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戦国タイムスリップ(仮)  作者: 飛龍
17/21

17話 紀州攻めと善郎の戦い

天正5年、信長は石山本願寺に味方した紀州雑賀衆を討伐するために出陣した。


雑賀衆は雑賀庄・十ヶ郷・宮郷・中郷・南郷の5つの地域の地侍達で構成された傭兵集団で、彼らは雑賀五組と呼ばれている。


雑賀衆の中には複数の派閥が存在しており、本願寺を支援したい真宗門徒と信長に反感を持つ者たちが結託し反信長を掲げる。

逆に本願寺に不信感を持つ者たちもおり、宮郷・中郷・南郷の雑賀三組が織田に寝返った事で、反本願寺派の者たちも信長協力した。


信長は紀州征伐で雑賀三組と根来衆の協力を得て、総勢10万の軍勢で残りニ組を攻略しょうとした。


織田軍は山手と浜手の二手に別れ、山手に雑賀三組と根来衆を先導役として佐久間信盛、羽柴秀吉、荒木村重が、浜手に善郎をはじめとした京三人衆、滝川一益、明智光秀に加えて信長の嫡男織田信忠、そして信忠の兄弟北畠信雄、神戸信孝、信長の弟織田信包がいた。


浜手の織田軍は淡輪から軍を3つに分かれ孝子峠を越え、雑賀側の防衛線を突破して南下し、中野城を包囲、中野城は織田軍に降伏した。


その後、善郎が先行し、平井の鈴木孫一の居館を攻撃した。


一方、山手では根来から紀ノ川を渡って、雑賀衆の本拠地である雑賀城に迫ったが、

これに対し雑賀衆は和歌川)沿いに弥勒寺山城を中心として北に東禅寺山城・上下砦・宇須山砦・中津城、南に甲崎砦・玉津島砦・布引浜の砦を築き、川岸には柵を設けて防衛線を構築したため織田は攻めきれなかった。


この後、雑賀衆は織田に対しゲリラ戦を展開し、戦況は膠着状態になったが、鈴木孫一や土橋若太夫ら7人は7人は連署して誓紙を差し出し、信長に降伏した。


3月15日に信長は朱印状を出して赦免し、21日になると信長は陣払いして京都へ引き揚げた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

しかし半年後の7月に鈴木孫一らを中心に先の戦いに信長に寝返った雑賀三組への報復を始めた。


これに対して善郎は信長の命を受け6万の兵を率い雑賀に向かった。

善郎はこの戦いで初めて大将を努める事になり、善郎軍に与力として三好義継、池田勝正らがいた。


善郎軍は十ヶ郷で雑賀軍と激突した。


「敵は鉄砲の扱いになれた連中だか、"あれ“を使えば怖くない。」

「善郎殿、"あれ"とは?」

「孫六郎殿にはまだ伝えてませんでしたっけ?あれとは、竹束にございます。」

「竹束?」

「口で説明するより、見てください。」


合戦が始まり、善郎軍、竹を束ねて縄で縛った、竹束を持った部隊が先頭にした陣形だった。


ところで竹束とは、戦国時代以降、合戦で鉄砲が大量に使用されると、従来の木の板で作った盾では、防ぐ事が出来なくなったため、考えられたが、この時はまだ余り普及していなかった。


合戦に話は戻るが、先に仕掛けたのは善郎軍。

雑賀衆は鉄砲で善郎軍の動きを止めようとするが竹束を持った、善郎軍を止めらず、白兵戦が起こり、数で優る善郎軍が勝利した。


しかしこの戦いに勝利したが、善郎軍に味方する者が現れなかった。


たが、善郎はまだ損害が皆無だったので、紀州を攻め上がった。

そして紀ノ川付近で敵を捕捉し、撃破したが、十ヶ郷に一度撃破した残党の地侍が集結し、そして彼らに高野山の僧兵たちが1万を援軍として送られてきた。


それにより善郎軍は、退路を塞がれてしまった。



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― 新着の感想 ―
[一言] 何の為のタイムスリップ? 通り掛りの牢人で十分でしょう。
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