五話 キスは♡をあばくもの
言葉をさえぎった伯爵は、うんざりした顔で私の向かいに座った。
「家名で呼ばれるのが嫌いなんだ。俺はダーク・アーランド・ナイトレイ。たまたま伯爵家に生まれて後を継いだだけの、偉くもなければ威厳もない男さ。どうぞ『ダーク』とお呼びください、レディ」
伯爵家は、男爵家よりも上位に位置する。
下位にあたる者がファーストネーム呼びするのは異例だが、当の本人が求めるなら従うべきだろう。
私は、気を取りなおして伯爵――ダークに話しかける。
「ダークは、なぜウエイターに変装してらしたの?」
「ちょっとしたお遊びだよ。招待状の最後に追伸があっただろう? 『主催者は巧妙に変装して会場におります。見つけた方にはプレゼントを進呈!』って」
「招待状にそんなメッセージはありませんでしたわよ?」
「たしかに書いたよ。『《《あぶり出し》》』で」
「あぶり出しっ?」
驚きのあまり、私の声は威勢よく裏返った。
「なんてことをしたの! それでは誰にも気づいてもらえないでしょう!?」
強い口調で言うと、ダークは「おや?」と首を傾げた。
「君なら気づくと思ったのに。炎の使い手の執事がいるんだろう?」
「っ!」
背筋がひゅんと冷えた。
ダークのそれは、ジャックが炎の烙印を持つ『悪魔の子』だと知っている口ぶりだ。
「……あなたは、私たちが何者か、知っているの?」
震える声で尋ねると、ダークは悠々と足を組みなおした。
「知らない者はいないさ。男爵家を再興した少女当主は有名だからね。もっとも、身内に悪魔の子を抱えているとは、最近まで知らなかったが……」
「私の元に炎の使い手がいることは、誰から聞いたのかしら?」
「きみが、その情報を明かした人物からさ」
「女王陛下……!」
ヴィクトリア女王には、『アリス』が悪魔に助けられたこと、同じような境遇の子どもたちを集めてリデル家を再興すること、その全てを打ち明けていた。
有力な味方を作るために必要なことだったが、こんな風に逆手にとられる日が来るとは思いもしなかった。
秘密が漏れてしまったのなら、取るべき態度は決まっている。
「たとえ悪魔の子でも、私にとっては大切な家族に変わりありません。あなたが私たちに手を出したり、私たちについて言いふらしたりするつもりなら、全力で排除します」
私は、まっすぐに姿勢を正し、毅然とした態度に本気をにじませた。
『悪魔の子』が実際に存在していると明るみになれば、リデル男爵家みんなの身が危ない。
妖精や幽霊とは異なり、悪魔は国教会上でのタブーなのだ。
「女王陛下があなたにどこまで話されたのかは存じませんが、どうかこの件は、このままお忘れになってください」
「放っておけないよ。君のような令嬢には、黒幕として大英帝国の平和を守っていくよりも、幸せな人生があっていいはずだ」
「余計なお世話と申しておりますのよ」
「そういわれてもね……」
ダークは、ふと思いついた顔で立ちあがり、テーブルを迂回して私の真横に腰かけた。
「メッセージに気づいていなかったとしても、君は俺の正体をあばいた。プレゼントをあげるよ」
「いりません! 変装は、あなたが勝手に解いたのでしょう!?」
「解かされたのさ。君があまりに魅力的だったから」
ダークは、私に腕を回して頬をほころばせる。
(どうして、このタイミングで笑うのよ!)
理解しがたい人だ。くせ者と言っていい。
けれど、間近で見る瞳は、夜空のように綺麗だった。
澄んだ虹彩には、きらりと光る星ではなく、戸惑う『アリス』の姿があった。
(ゲーム機の画面じゃなく、相手の瞳の中に私が映ってる……)
現実でありながら、非現実でもあるこの世界で、私は不安そうな顔をしていた。理想とかけ離れた、とても『アリス』らしくない表情で。
苛立ってそっぽを向いた私に、ダークが甘く呼びかける。
「怖がらずに試してごらんよ。夜の魔法がとけてるんだ。きっと君を夢中にしてみせるよ」
「いらないって言っているでしょう! そもそもプレゼントが何なのかも知らないんだから、安易に受け取るなんてこと――」
「アリス、こちらの肩に何か付いてるよ?」
「えっ?」
振り向いた私の唇に、ダークが吸い付いた。
――だまされた!
そう思った瞬間、私の胸のおくが、地面に叩きつけられた火薬玉みたいにパチンと弾けとんだ。
弾けた拍子に心が開いて、隠していたさまざまな感情が飛び出してくる。
(お父さまがいた頃に戻りたい。みんながいなくなって悲しい。ジャックたちを守るために、しっかりしなくちゃ)
それらが散らばった心の底には、ひとつの感情が残っていた。
(寂しい、寂しい、さびしい――)
これは『アリス』がずっと抱いてきた気持ちだった。
そして、前世の『私』が見ない振りをしてきた、一人ぼっちゆえの弱さでもある。
自分の本心に気づかされた私は、ほろりと涙を零しながらダークの袖を握った。
すると、彼は名残惜しそうに唇を離した。
「これがプレゼントだったんだけど……すまない。まさか泣かれるとは」
「あなた、私の心をのぞいたの?」
「どうかな。そうだと言ったら、きみは信じる?」
信じがたい。けれど、私は心を暴かれた。
ダークの、魔法のキスで――。
「信じたくないわ。だから、私は、あなたが何をしたのか、あなたが何者なのか、きちんと知りたい――」
どうしてダークは、悪魔や悪魔の子の存在をすんなりと受け入れているのだろう。
女王の薦めがあったとはいえ、『アリス』に接近するのはなぜなのだろう。
これ以上は危ないと本能が警告しているのに、私はダークという人間に興味を持ってしまった。
じっと見つめると、ダークから照れくさそうに見つめ返される。
「それは光栄だね。俺も君を知りたいと思っていた――」
「?」
ダークがふいに窓を仰ぐ。それと同時に、ビシッと大きな裂音が響いた。
大きなヒビが走ったガラスの向こうには、黒い人影がある。
「お嬢から離れろっ!」




