39 絆が深まる夜には、チーズスフレ
その日、私は頭痛に悩まされていた。
うーん、あまり痛くはないし、どちらかというと肩こりや眼精疲労とかからくる頭痛かも。
「どうしたんだい、頭なんか押さえて。まさかどこか痛いんじゃないだろうね?」
とりあえずマッサージしとくか、と頭に手をやっていると、カティが気遣わしげな顔をしながらやってきた。
「ううん、大丈夫。心配しすぎだよ、お母さん」
カティは私の体調を何かと気にするのだ。
するとカティは、だって、と口を尖らせる。
「ほら、随分前に階段から落ちて気を失ったことがあっただろう? お前の顔がみるみる青ざめて呼吸も止まって、あの時は肝が冷えたよ。幸い、すぐに長い溜め息をついたかと思ったら頬にも赤みが戻ってきたんだけどね。だから心配なのさ」
「それ、本当?」
慌てて尋ねた私に、カティは頷く。
階段から落ちたのって、私がこのゲーム世界に転生してきた時だよね。
顔が青ざめて呼吸が止まるだなんて、大事だ。
私が現実世界で死んじゃったのと同時期(?)にアンナレーナも死の淵をさまよっていただなんて、偶然にもほどがある。
うん? 待てよ?
もしかして……と私の頭の中にはある考えが浮かんできた。
もしかして、アンナレーナは私と同じで一度死んじゃったんじゃないのかな?
その時に私たちの魂が入れ替わったとか?
今頃、本物のアンナレーナは、飯盛杏菜として暮らしているのかもしれない。
ゲームで事前にこの世界を体験していた私と違って、アンナレーナは大変だっただろうな~。
高層ビルを見て、腰を抜かしたかも?
それとも、テレビを見て、中に小人が入ってると勘違いしちゃったかな?
電子レンジで生卵を爆発させちゃってるかも!
なーんてね。
ふふ、アンナレーナがわたわたしてるとこ、見たかったなあ。
まあ、全部私の想像にすぎないけど。
私がアンナになったんだし、気にしても仕方がないよね!
「大丈夫だよ。どこも痛い訳じゃないから。それよりも、今日もお客さんが多いね」
私は元気な様子を見せるために、両手を広げる。
それを見てようやくカティは眉間の皺を元に戻した。
「ありがたいことさ。あんたがヴィーちゃんに習ってきた料理を作りだしてから、この食堂は変わったよ」
カティは私が作る料理をヴィーから習っていると勘違いしているのだ。
でも、私がこうして好きな料理を作っていられるのもヴィーのおかげだよね。
彼女には色んな料理器具を作ってもらったり、料理を手伝ってもらったりしてるし。
これは何か恩返しでもしないと、ばちが当たるんじゃない?
ヴィーに何をしてあげたら喜ぶんだろ?
料理はいつも作ってるし、何かプレゼントでもあげようかな。
うーん、結構長く一緒に過ごしているけど、何が欲しいのかは分からないなあ。
そうだ! 明日一日、ヴィーをこっそり観察してリサーチしよう!
翌日、私は夜明けとともに起きた。
そして手際よく料理の仕込みを済ませ、町のはずれにあるヴィーの家へ向かう。
一階の窓が開いているのが見える。
ヴィーはすでに起きているようだ。
窓に近付いてこっそりと覗く。
窓からは居間がよく見え、錬金部屋と台所の扉も見える。
すると、ヴィーが二階から下りてきた。
そして大きな籠を抱える。
その籠は洗濯用なので、これから洗濯をするに違いない。
私は家の裏手にある井戸へと先回りし、草むらの陰に身を隠した。
だけど、ヴィーはなかなかやって来ない。
もしかして籠を移動させただけなのかな……と疑問に思っていると、ヴィーは折り畳み出来そうな台車に一抱えほどの円柱型の樽を乗せていて、それを押してきた。
樽の上からは洗濯物が覗いている。
井戸端に装置を置いたヴィーは、そこに井戸水を汲み、石鹸を小さく切り出して投入した。
そして横に付いてるハンドルを回し始めた。
すると水音が鳴り始め、上から覗いていた洗濯物がくるくると回転した。
あれは錬金術で作った手動の洗濯機に違いない。
そんな物まで作り出していたなんて、さすがヴィー。
おまけに樽の縁にはローラーが付いていて、脱水も可能な装置だった。
瞬く間に洗濯を終えて洗濯物を干したヴィーは、今度は台所へと向かう。
しばらくするといい匂いが漂ってきた。どうやら朝食の準備をしているらしい。
おっ、この香りは和食ですな?
フモヤシが作った味噌を使って味噌汁を作っているようだ。私の料理を家でも作ってくれているなんて、かなり嬉しいな。
ヴィーが食事を済ませた頃、玄関の扉がトントンと音を立ててノックされた。
うん? 誰かお客さんかな?
角の壁からこっそり覗くと、来客は中年の女性だった。
ヴィーは「お待ちしておりました」と言って相手を家に招き入れる。
その他人行儀な口調から、おそらく錬金術の仕事の依頼人だろうと推察する。
暇なのでその辺の草むしりをしながら待っていると、ほどなく女性が家から出てきた。
ヴィーの姿は見えない。
錬金部屋に籠ってしまったのだろう。
おっと、そろそろランチタイムの準備のために山猫亭に帰らなきゃ。
私はもはや通り慣れた道を走って山猫亭に戻った。
ランチタイムも大盛況だったので、片付けとディナーの仕込みが終わるころには夕方になっていた。
再びヴィーの家に向かって様子を窺うと、ちょうど錬金部屋から出てきたところだった。
もう、錬金術は終わったのかな?
ヴィーはそのまま台所へと向かう。
すると、また食事のいい香りがしてくる。
ちょっと早めの夕飯にするようだ。
今日はもう情報は得られないかな……と肩を落とし、足元の小石を蹴った時だった。
「夕飯が出来たわよ、アンナ」
なんと、窓から当のヴィーがひょいっと顔を出したのだ。
「あははー。気付いていましたか」
「朝からね」
うわ、まさか最初っからバレていたとは。
頑張って気配を消したつもりなんだけどな。
「楽しそうだったから、あえて放っておいたのよ。一体何をしていたの?」
「そうだったんだ。ごめん、日頃のお礼に贈り物をしたいなと思ったんだけど、ヴィーの好みがよく分からなくて」
「だったら直接聞いてくれたら良かったのに」
「それじゃ意味ないよ」
サプライズなんだから、「どうして私の欲しいものが分かったの? アンナには言っていなかったのに!」って言わせたかったんだよね。
まあ、見事に失敗して今洗いざらい白状しちゃってる訳なんですけども。
「少し早いけれど、まずは一緒に夕飯を食べましょ。冷めてしまわないうちに」
「じゃあ、ごちそうになります~」
私は家の中に入れてもらい、配膳を手伝う。
夕飯のメニューはチキンステーキと豆腐を使ったサラダだ。
チキンステーキは醤油を開発した時に作った料理で、豆腐のサラダはヴィーのオリジナルだ。
「美味しー! ほんと、ヴィーは料理が上手になったよねー」
「アンナには到底かなわないわ」
私が瞬く間に平らげると、ヴィーが照れたように笑う。
最初に作ってくれたシチューに比べれば、雲泥の差だ。
それに、料理するのは好きだけど、人の作ってくれたご飯は格別に美味しく感じるよね。
何よりももてなそうとしてくれるその気持ちが嬉しいし。
「そういえば、今日の依頼は何だったの?」
「ああ、あの依頼者のお母様の歯が弱くなって、大好きなチーズが食べられなくなったそうなの。それで、柔らかいチーズを作ってくれっていう依頼だったわ」
「へー。温めれば柔らかくなるんじゃない?」
「温かいチーズは嫌みたいなの」
そいつは難しい問題だ。
冷たかろうが温かろうが、チーズはチーズなのに。
でもいるよね、生のトマトは嫌いだけどピザとかに乗ってる温かいトマトなら大好物とか言っちゃう人って。
「それで作ってみたのがこれよ。アンナがアイスクリームを作った時にナマクリームの作り方を教えてくれたでしょ? それを使ってみたんだけど、味見してみてくれないかしら」
ヴィーが差し出したのは、白っぽい塊だった。
その塊を一つもらい、口に入れると、とても濃厚でミルキーな味のするクリームチーズの味がした。
「わー、これならきっと依頼者の人も喜ぶよ!」
市販のと違って塩気は無いけれど、パンに塗ってもサラダに乗せてもきっと美味しくなるだろう。
難点は、冷蔵じゃないと保存できないことくらいかな。チーズと違って賞味期限も短いだろう。
「そうだといいんだけど。ねえ、アンナ。これを使って何か料理を作ってみてくれないかしら? 加工した時にどんな味になるか確認したいのよ」
「お安い御用ですよ! じゃあ、食後のデザートなんてどうかな?」
「わあ、素敵! そういえば依頼者のお母様も甘いものが好きって言ってたわ!」
私たちは汚れた食器を持って、台所へ向かった。
嬉しそうに洗いものをしているヴィー。
前にチーズ料理を作った時の様子から察するに、彼女もチーズが好物っぽいから、喜んでくれるといいな。
私はそのよく整頓された台所を眺めた。
最初にここに来た時は、鍋が錬金窯しかなくてそれで料理をしたよね。
それなのに、今ではまるで料理研究家並の調理器具が揃っている。
私が持ち込んだり、ヴィーが買ったり作ったりして、ちょっとずつ増えていったんだけど、それはつまり私とヴィーの積み上げてきた時間の成果だよね。
何だか感慨深いなあ。
おっといけない、思い出に浸りそうになる前に調理に取り掛かろう。
材料は、クリームチーズと卵と砂糖のみ。
クリームチーズを湯せんで温めて柔らかくし、溶いた卵黄を加えながら滑らかになるまでよく混ぜる。
別のボウルに砂糖と卵白を入れて角が立つくらいまで泡立てて、三回くらいに分けてさっくりと切るように混ぜ合わせる。
ケーキの型に流し込み、石窯で軽く焼き色が付くまで焼く。
木串を刺して生地がくっついてこなければ出来上がりだ。
「出来た! 簡単美味しい、チーズスフレ!」
ヴィーがお茶を淹れてくれて、私たちはさっそく味見をすることにした。
「なんてふわふわなの……! 焼いたのにしっとりしていて、チーズの香りが強くなっているわ!」
あんなに簡単そうに作っていたのに、すごいすごいと褒めてくれた。
「それで、何が欲しいかなんだけど」
「あら。お礼なんて、これを作ってくれただけで十分よ」
「こんなんじゃ、ちっともお礼にならないよ」
「じゃあ、今夜はうちに泊まっていってくれない? 前はセレスも一緒だったけど、今日は二人きりで語りたい気分なの」
「そんなことでいいの?」
「そんなことが、いいのよ」
分かったような、分からないような。
とにかく、私は一度山猫亭に戻って仕事を済ませ、外泊の許可を取って引き返した。
そして今回はヴィーのベッドに二人で寝ることにする。
少々狭いため、ヴィーの長くて綺麗な水色の髪が私の頬をくすぐった。
「思い返してみれば、色々なことがあったわね」
「色々なこと?」
「アンナの料理開発に付き合ったり、逆に私の採集に付き合ってもらったりして、色んな所に行ったじゃない。ベアやセレス、ジークハルドさんたちとも出会いもあって……。今までの生活が一変したわ」
ヴィーは今までに行った場所で起こったことや、食べた料理を事細かに語った。
今まで作った料理を覚えていてくれて、嬉しいな。
確かにこれまで色んなことがあったよね。
ゲームの世界に転生して驚いていたけど、ヴィーがいてくれたからちっとも寂しくなんてなかったし、毎日何が起きるのかってワクワクしてたなあ。
「そうそう、朝使ってた洗濯用の装置。お母さんにプレゼントしたいんだけど、お値段ってどのくらいなの?」
「ああ、あれね。明日にでも作ってあげる。お金なんていらないわ」
無料でいいわよ、と言うヴィーに、私は首を振った。
「だめだよ、そんなこと。こんなすごい技術なんだから、ちゃんと対価を取らなきゃ」
思い返せば、今まで簡単にもらい過ぎていたよね。
錬金術を生業にしている以上、いくら友達でも、いや、友達だからこそ、今後はちゃんと代金を支払わないと。
押し問答の末、貰いものをカティにあげるわけにはいかない、という説得でようやくヴィーは料金の受け取りを承諾してくれた。
「ラウルスも呼んだら良かったかしら」
「でも、今日は女子会だし。ラウルスに女装でもさせる?」
私が冗談を言うと、ヴィーが嫌そうに眉を寄せた。
「やめて。想像しただけで気分が悪くなるわ」
「そういえば、ヴィーの作った性転換エキス! あれをラウルスに飲ませてたら、もしかしたら本当に女の子になっていたかもしれないよね」
「あの時は焦ったわね。でも、もし本当に女の子になっていたら、責任取って嫁入り先を探してあげるわ」
そこで目を合わせ、どちらともなく我慢できずに笑いだした。
ラウルスが花嫁衣装を着ているところを想像したら、笑うしかないよね。
顔はいいから、意外と似合っちゃうかも。
それから私たちは先を争うように今までの出来事を語った。
「アンナ? もう寝たの?」
いや、まだ寝てないよ。
でも、それも時間の問題かもー。
「あなたのことが大好きよ。たとえ、あなたが、……どこの誰でも、ね」
こめかみに唇が落とされる感触を、かすかに感じる。
やっぱり、ヴィーは気付いていたんだね。
私が本物のアンナレーナじゃないことを。
だけどずっと黙っていてくれてたんだね。
ありがとう。私のことを受け入れてくれて、本当にありがとう。
心の底からヴィーに感謝しながら、私は眠りについた。
■今日の錬金術
●チーズスフレ
・クリームチーズ
・卵
・砂糖
■今日のラウルス君
出番無し。でもアンナの夢を見つつ、ベアをぎゅうぎゅうと抱きしめヘヴン状態!




