7 腐妖精による醤油ラーメンとチキンステーキ
「うーん、どうしてだろうなぁ」
「どうしたの、アンナ?」
「カップラーメンの売り上げが落ちてるんだよね」
最初は飛ぶように売れていたカップラーメンだったけれど、最近は売れ行きが悪く、ストックが多くなってきている。
需要と供給が合わなくなった原因は、やっぱり味が一種類しかないせいだろうか。
私自身もカップラーメンに飽きてきているのは確かだし、これは新しい味の開発に乗り出すべきなんじゃない?
今まで作っていたのはとんこつ味だから、次は……やっぱり醤油でしょう!
この中世ヨーロッパ風な世界で醤油が作れたら、最高じゃない?
前作ったモツ煮込みも、醤油で煮込んだらもっと美味しかっただろうし。
でも、醤油はこのゲーム世界に無いようだ。砂糖やコショウは普通にあるのになあ。
確か醤油って、麹菌で大豆を発酵させなきゃいけなかったはず。
……麹菌ってどうやって作ればいいんだろう?
再び考え込んでいると、ヴィーが私の目を真剣な顔で覗き込んだ。
「何か考えがあるなら、何でも言って。私、アンナの力になりたいの」
「ヴィー……! ありがとう!」
何とも可愛いことを言ってくれるヴィーを抱き締め、そのすべすべの頬に頬ずりをした。
「実は、作りたい物があるんだけど、どうやって作ればいいのか分からないんだよね。大豆を発酵、すごく単純に言うと、うまい具合に腐らせて作るんだけど」
「腐らせて作る……チーズみたいなものかしら?」
「そうそう、そんな感じ! どうやって作るか、知ってる?」
「腐妖精のことかしら? その妖精がいれば、周りのものが腐敗していくと聞いたことがあるわ。腐敗させる途中で止めれば、うまく発酵出来るんじゃないかしら」
なるほど、何も麹菌を作らなくても代用できるものがあればいいんだ。
盲点だった。
「でも、その腐妖精ってどこにいるの?」
「錬金術で生み出せると思うわ。時間は掛かるかもしれないけど、それでもいい?」
「もちろんだよ」
「アンナのために頑張るわ!」
そう言って、ヴィーは家に籠った。
毎日差し入れを持って行ったけれど、前に持って行ったものがまだ残っていたことが何度もあった。
ゲームでは簡単に見えた錬金術も、実際はこんなに大変なんだと分かって、気軽に頼んで申し訳ない気持ちになってしまう。
そして一週間後。
いつものように差し入れを持って行くと、憔悴した様子のヴィーが、私に駆け寄ってきた。
「アンナ! 出来たわ! 出来たのよ!」
「本当に? ヴィーすごい! 見せて見せて!」
喜びのあまり急かしてしまった。
だけどヴィーはにこにこと笑っているだけで一向に見せてくれようとしない。
どうして何も言わないんだろうと首を傾げたら、ようやくヴィーが口を開いた。
「もう見ているわよ」
「え? どこ?」
私が尋ねたちょうどその時、視界を何かが横切った。
蛍みたいに小さくて光る何かが。
よく見るとそれは小さな生き物だった。
十センチくらいの小さな体に丸い顔がくっついていて、その瞳はつぶらでキラキラしている。
「これが、腐妖精……」
纏わりつくように私とヴィーの周りをゆっくりと周る。
私たちに懐いているみたいだ。
恐る恐る指を伸ばすと、腐妖精のほっぺたに触れることが出来た。
つんつんと頬をつつくと、『あうあう』とでも言うように口をパクパクさせている。
「この子が物を腐らせることが出来るの?」
「試してみましょう。腐妖精、これを腐らせてくれる?」
私が持って来たリンゴの切れ端をヴィーが差し出すと、腐妖精はコクコクと頷いてリンゴの周りを周った。
そして緑がかった光を発したかと思うと、リンゴの切れ端は見る見る黒ずんで小さくなってしまった。
本物だ。
ヴィーは腐妖精を作ってしまったのだ。
いわゆる人造妖精である。
すごいと思いつつ、腐妖精のあまりの可愛らしさに心が和んだ。
でも、腐妖精って呼ぶのも何となく違う気がするなあ。
人を“人間”って呼んでるようなものだし。
「ねえ、ヴィー。この子に名前ってあるの?」
「名前? 特には考えてないわね。アンナが好きな名前を付けてあげて」
「えっ、いいの?」
ヴィーが頷くので、目の前にふわふわと浮かぶ腐妖精の名前を考えてみることにした。
だけど私は名付けのセンスが無い。
昔飼っていた猫には“クロ”と名付けた。
理由はその猫が黒猫だったからだ。
小学校で飼育していたニワトリには“コッコ”。
つまりその動物の特徴をとらえた名前しか考えきれないセンスゼロ人間である。
そんな私だから、腐妖精の名前も当然、考え方は一緒だ。
確か麹の種菌のことを“モヤシ”っていう伝統があったはず。
腐妖精とモヤシ……。
「フモヤシ、なんていうのは、どお?」
「あら、いい名前ね! 珍しくて素敵だわ!」
ヴィーは手を合わせて笑顔を浮かべた。
名付けでこんなに褒められたのは初めてなので、素直に嬉しい。
そしてさっそく醤油作りを始めることにした。
錬金部屋にヴィーと二人……いや、二人と一匹(?)で籠る。
発酵は四十度の高湿度な環境で行うと良い、と聞いたことがあったので、部屋を閉め切って暑くしてある。私とヴィーは薄手のワンピースを着ているにもかかわらず、汗がダラダラと流れた。
「それで、ショーユってやつはどうやって作るの?」
「大丈夫、テレビで見た!」
「てれび?」
「あっ、ううん。こっちの話!」
テレビなんて言っても通じないよね。
まあ、ヴィーならテレビでも何でも錬金術で作っちゃいそうだけど。
私は大豆と塩と小麦を用意した。
大豆は先に蒸しておき、炒った小麦を混ぜ合わせる。
「よし、と。次はこれを発酵させたいんだけど」
「出番よ、フモヤシ。頼んだわよ」
フモヤシは『任せて!』とでも言うようにくるくると回転した。
そしてフモヤシは纏っていた光を一際輝かせた。
すると大豆がゆっくりと形を崩していく。
だけどその途中で大豆の変化がピタリと止まった。
フモヤシを見ると、さっきまで輝いていた光が弱々しくなっている。
「おかしいわね、何だか元気がないわ」
「お腹空いてるのかな?」
フモヤシだった一応は生き物なんだから、やる気を出させればいいんじゃない?
だとしたら、美味しいものを食べさせてあげたらどうだろう?
ヴィーが私の差し入れを細かく切ってフモヤシにあげてみた。
だけど、どの料理にもフモヤシは反応しない。
「うーん、食べないなあ」
「頭を撫でても駄目みたいだわ」
光がチカチカと揺らめくので、頭を撫でられて喜んではいるようだけど、元気になったというには程遠い。
私は室内を見回した。こんな空気の通らない薄暗い場所にいたら、フモヤシだって気が滅入ってしまっても仕方がない。
「よーし、外に連れ出しちゃおう!」
「えっ、外に!?」
驚くヴィーと共に、私は腐妖精を肩に乗せて連れて外に出た。
今日も外はいい天気だ。心地よい風が吹いている。
するとフモヤシの光が強くなっていった。
「ほら、元気になってる!」
やっぱり腐妖精といえども、ずっと同じ作業ばかりやっていたら集中力が切れちゃうよね。
しばらく外で気分転換をしてから、フモヤシを錬金部屋に戻した。
だけど、部屋に戻ったフモヤシはまた元気がなくなり、動きがのろくなった。
「うーん、どうしたんだろう?」
私が首を傾げると、ヴィーが何かに気付いたように顔を上げた。
「そういえば、外に出た時にやたらと風に当たっていたわ。もしかして、暑いのが苦手なのかしら?」
「えっ、妖精って気温が関係あるの?」
「種族によってはあるのかもしれないわ。試してみましょう」
麹菌は一定の温度を保たなければならないけれど、腐妖精の場合は心地よい温度であれば一定じゃなくても大丈夫なのかもしれない。
そこで、一定時間ごとにヴィーが錬金術で作った氷玉を投入することにした。
フモヤシが氷玉にへばりついて涼を取っている姿は可笑しい&可愛い。
麹を作るには通常3日かかるらしいけど、フモヤシのおかげで、たったの3時間で出来た。
ベージュ色になった麹に塩水を加えて“もろみ”を作り、更に発酵させる。
私とヴィーは交代で錬金部屋を監視することにした。
「あ、そろそろ夕飯の時間か。ご飯作らなきゃ」
汗を拭いながら錬金部屋を出ると、何とも良い香りがしてくる。台所を覗いてみれば、ヴィーがフライパンを不器用な手つきで振っていた。
「ヴぃー。もしかして、ご飯作ってくれたの?」
「ええ。アンナの作っていたのを真似してみたんだけど」
「わあ、嬉しい! さっそくいただくね!」
私は内心ドキドキしながらお皿に盛られた料理を受け取った。この世界に来た時に食べたヴィーのシチューが美味しくなかったのを思い出したのだ。
お皿の中には野菜を煮込んだスープが入っていた。野菜は細かくカットされていて、錬金術師ならではの几帳面さが窺える。
……せっかく作ってくれたものを食べないなんて失礼だよね。
私は思い切って料理を口にして、沈黙した。
「あ……美味しくなかった? 一応、味見はしたんだけど、自信がなくて……」
ヴィーは恥ずかしそうにモジモジしている。
「すごく美味しいよ、ヴィー!」
最初に食べたシチューとは雲泥の差だ。ヴィーは私の料理の手順をいつも見ていたから、自然と覚えてしまったんだろう。何たって、調合のプロだし。
料理が上手になったヴィーは、非の打ち所がない完璧女子になった。
「ありがとう、とっても嬉しいわ」
ヴィーは極上の微笑みを浮かべた。
あーもう、くそ可愛い。抱き締めてチューしてやりたい。
ヴィーの料理の腕が上がったので、食事は交代で作ることになった。
そして一週間が経ち、ついに熟成したもろみが完成した。
それを布袋に入れて吊るし、一滴ずつ自然に抽出されるのをただひたすら待つ。
無理に絞ったら雑味が出てしまう、とテレビで言っていたのだ。
時間をかけて溜まった液体を、沸騰しない程度の温度で熱を加えて殺菌すると、ついに醤油が完成した。
作っている途中からいい香りに耐え切れなかった私は、完成するとすぐに味見をする。
「うわっ、めっちゃくちゃ美味しい! 感動!」
久々に味わう日本の味に、私は涙が出そうになった。
私はさっそく醤油ラーメンを試作してみることにした。
鶏ガラをゆでこぼして、下処理をしてから煮込んでアクを丁寧にすくう。次に豚足と野菜を入れて更に煮込む。
するとその時、家の入り口の扉がノックされた。
ヴィーが許可を出すと、予想通りラウルスが入ってくる。
「やっぱりここだったか。山猫亭に向かわなくて正解だったな」
確かに最近は食事時以外の時間はほとんどヴィーの家に入り浸っている。
家では父親が料理を作って私は運ぶだけなので、少々退屈なのだ。
「ちょうど出来上がった時に来るなんて、ラウルスってタイミングいいよね~」
「ほんと、いつも私たちを見張ってるんじゃないかしら」
「なっ! そんなことしてないぞっ!」
私たちがからかうと、ラウルスは途端に挙動不審になって全力で否定した。
「あはは、分かってるよ」
「そんなに否定されると余計怪しく感じるわよ」
からかわれていることに気付いたラウルスが憮然とした顔をする。
「ごめんごめん、お詫びに新作の料理を食べさせてあげる」
「ラーメンのショーユ味よ」
「何? それは楽しみだな」
お湯を沸かしている間に、絞った後のもろみを使って他の料理も作ってみようかなと思い立った。
まずはやっぱり定番の“もろきゅう”から。
キュウリを食べやすいサイズに切って、もろみを適量乗せるだけの簡単料理だ。
これは私が働いていた居酒屋でも出していたメニューなので、すぐに出来上がった。
次はチキンステーキだ。
味が染みやすいようにフォークを数か所に刺した鳥肉を、もろみと醤油で下味を付け、フライパンで焼く。
中まで火が通ったら、火力を強めて皮をパリパリにする。
食べやすいサイズに切り分ければ完成だ。どれも簡単に作れるものばかりである。
最後はメインディッシュ、醤油ラーメンだ。煮込んでいたスープに醤油を加えれば、スープの出来上がりだ。
小麦粉と卵と塩と水で麺を作り、茹でた麺にスープを掛ける。トッピングにゆで卵と白髪ねぎを乗せれば完成だ。
「どお? 醤油ラーメンの味は!?」
「食べたことのない味だけど美味しいわ。スープが違うだけでこんなに味が変わるのね!」
「まるで全く別の料理を食べているみたいだ。これなら毎日交互に食べても飽きないな」
待ってました、そのお言葉! というくらい嬉しいセリフだ。
他の料理も思いの外好評で、またもや『さすが料理の錬金術師』と褒め称えられてしまった。
醤油味のカップラーメンは人気を呼び、何故か売れ行きが悪かったとんこつ味のカップラーメンも、売上が上がったのだった。
■今日の錬金術レシピ
~腐妖精~
・?
●醤油味ラーメン
・鶏ガラ
・豚足
・野菜
・ネギ
・ゆで卵
~麺~
・小麦粉
・卵
・水
・塩
~醤油~
・大豆
・小麦
・塩
●もろきゅう
・もろみ
・きゅうり
●チキンステーキ
・鳥肉
・もろみ
・醤油
醤油は日本人の心だよね! これで料理のバリエーションが増えそう!
■今日のラウルス君
ナイスタイミングでフルコースをゲットしヘヴン状態。




