9話本圀寺の変
木下藤吉郎と明智光秀との会談を終えた後善郎は内政に取り組み、数ヶ月が経過し1月から幕府仮御所本圀寺の警備に兵の準備していた。
そして1月5日に本圀寺にて事件は起こった。それは三好三人衆が本圀寺を襲撃したのだ。
襲撃の報告を受けた善朗はすぐに3000の兵を引き連れ援軍に向かい、半日もかからず到着した。
善朗軍は到着早々三好軍と交戦を始めた。
三好軍は1万の兵がおり善朗軍は数で負けていたが源三郎や左衛門佐といった戦上手な家臣が居た為五分五分の戦いを行い、そして日暮れになり善朗や本圀寺の警備を担当していた明智光秀たちの活躍で三好軍は一時撤退していった。
その間に善朗は本圀寺に入り、そこに明智光秀を始めとした防衛戦を戦った諸将が善朗を出迎えた。
「明智殿、ご無事でしたか」
「ええ、村山殿のおかげでなんとか持ちこたえられました。誠にかたじけない」
「公方様(将軍義昭)はご無事ですか、今から会えますか。」
「あぁ、怪我はしていないがかなり怯えてる、今は会えない。」
次に2人は明日について話始めた。
「三好三人衆は明日も当然攻めてきますが、こちらは怪我人が多いのできつい戦いになりそうでな。」
「いやそれはないかも知れませんぞ村山殿」
この言葉に疑問をもったので光秀に「なぜか」と聞くと光秀は神妙な面持ちで答えた。
「明日には、このことを聞いた細川、池田、荒木、三好孫六郎殿(義継)などの幕臣や摂津勢が大挙して援軍に押し寄せるだろう、そうすれば我らも呼応して戦える兵で一気に三好を一気に攻める。そうすれば此度に戦いは我らの勝利にございます。」
この光秀の言葉は自信に満ち溢れていた。
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そして翌日三好三人衆は攻勢をかけて来たがそれと同時に摂津の池田勝正、荒木村重や大和の三好義継とその家臣松永久秀、長頼兄弟が援軍に駆けつけ、すぐさま三好三人衆に襲い掛かった。
それに呼応して光秀と善郎は動ける兵を1000を率い三好三人衆に攻め掛かった。
善郎は、先頭にたち次々と敵を切伏せていき家臣や兵たちは善郎に負けじと奮戦した。
三好三人衆は、織田の増援と善郎や光秀の部隊の攻勢により多くの犠牲を出し撤退して行った。
だが、善郎たちの部隊も無傷ではなく部隊の3分の1が死亡した。
「村山殿、勝利しましたな。失った者たちも多かったですが…」
「ええ、ですがこれで三好三人衆の力は弱まった。今は一時休憩をして上様の到着を待ちましょう。」
そこの3人に、数名の男がやってきた。
「明智十兵衛、生きてたか!」
「これは細川殿、孫六郎殿に松永殿、此度は助かりました。」
この3人は、細川藤孝、三好義継、松永久秀である。
「ところでそこの御仁は…」
「細川殿、この方は村山善郎殿だ。村山殿、こっちは細川藤孝殿、幕臣です。」
光秀は、善郎に細川藤孝を紹介した。
「村山殿、次にこちらは三好孫六郎殿、そして三好殿の家臣の松永弾忠正久秀殿だ。」
「孫六郎です。お噂はかねがね聞いております。今度、久秀とともに酒でも飲みながら話ましょう。」
「ええ、楽しみにしております。」




