45 別れ話は具だくさんお味噌汁と共に!?
その日、私はたまたまその場にいた。
山猫亭とは正反対の、つまり同じ町内でも栄えていない裏門近く。そこにはぽつぽつと住宅が建ち、少し離れたところにはヴィーの家がある。
錬金術師であるヴィーは錬金中に事故があってはならないと敢えて外れの方に住んでいた。町人でさえ用でもなければ決して近付かない場所だ。
だからモーニングタイム終了時、お客さんを見送りがてら歩いていた私がその光景を目撃したのは、偶然かはたまた神様の悪戯なのか。
曲がり角を曲がったところに、ラウルスがいた。
声をかけようとしたけど、私はその言葉をすんでのところで飲み込んだ。
ラウルスはひどくあたりを警戒するようにキョロキョロとし、一軒の家の中に入っていったのだ。
そこは、ヴィーの家だった。
どうして?
いや、幼なじみの二人が会うことは別におかしくない。変なのは、ラウルスがコソコソと人目を忍ぶようにヴィーの家に入っていったことだ。
そういえばこの前マーサ婆さんの家にヴィーが冷蔵庫とレンジを持ってきたとき、運んでたのはラウルスだった。あの時は何も思わなかったけど、今思えば……アヤシイ。私抜きでも二人が会っていたってことだよね。
確かにヴィーは私でも血迷いそうになるほどに可愛い。錬金術師としての才能もあるし、友達思いだし、ラウルスが好きになってもおかしくない。
でもさ、私たち、付き合い始めたばっかりだよ!? いきなり浮気っておかしいよね? ヴィーを好きになるなら、もっと前に好きになっとくべきじゃない??
私はヴィーの家に乗り込むかどうか迷った。そしてしばらくその場にとどまった後、ため息をついて山猫亭の方へ歩き始めた。そんな修羅場に挑む度胸がない。
「どうしたんだ、アンナ」
「そうだよ、そんな死んだみたいな顔をして」
「……別に。昼の仕込み、手伝う」
両親がおかえりも言わなかったことを鑑みると、私はよほど暗い顔をしているらしい。
いや、でもさ、私が落ち込むのっておかしいよね? 悪いのは浮気しているラウルスなんだもの。平凡サブキャラな私から美少女ヴィーに乗り換えるなんて、ありえないよね? そう考えたらなんだか腹が立ってきたんですけど。
ダンッ、ダンッ
私は大きな音を立てて皮を剥いた大根を輪切りにする。今日は大根と厚揚げの煮物を作るつもりなのだ。厚揚げに染み込んだ醤油味の出汁が噛むとじゅわわ~と染み出して美味しい。その旨みを大根が余すことなく吸い上げ、さらに美味しくなる。
横で父親のパウルが怯えた顔をしているけど知ったことじゃない。
私は輪切りにした大根を執拗に面取りし、最後に上に散らす用の小葱を細かく念入りに刻んだ。
くそう、あのヘタレイケメン野郎。今度会ったら三枚におろしてやるんだからっ!
その日のランチタイムスタート時はお客さんもみんな口数が少なかった。笑顔を浮かべていたつもりだったけど、怒りの雰囲気が隠し切れなかったらしい。その点については反省だ。接客業に関わるものとして、プライバシーを仕事に持ち込んではならないのが鉄則。
私は早々に厨房へ追いやられ、珍しく父親が接客に回った。
ギイィ、カランカラン、と音を立て、入口の扉が開く。
「いらっしゃいませー」
笑顔、笑顔。
半オープンキッチンのようになっている厨房から声を出して入り口をひょいと見ると、新しく入店した客は諸悪の根源であるラウルスだった。
ビシリ、と私の笑顔が強張るのが分かる。
いつものように騎士風のジャケットをラフに着こなすラウルスは、席に着くことなく私の方へやってきた。食事を取りに来た訳ではないらしい。
「どうしたの? 何か私に用事?」
ラウルスは私の強張った笑顔には全く気付いていない様子。それもそのはず、彼の方も思い詰めたような顔をしていて、私の顔をよく見ていないようだった。
「アンナ。昼の営業が終わったら、広場に来て」
ラウルスはそれだけ言うと逃げるように食堂を出ていった。
別れ話だ……!
ぴんときた。間違いない。きっとラウルスに言われるんだ、「ヴィーのことが好きになったから別れてくれ」って。
ちょっと、全く知らない女ならまだしも、私の親友でもあるヴィーに乗り換えるなんてひどくない? 私たちの友情を壊す気? しかもこんな小さな町でそんなことするなんて、私の面目丸潰れじゃない。何たって町中の人が私とラウルスが付き合っていることを知ってるんだから。
……いいじゃん、上等じゃん。そっちがその気なら受けて立ってやる。
食堂内はもはやお通夜のように静まり返っていた。
「アンナ、もうあがったらどうだい? 片付けは私たちがやっとくから」
いつもは仕切り屋の母親カティが、腫物を触るように言う。
「ありがとう。そうさせてもらうわ。じゃ、広場に行ってくるから」
エプロンを外して髪を結び直し、私は厨房を出る。
「待て、アンナ。包丁は置いていってくれ! 頼むから!」
チッ。
私は心の中で舌打ちをしてから手にしていた包丁をパウルに渡し、山猫亭を後にして広場へ向かった。
広場は町の中央にある、見通しの良い公園のような場所だ。
噴水のような洒落たものはなく、花壇とベンチがたくさん並び、町人の憩いの場になっている。いつもはお年寄りや子供たちがたくさんいるのに、今日は誰もいない。
その中央、一際大きく丸い花壇の前のベンチにラウルスがいた。
「……お待たせ」
「早かったな。もう仕事の方はいいのか?」
「……うん」
私はラウルスの隣に腰かけた。もっとも、私が座ったのは同じベンチの端だったけど。
さあ、手短に話せ。私を裏切ったことを。懺悔くらいは聞いてやる。
自分の中の黒アンナが今にも溢れ出しそうなのに、なぜかラウルスは急にモジモジしはじめた。
「今日はアンナに渡したい物があって」
「渡したい、物?」
言いたいことではなく、物、とは。なんだなんだ、この世界には別れ際に絶縁状でも渡すのか?
首をかしげていると、ラウルスは太い水筒を差し出した。
「これは……?」
飲み物でもくれるのか?
更に首を傾げた私に、ラウルスは水筒の蓋を開け、蓋に何かを注いだ。その途端に広がる、良い香り。熱々のようで湯気も見える。
「この、匂いは……!」
はっとして水筒の蓋を覗き込む。独特な香り、茶色いスープ。そこに入っているのは豆腐とニンジンやゴボウなどたくさんの野菜。
やっぱり! お味噌汁!
「な、なんでラウルスがこんなものを?」
味噌は前に腐妖精フモヤシに“鮭のちゃんちゃん焼き”のために作ってもらっていた。だけど味噌は好みが分かれるようで、山猫亭では出せないと両親に却下されて以来、作っていなかった。
「アンナはこのミソが好きだろ? それでミソを使った料理を俺なりに考えてみたんだ」
つまり、お味噌汁を自力で考え付いたってこと?
「すごいよ、ラウルス!」
私は今までの怒りも忘れて褒めた。
ラウルスは料理が得意ではない。騎士学校でも炊き出し訓練があったらしいんだけど、すぐに戦力外通告をされ、それ以来はもっぱら掃除ばかりしていたのだとか。そんなラウルスが自分で料理を、そしてお味噌汁なんてこの世界には無い料理を思いつくなんて、すごすぎる。
よく見れば不格好で不揃いな野菜たち。きっと頑張って作ってくれたんだろうな。
「もしかして、ヴィーの家で料理を作ってた?」
「うん。あれ、どうして知ってるんだ?」
キョトンとした顔で尋ねてくるラウルスに、気が抜けた。
「ちょっと、紛らわしいことしないでよ! こういう『彼女に内緒でサプライズ』パターン、少女漫画で1億5千とんで8回くらい見たから!」
「ショウジョマンガ? 1億5千……?」
ラウルスは更にキョトン顔で首をかしげている。ゲーム世界のラウルスに少女漫画の王道なんて分かりっこない。
「ううん、何でもない。こっちの話」
慌てて手を左右に振る私を見ながら怪訝そうな顔をしていたけれど、ラウルスは気を取り直したように制作秘話を語ってくれた。
「アンナと、つ、つ、……付き合った記念に何か贈り物をしたくてヴィーに相談したんだ。そしたら『アンナは心のこもったものなら何でも喜ぶ』って言ってさ。それなら料理かなと思って。全くあいつときたら、味噌作りは手伝ってくれたものの、それ以外は全く手を貸してくれなくて……い、いや、全部自分の手で作りたかったからそれでいいんだよな、うん」
ラウルスは愚痴を言いかけてすぐに取り消した。四苦八苦して料理するラウルスを完全に無視しながら錬金術の研究をしているヴィーの姿が目に浮かんで笑いそうになった。
ラウルスの指には包帯が巻かれている。おそらく慣れない包丁で料理をしたのだろう。
「ヴィーに治してもらえばよかったのに」
ヴィーの家には錬金術で作った治癒の雫があるはずだ。それを飲めば些細な傷なんて一瞬で治る。
「こんな傷くらい、すぐ治る。それに、アンナのためにできた傷なら、悪くない」
「意地張っちゃって」
「とにかく、冷めないうちに食べてみてくれ」
ラウルスがフォークを差し出す。
「うん、いただきます」
私は湯気の立つお味噌汁にふうふう息を吹きかけてから食べた。
出汁が入っていない。野菜の火の通り加減にバラつきがある。そもそも、お味噌汁に入れるには野菜が大きすぎる。
だけど、今まで食べたお味噌汁の中で、一番美味しかった。
「ど、どうだ……?」
「美味しい。すっごく美味しい。ありがとう」
私の目からは言葉と共に涙がこぼれだした。
「えっ、どうして泣いてるんだ? 俺、何か悪いことしたか!?」
涙を見て狼狽えるラウルス。その様子を見てたら安心してしまって、更に涙は溢れた。
「ラウルス、がっ、ヴィーのこと、をっ、好きになったのか、とっ、思ったっ!」
「俺が!? ヴィーを? ……やめてくれ、ありえない!」
嗚咽交じりの私の言葉を、ラウルスは即座に否定してくれた。
「俺はアンナだけだ! 今でも、これからも、ずっと、アンナだけが大好きだ!」
ラウルスはそう叫ぶように言い、我に返ったようで、顔を真っ赤にした。顔だけじゃなくて耳や首まで真っ赤っかだ。
否定してくれただけれも嬉しいのに、また好きって言ってくれるなんて、幸せでどうにかなっちゃいそうだ。嬉しさで涙は止まり、私の顔まで熱くなる。
ラウルスがじっと私を見つめる。私もラウルスを見つめ返した。
ラウルスの灰色の瞳。通った鼻筋。赤茶の髪。まるで日向のような、人懐っこいワンコのような、温かくて優しい雰囲気。
ああ、私、ラウルスのことが好きだ。今まで自分で思っていた以上に。きっとラウルスも私が想像していた以上に私のことを好きでいてくれている。
そして、ラウルスの顔がゆっくりと近付いてくる。何をされるかなんて、すぐに分かった。
私はそっと目を閉じて……。
「ストーップ!」
いきなり声が聞こえ、びっくりして目を開く。するとベンチの後ろにはいつの間にかヴィーが立っていた。せっかく可愛い顔をしているのに、今はその眉を吊り上げている。
「ラウルスのくせに私のアンナに口づけするなんて、100年早いわよっ!」
「ヴィー、何でここに!? 邪魔するなって言っただろ!」
「邪魔するに決まってんでしょーがっ!」
恥ずかしさで顔の赤いラウルスと怒りで顔の赤いヴィーが言い争いを始めてしまった。状況把握が遅れた私は置いてけぼりだ。
すると背後がザワザワとしだした。
「ちょっとヴィーちゃん。恋に突っ走る二人をじゃましちゃいけないよ」
「そうそう。馬に蹴られてなんとやらってさ」
「あーあ、せっかくチューするとこ見れると思ったのになー。ちぇっ」
「全くあんたは、マセガキだねっ」
振り返って見れば、町の人たちがぞろぞろと植え込みの中から出てくる。
「えっ、ちょっとみんな、何でここにいるの!?」
「だってよう、アンナちゃんとラウルスが修羅場だって聞いたから、ここぞって時は止めなきゃと思ってよう。そしたら喧嘩どころかイチャイチャが始まって、俺たちもどうしたもんかと」
代表で山猫亭常連のおじさんが頬をポリポリしながら申し訳なさそうに説明する。
つまり、何? ランチタイムの私の尋常じゃない様子を見て、町中に噂が広がってみんなで見物してたってこと? もうすぐ私とラウルスのキスシーンがみんなに見られてたかもしれないってこと?
「~~~~~~~~っ!!」
私の羞恥心と怒りは頂点に達した。
「見世物じゃないってば! 早くみんなどっか行って! 今すぐ!! みんなの、バカ―っ!!」
私の魂からの叫びは、町中に響き渡った。
☆今日のレシピ☆
~大根と厚揚げの煮物~
・大根
・厚揚げ
・ネギ
・出汁
・醤油
・砂糖(あれば料理酒やみりんも)
~具だくさんお味噌汁~(ラウルス作)
・豆腐
・にんじん
・ゴボウ
・レンコン
・大根
・味噌
お味噌汁は出汁を入れてね!
出汁を入れない場合は豚肉を入れるとおいしい豚汁になるよ!




