受け入れているのだろう。

 女王のすすめがあったとはいえ、『アリス』に接近するのはなぜなのだろう。


 これ以上は危ないと本能が警告けいこくしているのに、私はダークという人間に興味を持ってしまった。


 じっと見つめると、ダークから照れくさそうに見つめ返される。


「それは光栄だね。俺も君を知りたいと思っていた――」

「?」


 ダークがふいに窓を仰ぐ。それと同時に、ビシッと大きな裂音がひびいた。

 大きなヒビが走ったガラスの向こうには、黒い人影がある。


「お嬢から離れろっ!」



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