第一子と第二次木津川口の戦い
天正六年 二月 鷺森御坊
小雪の妊娠がわかってから約十ヶ月たち、ついにその時が来た。
襖越しに産声が聞こえる。善郎は襖を開け小雪の元へ駆け寄る。
「小雪!お疲れさま!よくやった!」
「はい!立派な男子が生まれました」
「お前の名前は、小太郎だ」と微笑みながら赤ん坊に喋りかける。
「小太郎、良い名前ですね」
「この子の為に、もっと頑張らないといけないな」
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善郎は小太郎が生まれてからも変わらずに領地経営をすすめる。
(まずは予め用意しておいた、サツマイモの栽培をはじめて完成したら焼酎を作るか。以前の領地ではあまり土地は、なかったがここなら十二分にある。
次に硝石の生産だが硝石作りは早くて3年長くて5年掛かる。古土法は直ぐにできるが、恐ろしく量が少ないので硝石丘法でやるしかない。
3つ目に硝石に関連した長期目標として、鉄砲の増産と改良を進めよう。紀伊国は古くから鍛冶職が盛んな地域で鉄砲が伝来してから直ぐに生産を行えた。そこでさらに職人を集め育成をする。
そして雑賀水軍を来たるべき毛利水軍との為に強化しなければならない。)
善郎はやる事が多く、頭を抱えたが小雪や小太郎、そして家臣たちの為に腹を括る。
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天正六年 十一月
織田信長は本願寺の補給路を遮断する為に、九鬼水軍と善郎率いる雑賀水軍を動員した。
織田軍は、石山本願寺へ通じる水路、木津川口を封鎖する為に、まず九鬼水軍の鉄甲船六隻を横並びに配置した。雑賀水軍は鉄甲船から少し離れた場所で待機する。
そして毛利水軍六百隻がやってきた。毛利水軍は小型船を主体とする為、織田の大型船に驚きながらも焙烙火矢を投げ込んできたが、厚い鉄板に覆われた鉄甲船には歯が立たなかった。
逆に鉄甲船からの大砲による攻撃を受け船は次々に沈んでゆく。そのため毛利水軍は急ぎ撤退しょうとするが、ここぞという時に現れた雑賀水軍が退路を塞ぐ。
雑賀水軍は毛利水軍に鉄砲の狙撃や一斉掃射を浴びせる。そして鈴木孫一が放った玉が毛利水軍の総大将村上武吉に命中する。孫一本人は自分が撃ち抜いた者が村上武吉と気づいていなかったが、「敵将、鈴木孫一が撃ち取った!!」と叫んだ。
そうこうしているうちに毛利水軍は織田軍の攻撃で完膚なきまでに打ち破られ、壊滅した。
この【第二次木津川口の戦い】は織田軍の勝利に終わり、毛利水軍は莫大な兵士、小船、物資を失い、本願寺は兵糧の補給ができなくなり一気に窮地に陥ることになった。




