一話 望まないかくれんぼ
「まだ見つからないのか」
桟橋の先に立ったダークは、苛立った表情でテムズ河を見下ろした。
スクリューでかき混ぜられた水は濁っており、水面にはボートの残骸が散らばっている。
砕けたボートには、アリスが一人で乗っていた。
岸を離れて漂流していた彼女は、ロンドン橋の通行人に手を振って助けを求めたが、救助されるまえに遊覧していたプリンセス・アリス号の航路に横入りして衝突した。
重ねて起きたのがアンカーの落下事故だ。
ボートは真っ二つになり、アリスは河へと投げ出された。
それから捜索が続いているが、いっこうに見つからない。
彼女が身に着けていたドレスも、靴も、ポシェットも、何もかもが消えてしまった。
通報を受けて駆けつけたドードー警部は、幾度も確認した懐中時計を開く。
「伯爵、あれから三時間と六分二十三秒も経ちました。そろそろ潮時ではないかと思うのですが……」
「口をつつしみたまえ、ドードー警部。アリスはまだ生きている。ここで捜索を打ち切れば、俺はあなたを地の底まで追い詰めるが、覚悟はいいかな?」
歌うような調子で脅された警部は、このままでは我が身が危ないと、通りがかったなで肩の警官を叱りつけた。
「捜索はどうなっているのですかな! 人員を増やして、徹底的に水底を探らせなさい。流されている場合も考慮して、下流まで捜索範囲を広げるように!」
完全に八つ当たりだ。ダークは、桟橋を歩いて岸へと戻った。
ボートハウスの前には、シャロンデイル公爵夫人が座り込んでいて、公爵が甲斐甲斐しく彼女をなぐさめていた。
「公爵殿下」
「ああ、ナイトレイ伯爵か。アリス嬢は見つかったかい?」
「いいえ。これから下流まで捜させます」
「うう……。わたくしが、わたくしが、悪いのですわ……」
おくるみに顔を伏せていた夫人は顔を上げた。
アリスが事故にあってから、自分のせいだと泣き続けていて、頬には涙のあとが残っている。
「我が家のボートでアリス様とお話していたのですが、この子がお腹を空かせて泣き出してしまったので、茂みに隠れてお乳をやろうとボートを下りましたの。川を眺めているとおっしゃったアリス様を一人残して。そうしたら、ボートが岸を離れて流れていってしまって、プリンセス・アリス号と衝突して……」
「アリスが乗っていたボートは、川岸にロープで繋がれていたはずです。それが斧によって切断されていたと、ドードー警部より報告がありました。何者かが、アリスを殺そうとしたのです。公爵夫人のせいではありません」
断言したダークは、困った表情をしている公爵に耳打ちした。
「公爵夫人は、だいぶお疲れのようです。お子様もいらっしゃることですし、お屋敷に戻って休ませてあげてください。警察からの報告はこちらで取りますのでご安心を」
「それは助かる。ナイトレイ伯爵、君もあまり気を落とさないように」
「お気遣い、痛み入ります」
ダークは、ステッキを腕にかけて一礼し、その場を後にした。
事故を目撃した衆目は、進展しない捜査に飽きて散りはじめている。
出店やアイスクリームスタンドのパラソルは閉じられて店じまいが進む。もうじき夜になるからだ。
客がまばらになったレストランのバルコニーに戻ると、心配そうに待っていたトレヴァーに詰め寄られた。
「ははは、伯爵! アリス様はどうなりましたっ?」
「影も形も見つからないよ。髪飾りさえ浮かんでこないから困っている」
「そうですか……。大型船との衝突は凄まじい衝撃だったでしょうから、気を失って流されたのかもしれません。ご無事だといいのですが……」




