短編 アダムとイヴはロミオとジュリエット
コロナに神経質になりすぎた人類が、百年の時を経て被ったやぶへび
マスクマスクマスクと、コロナ以降マスクが生活のスタンダードになっている。
これはひょっとしたら、コロナ渦を越えても定着してしまうかもしれない。
そうなれば人類の免疫はきっと低下する。ひょっとしたら免疫の低下した者同士が子供を生めば、さらに弱いDNAが受け継がれ……。
……的な流れの挙句に、人はろくに外出もできない身体となってしまうかもしれない。という発想から、生まれた作品。
次項『アイドルがコロナの中でイベントを』と姉妹作品であり、いずれもパンデミックと騒がれ始めた頃に、また取り憑かれたように描かれたもの。姉妹とはいえ物語に関連性はないが、いずれもコロナ渦を象徴するような鬱屈とした雰囲気が漂う。
私は、コロナそれ自体よりも、コロナ爆発以降、言論が数の暴力で不当に弾圧されている世情が嫌だ。
コロナへの非協力的な態度を公言するのも言論の自由。それを叩くのも言論の自由だろう。しかし、叩く方のほうが圧倒的に暴力的で、世情がその暴力的な流れを正義としている。……これは正直、フェアじゃない。
ここでは詳しく語らないし、興味があれば調べればいいと思うが、その世論の偏り方がポーツマスでの小村寿太郎の奮闘を悪し様にし、後に日米開戦をやむなしと日本を破滅に導いた。(日米開戦は軍の暴走だから一般民は無関係なんていうのは不勉強もはなはだしいと思う)
まぁだけど、『しまもよう カモメの逝きし 空に見え』の項で言った"特攻"の精神と、これらの件に関しては、日本民族の表裏なのかもしれないとも思う。右へも左へも行き過ぎるのが、日本人である気がする。だからあの時書き綴ったように、本当の国難となった時、日本民族はまだ"特攻"ができるのではないかと思うのだが、どうだろう。買いかぶりすぎか。




