二話 鏡の悪魔はだあれ?
衝突事故は、このバルコニーからも見えた。
単眼鏡を持っていたダークは、アリスが自ら銃撃してアンカーを落とすのを目撃していた。
彼女は、船を真っ二つに割ることで、浮き上がった船首からプリンセス・アリス号に飛び移ろうとしたのだ。
だが、伸ばした手は届かなかった。
ダークが用意したドレスをなびかせて、あっけなく河に落ちた。
すぐに現場に向かったが、シャロンデイル公爵はショックで泣く公爵夫人をなだめるので精一杯。
ドードー警部は、目撃証言を集めるばかりで人命救助は後回し。
結局、ダークが指示を出して渡し船を集め、船頭たちの手を借りて捜索隊を結成するまで二十分もかかった。
それから三時間も見つからない。
初動の遅れが致命的だったのは明らかだ。
「トレヴァー、君は家に帰りたまえ。ここで待っていても何も進展しない」
「僕も何か、お手伝いできたらいいのですが、無力な人間がいても邪魔でしょうからね……。天使たちに会ったら、気を落とさないようにと伝えてもらえますか?」
「分かった」
忙しい判事は、気がかりそうな顔で階段を下りていった。
テムズ河をしばし見回してダークも階下に向かうと、一階の柱にリーズが寄りかかっていた。
無謀にも、河に飛び込んでアリスを探そうとするのを警官が抑えつけていたが、ようやく諦めたらしい。
激しく抵抗したので、スーツとシャツは皺くちゃで、ズボンの裾は土で汚れている。
「ナイトレイ伯爵。アタシ、自分の首をかき切りたい気分よ。公爵なんか気にせずに、お嬢のそばにくっついていればよかった」
「あれだけ大きな船が相手では、リーズ君がいたとしても事故はまぬがれなかったよ。君は、公爵相手に烙印の力を使ったんだろう。新しい情報は得られたかい?」
「事件については口を割らなかったわ。何も知らないのではなくて、話せないように術をかけられていたのよ。どこかの悪魔によってね」
リーズから、公爵の首に浮かび上がった烙印について聞かされたダークは、街道に仕掛けられていた鏡の紋章を思い出した。
「鏡の悪魔の印に似ているね。あれも円形で、判読の難しい文字で埋まっていた」
鏡の悪魔が切り裂きジャック事件を起こしたのだとしたら、壁にスケープゴートとなるジャックの名前を書き残して、目撃したシャロンデイル公爵の口を封じ、警察に嘘の証言をさせたことに矛盾は生じない。
問題は、誰が『鏡の悪魔』なのか、だ。
それさえ分かれば、殴ってでも公爵にかけた術を解かせ、真犯人として公衆の面前に突き出して、ジャックを解放させられる。
(推理はあとだ。まずはアリスを見つけなければならない)
ダークは、考えるのを放棄して、リーズに向き合った。
「アリスが見つかり次第、こちらから報せを出すよ。リーズ君は、お屋敷で双子といっしょにいてあげなさい。こういった場合は、ご家族全員に連絡を取っておくべきだが――ジャック君にも報せた方がいいかな?」
「もしも報せたら、ジャックは、烙印の炎で牢屋どころか警察署まで燃やして出てくるわよ。ロンドン大火を再現したいなら止めないけど?」
「それは遠慮したい。番犬君には申し訳ないが、報せずにおこうか」
「……ねえ、伯爵」




