短編 ~あの日から~
心の中に住む少女に励まされ、大きくなっていく少年の物語
『大きなのっぽの古時計』を聞いていて発想したのだが、もともと矢久の中でなら速かれ遅かれ発想した話だ。だって、自作品の登場人物は、矢久の頭の中で生まれ"生きている"から。
作家が全部とは言わないが、そういうわけの分からないことを当たり前のように言う奴らも多いと思う。というか、どんな分野でも、何かを極める人間は変人だ。
なぜなら、普通の人間から何かを逸脱しているから、普通じゃない、(良かれ悪しかれ)偏った人間になるわけなので、何かを極める人間は大体が変人で、どこか浮世離れしている。
たまに人間の常識を当てはめられて、犯罪者に数えられる奴さえいるが、それくらい偏っているから、非凡の才能が発揮できるのだと思う。
まぁもっとも、変人だから、みな能力が突出しているわけではない。
そこをことさらに格言っぽくするならば、
『変人がすべて天才とは限らん。しかし天才はえてして変人である』
と言ったところだ。
そう思うと、極めて常識人の矢久は小説界の麒麟児となることはできないのかもしれない。
……なんてね。実際は誰もが「アンタは変わってる」と言われる矢久だ。逆算して何かが非凡でもおかしくないんじゃないかと信じてみたりしてる、けど……。
『変人がすべて天才とは限らん(リピート)』
ついでに言わせてもらえば、変人もいろいろいるけど、変な部分をあげつらって嘲笑できる人間というのは、基本的に凡人だと思う。変人というのは基本的に人をあざ笑う余裕がない。他人に興味がなかったり、自分が変人だと分かってるから間口が広かったり、共感できてしまったりするからだ。
なお、変人と小者は違う。どっちも頭おかしいんだけど、違うと思うよ?’(笑)
てか、ぜんぜん、『~あの日から~』の裏話じゃないな。




