短編 アイドルがコロナの中でイベントを
タイトルの通り。コロナ渦の中で、コンサートを開いたアイドルの話
とっぽいで有名な(?)賞、大藪春彦新人賞の締め切り直前に、取り憑かれたように描いた作品。ミステリーでもハードボイルドでもないし(ある意味ハードボイルドか)、このご時勢でこの内容を入選させるはずもないと知りながら、とにかく投稿したくてたまらなくなって数日で描き上げた。
「わたしたちは、悪者です」
ヒロインは作中、そう言い放った。
……コロナから一年半。いまだ厳戒態勢が続き、飲食業はいまだ潰れ続けているが、その裏でオリンピックだけは国を挙げて行うという。
渦中のオリンピックが是であるなら、作中で殺人予告を受けてまでコンサートを強行したヒロインは「悪者」ではなかったはずだ。
私はこのことについて、同作品を描いた2020年の4月から一年二ヶ月を経て、再び考えさせられている。
オリンピックを「やれ、やるな」という話ではない。取り憑かれたように描き殴ったあの作品のあり方、結末の葛藤、起こった事実すべてについて、再び深く考えさせられることとなったのだ。
オリンピックだから赦される。生き残りを賭けた個人のコンサートは赦されない。……であるならば、それが意味する部分が、私は許せない。その理由にあたる部分が、私は、許せない。
フィクションだと言われるならその通り。しかし、このコンサートに順ずることは様々な方面において、似たような葛藤と批判をはらみながら、コロナ以降いくらでもあった事実だろう。
繰り返すが、オリンピックを「やれ、やるな」という話ではない。それでは、コンサートに乱入した暴漢と同じになってしまう。
ただ一ついえることは、前項でも述べた通り、コロナ自体が嫌なんじゃない。
コロナを通して露呈した、人間の本質(建前と本音)が嫌だ。




