5話 内政と上洛前夜
観音寺騒動をよそに善朗は内政に勤しんでいた。
「朝行、職人たちに作らせたあれはできたか。」
「はい、完成したみたいです。」
善朗が作らせたものは千歯と唐箕という農業(主に稲作)で使う道具である。
まず千歯は歯に稲穂をひっかけもみをしごき落とす道具で江戸時代に普及したものでそれまでは手で稲穂を取っていたのだが千歯があることで大幅な時間短縮になったのである。
唐箕はもみがらやごみを風の力でとりのぞく道具でこれも江戸時代に普及した道具である。
「殿、よくこの様な道具を考えましたな。」
「まあ、そうだな(兄が昔の道具マニアだったからな)」
そう善朗の兄も両親同様にマニアであったおかげでこれを思い着いたのである。
「朝行、この2つを村々に配れ。そうして手が空いた者に石鹸を作らせるのだ。あと別にあるものを作らせてくれ。」
「はっ、かしこまりました」
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こうして村山領の村々は唐箕と千歯の導入によって最小限の人と時間で作業が出来る様になったので残った者は石鹸作りに取り組みその利益の一部が還元されるため皆必死に行った。
そうして月日が経ち永禄7年4月
米づくりが始まる、この時の為に善朗は田植え定規を職人たちに作らせていた。
田植え定規は稲の苗を縦と横の筋をそろえて植える方法でこれを行うことにより水田内の日当たり、風通しが良くなり収穫量を増大させることができるようになる。
農民が農作業を始めたころ善朗は屋敷にて人を集めていた。
「殿、これだけの人ざっと100人でなにをなさるのですか」
「源三郎、ここにいる者は皆山菜や薬草を採るのが得意な人たちでこれから皆で山に行き薬草を採りそれを目薬や傷薬にしてそれを売るのだ。」
これを聞いた源三郎は納得した。
「では、行ってくる」そう言って出発し、5時間ぐらいして戻り薬作りを始めた。村山の薬はたちまちに売れまた善朗は巨万の富をなした。
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そうして善朗たちは平穏に過ごし3年の月日が経ち永禄10年になった。そして善郎が行った内政はうまくいき1万石近い年貢が入るようになり、そしてずっと貯めていた銭が3000貫になっていた。
そして永禄10年4月に六角氏式目制定されこれにより六角一族の権力が制限された。だがこれのおかげで六角一族を中心に国内の秩序が回復されていく。
だが隣国美濃を織田信長が制圧しそして足利義昭を岐阜に迎えたという知らせが善朗の元にもたらされ、そして永禄11年の9月に上洛戦が知っている善朗は5月から準備を始めた。
そして屋敷にて家臣たちを集めていた。
「殿、我らを今度は何故集められたのですか。」と皆を代表して源三郎が質問し善郎が理由を話始めた。
「それは皆に準備して欲しいことがあるからだ。」「準備して欲しいとは一体..」
「織田が来るからだ」善朗はそう言うと家臣たちは驚きの声を上げた。
「確かに我らは美濃との国境におりますが、すぐに織田が攻めて来るのはないのでは..」
「それはない」と家臣の話を否定しその理由を話した。
「足利義昭公を岐阜に迎えられ、そして義昭公はすぐにでも上洛をしたいらしく織田に頼んでいるらしく、そして織田もそれに乗る気らしい。早くて3ヶ月遅くても5ヶ月後に戦が始まるだろう、そして六角にはそれを止める力は残っていない。だから私は織田に着こうと思う。」
その善朗の理由説明と決意を聞いて家臣たちは最初は困惑したが、善朗の揺るぎない決意を信じ家臣たちも決断した。
「殿、我らはなにをすればよろしいのですか。」
その言葉を聞いて善朗はすぐに指示をだした。
「まずは源三郎、左衛門佐。」
「はっ」「お主たちは銭でできるだけ多く人を集め、その者たちを鍛え兵にするのだ。」「かしこまりました」
「三郎助、お主は兵糧と武具をできるだけ沢山集めるのだ。」「はっ、承知しました。」
「朝行、お主は織田に上洛の際はお味方すると書いた書状を出来るだけ早く確実に届けるのだよいな」「はっ、この命にかけましても」
「殿」「なんだ源三郎」
「このことを六角になんと言い訳をしますか」これを考えてなかった善朗は言い訳をすぐに考えた。
「そうだ、六角には織田が攻めて来るとの噂を聞いて念の為に準備をしていると伝えろ。その後もししつこく言われても曖昧なことを言ってはぐらかし時間を稼ぐのだよいな」「はっ」
善朗は史実を知っているとはいえなにが起こるかわからないのが現実である。このことが善朗にとって大きな大博打である。
今回もトントン拍子で進んで行きます。




