四話 その伯爵、破天荒につき
私が目を開けると、そこは白で埋めつくされた書斎だった。
家具はすべて白塗りで統一されていて、壁も窓枠も柱時計でさえ白い。
置かれたデスクには青い薔薇が生けられ、猫足のソファには青いベルベットが張られている。
「俺は着替えるから、休んでいてくれたまえ」
私をソファに下ろした伯爵は、従者の手を借りてエプロンとジレを脱いでいく。
いきなり男性の脱衣シーンを見せられると思わなかった私は、赤面した顔をうつむけた。
ぐらぐらする頭で必死に考える。
レディと呼ばれていることから察するに、伯爵は私がリデル男爵家の人間だとは気づいていない。
今こそ、彼が結婚相手に適任かどうか見極める絶好のチャンスである。
だけど、この人はダメだ。
(だって『アリス』の宿敵なんだもの……!)
ご存じ『悪役アリスの恋人』は、ジャック、リーズ、双子の四人との恋模様が楽しめる乙女ゲームだ。
難事件を解決していくドキドキハラハラなストーリーには、他のキャラクターもたくさん登場する。
その中には、恋愛を邪魔する人物もいる。
たとえば、『アリス』をいじめる令嬢たち。
事件を追ううちにリデル男爵家にいきついた警察官。
もっとも登場回数が多いのが、どこかの名探偵のように現場にいあわせて、『アリス』を事件の犯人ではないかと疑う謎の貴族――ダーク・アーランド・ナイトレイ伯爵だ。
伯爵が出てくるシーンでの選択肢は死に直結するものが多く、『歩くデッドフラグ』と呼ばれていた。
煌びやかなキャラクターデザインと美声がうなる最強の脇役である彼には、『攻略できなくても愛してる』と言ってのけるコアなファンが山ほどいる。
その人気にあやかって、『悪役アリスの恋人』のファンディスク『悪役アリスの婚約』では、攻略キャラクターに追加されていた。
ファンディスクというのは、ゲームの後日談がプレイできる続編のことだ。
トゥルーエンドから連なるストーリーであることが多く、恋仲になった攻略キャラクターとの甘いイベントがてんこ盛りの内容だと思ってくれればいい。
残念ながら、前世の私は『悪役アリスの婚約』をプレイしていない。
当時はまだ発売されていなかったからだ。ファンディスクの製作が発表されたのも、ちょうど私が車にひかれた日だった。
つまり私は、伯爵の個別ルートの内容を、まったく知らないのである。
(そういえば、製作発表のなかに伯爵についての説明があったっけ……)
説明文いわく――伯爵の個別ルートは、リデル男爵家の四人のように『悪役アリスの恋人』の続きを描くものではなく、前作に《《さかのぼった内容》》――。
前作では見えなかった『悪役アリスの恋人』の真実にせまる、裏ストーリーが展開されるらしい。
そこまで思い出した私は、北風のように背筋を走る悪寒にふるえた。
(まさか、私のこの人生って……!?)
今まで、どうしてリデル男爵家四人の好感度を上げられないのか、不思議でならなかった。
もしもこれが『伯爵の個別ルート』だとしたら、他の攻略キャラクターとの仲が進展しないのは当たり前だ。
伯爵との恋愛のために描かれるストーリーなのだから!
(このまま伯爵を攻略してしまったら、まずいことになるわ!)
歩く死亡フラグと結婚して、無事でいられる保障なんかどこにもない。
目の前にいるのは、モブだと思って近づいたら最期、あっという間に人生が暗転してもおかしくない相手だ。
「いやはや、愉快なひとときだった! エプロンをつけて眼鏡をかけるだけで、だれも俺がナイトレイ伯爵だと気づかないんだから。こんなに楽しいことはない!」
戦慄する私の意識は、伯爵の高笑いに呼び戻された。
すっかり着替えた彼は、レジメンタルグレーのベストに、濃紺色のジャケットを羽織っていた。
頭にかぶった帽子には、大きなリボンと羽根飾りがついている。
私室でするには、ずいぶんな過剰装飾だ。
着道楽という前情報は、本当だったらしい。
(目立つのが好きだなんて。見るからに『アリス』とは相性が悪そうじゃない!)
乙女ゲームの主人公と攻略キャラクターには、惹かれあう理由が必ず存在している。
ゲームの中の『アリス』にも、ジャック、リーズ、双子、それぞれとの気持ちが高まるエピソードがあって、恋愛が成立していた。
伯爵にも、何かしら『アリス』に興味を持った理由があるはずだ。
そこを知って逆張りすれば、幻滅されるにちがいない。
命を守るために、一刻もはやく私への好感度を地に落とさなければ!
「ナイトレイ伯爵様は、どうして私に――」
「ああ。悪いけど、それは、やめてくれないかい」
「え?」




