37 酸味が効いたトマト料理と、酸っぱい恋の選択
「おや、アンナちゃん。おつかいかい? 偉いねえ」
八百屋のおばちゃんが声をかけてくる。
おつかいって、私をいくつだと思ってるんだろう?
でも彼女は私がオムツをしている頃から知っているらしいから、いくつになっても子供に見えちゃうんだろうな。
あ、オムツをしている頃のアンナは転生前の私じゃないアンナの方なんだけどね。
だから私は恥ずかしくないよ。
セーフ、セーフ。
「あれ、おばちゃん。トマトがやけに安いね?」
平たい籠に山盛りになっているトマトの値段を見て、私はおばちゃんに尋ねた。
ただでさえ安いトマトが、いつもの半額くらいになっている。
しかも、妙にデカくね?
全部小ぶりなカボチャくらいあるなあ。
「最近寒い日が続いただろ? それでトマト農家が錬金術師にいい肥料を作ってくれって依頼したらしいのさ」
「ふんふん。それで?」
「完成した肥料を土に混ぜたところ、大きなトマトがすごい勢いで生ってしまって、例年の倍の収穫があったらしいよ」
「えー! それはすごいね! 農家の人たちも喜んだだろうねー」
「ところが、でき過ぎてしまったために値崩れを起こしたのさ。そこで農家に安くするから買ってくれって頼まれてね。まだまだ在庫がたっぷりでウチとしても困ってるんだよ」
「ほー!」
そうか、数が多すぎても困っちゃうのか。
世の中うまくいかないもんだね。
でも名案を思いついた私の中でだけは、うまくいきそうだよ。
「じゃあ、おばちゃん。トマト、あるだけちょーだい!」
「あるだけ!? いいのかい? カティに怒られやしないかい?」
「うん、大丈夫―!」
母カティは私が何を仕入れてきても、基本自由にさせてくれるのだ。
確かに大量だから驚きはするだろうけどね。
私は自分の手と同じくらいの大きなトマトを見て、ニンマリと笑った。
そろそろアレを作ってみたかったんだよね。
真っ赤な色の調味料で、ポテトフライや揚げ物に付けると美味しい、マヨネーズと人気を二分する素敵なアイツ。
そう、ケチャップ!
これだけ安かったらたくさん作れるし、トマトピューレにしてトマト料理の開発をするのもいいかも。
あっ、でも、全部使い終わる前に腐っちゃわないかな?
ああ、長期保存が出来たらいいのにな。
蓋付の瓶があれば、熱湯で瓶を温めて、中の空気を抜いてさ。
こういう時は、ヴィーに相談してみよう。
トマトを山猫亭まで運んでもらうように頼み、私はヴィーの家に向かった。
「ヴィ~イ~ちゃ~ん。あっそびっましょ~!」
「は~あ~い~!」
近所の子供の口調を真似て、玄関のドアをノックする。
するとヴィーはノッて返事をしてくれた。
お茶を淹れてくれたヴィーは、ワクワクした目を向けてくる。
「それで、今度は何を思い付いたの?」
「ああ、分かっちゃう?」
「もちろんよ。だってアンナの目がまるで宝箱でも見つけたみたいにキラキラしてるんですもの。それで? 今回はどんなものが欲しいの?」
「あのね、食料を保存する容器なんだけど」
私はヴィーに欲しいものを口頭で説明した。
その蓋はできたら錆びにくい金属が好ましい。
瓶と同じ素材では、気密性が低いからだ。
上部にらせん状の溝があって、それに沿って蓋を回せば閉まり、密封できる、大きな瓶。
ヴィーは私の話を聞き、何やら複雑そうな計算式(?)を書き始めた。
「そうね。小瓶を五つ、石灰石を三つ、鉄片を二つ、中和剤を一つってとこかしら」
そして錬金部屋に向かい、必要な材料を錬金窯に投じて火を入れる。
すると錬金窯が光って……
一瞬光ったと思ったら、すぐに消えてしまった。
「何? どうかしたの?」
「……失敗したわ」
それを見たヴィーが表情を曇らせた。
ヴィーでも失敗することがあるんだね。
いや、当然なんだろうけど、今まで何でも作ってくれていたから、彼女の錬金術が完璧で万能だと思い込んでいたんだよね。
それはひとえにヴィーの努力の賜物なのにさ。
反省しなきゃ。
「失敗することだってあるよ。人間だもの! 自分で何とかしてみるから、もう大丈夫だよ。いつも頼ってばかりでごめんね。ありがとう!」
私は精一杯感謝の気持ちを伝えた。
だけどそれは逆に彼女の闘志を燃やしてしまったようだ。
「待ってて、絶対に作ってみせるから。アンナは先に料理に取り掛かっていてくれないかしら?」
おおっ、ヴィーの瞳の中に真っ赤な炎が見える。
負けず嫌いの本領発揮だ。
「分かった。待ってるね!」
ヴィーを信じてるから、多くは語らない。
私たちは熱い握手を交わして別れた。
そして私は一人で山猫亭に戻った。
よぉーし、まずはトマトピューレを作ろう!
材料は、トマトと塩。
これだけ。
トマトはヘタを取って水で洗い、適当に乱切りする。
大鍋にトマトを入れ、三十分ほど煮込む。
それを裏ごしして皮と種を取り除く。
裏ごししたものをまた鍋に戻し、水分が三分の一減るくらいまで煮詰め、塩を入れる。
これでトマトピューレの完成だ。
出来上がったばかりのトマトピューレを使って、次はケチャップを作ろう。
材料は、トマトピューレ、タマネギ、ニンニク、塩、コショウ、酢、鷹の爪、ローリエっぽい自家製ハーブのスパイス。
タマネギはみじん切り、ニンニクは皮を剥いて包丁の背で潰す。
鍋に塩と酢以外の材料を全て入れ、中火で煮詰めていく。
水分を飛ばし、全体の量が三分の二程度になったら一度漉して鍋に戻す。
塩と酢を加えて味を調え、好みの硬さになるまで更に煮詰める。
余熱で火が通るので、一歩手前のところで火から下ろすのがポイントだ。
「出来た! 甘くないケチャップ!」
市販のケチャップってすごい砂糖が入ってるから、今回は砂糖なしのケチャップを作ってみたかったんだよね。
粗熱が取れたケチャップを指ですくって舐めてみる。
うん、酸味が効いてて美味しーい。
「お待たせ、アンナ……!」
すると、ヴィーが息せき切って山猫亭にやってきた。
綺麗な水色の長い髪がやや乱れている。
よっぽど急いで走ってきたみたいだ。
「いやいや、全然待ってなかった……ううん! 待ってた! 超待ってたよ!」
待ってなかったから気にしないでという意味だったんだけど、ヴィーが悲しそうな顔をしたので慌てて言い直す。
言葉って難しいね。
「見てもらえる? アンナの言っていた通りに作ってみたわ」
「うわ、これこれこれー!」
ヴィーが鞄から取り出した二つの瓶を見て、私は嬉しい悲鳴を上げた。
それはブリキっぽい素材の蓋が付いた大きな瓶で、イメージ通りのものだった。
私の笑顔を見て、ヴィーはほっとしたようで、ようやく頬を緩めた。
「あれからそれぞれの配分を変えて何度もやってみたんだけど、ことごとく失敗したのよ。そこで、鉄を錫に変えてみたら、一発で出来たの。残りは後でラウルスに運んできてもらうわ」
家まで呼びに行ったら留守だったそうだ。
一つの瓶が大きくて重いから、大変だろうな。
でもラウルスなら嫌な顔一つせずに運んでくれそうだよね。
「結果を知りたいから、さっそく使ってみてくれないかしら? 料理の方はどう?」
「ちょうど完成したところだよ」
私はヴィーを厨房に案内し、出来上がったトマトピューレとケチャップを披露した。
瓶を煮沸し、乾かす。
乾いた瓶にトマトピューレとケチャップをそれぞれ詰める。
鍋に瓶の三分の二程度のお湯を沸かして、蓋を開けたままの瓶を15分くらい、蓋を閉じて20分くらい、ぐつぐつと煮る。
瓶を取り出して熱が取れたら完成。
中が真空になって保存が効くようになるのだ。
ヴィーが錬金術で作った瓶と蓋は、気密性が高く、大成功だった。・・・
「すごいよ、ヴィー! これで長期保存が出来るよ!」
「良かったわ。たくさん使ってね」
「うん! 本当にありがとう!!」
ヴィーは夜にまた来ると言って帰っていった。
よーし、これでしばらくはトマト料理フェアが出来るぞー!
さっそくトマトピューレかケチャップを使った料理を作りたいんだけど、何にしようかな。
すると食堂の扉が開き、ラウルスとジークハルドさんという意外な組み合わせの二人が顔を覗かせた。
「二人とも、どうしたの!?」
「ちょっと釣りに行ってきたんだ」
ヴィーがラウルスは不在だと言っていたけど、まさかジークハルドさんと出掛けているとは。
見れば、二人の後ろには長方形の籠がある。
その中には名前は分からないけど黒っぽい魚がたくさん入っていた。
白身魚で、焼いて食べるのが一般的なんだそうだ。
籠が二つあるってことは、それぞれが釣った魚を別々に入れているのかな?
「数は俺の方が多いぞ」
「でも、私の釣った魚の方が大きいよ」
二人は勝ちは譲らないぞといった風に睨み合っていたけれど、終いにはぷっと吹き出して笑い始めた。
楽しそうだなあ。何だか最近私のことそっちのけになってない?
まあ仲良きことは美しきかな、でいいことだよね。
「アンナ、この魚で何か美味いもの作ってくれないか?」
「私からも頼むよ」
魚料理か。今はトマト料理が作りたくてウズウズしてるんだけどなあ。
うん? 待てよ?
トマト料理といえば漠然と肉料理ばかりを考えていたけど、別に魚料理でも問題はないよね?
そうだ! ハントンライスなんていいんじゃない!?
ハントンライスっていうのは、簡単に言えばオムライスの上に白身魚のフライが乗った食べ物だ。
ケチャップとタルタルソースの絶妙なマッチングが楽しめる料理である。
ボリュームがあるから、男の人に出すにはもってこいのメニューだし。
「任せて! 最高に美味しい料理を作ってみせるから!」
私にもヴィーの闘志が乗り移っちゃったみたい。
ラウルスとジークハルドさんに頷いて見せると、私は意気揚々と厨房へ向かった。
まずは白身魚を三枚におろし、塩コショウで軽く味付ける。
小麦粉をはたき、溶き卵にくぐらせてパン粉を付ける。
揚げ油が温まるのを待つ間にケチャップライスを作る。
フライパンでみじん切りにしたタマネギを炒め、火が通ったら同じくみじん切りにしたニンジンを入れて炒める。
そこにケチャップと塩コショウを入れて、ケチャップの水分を飛ばしたらご飯を入れて更に炒める。
揚げ油が温まったところで、白身魚のフライをきつね色になるまで揚げる。
そしてボウルに卵、塩コショウ、ヤギのミルクを入れてかき混ぜ、ヤギのバターを溶かしたフライパンで中がとろとろのオムレツを作る。
お皿にケチャップライスを盛り、その上にオムレツを乗せてケチャップをかける。
更にその上に白身魚のフライを乗せ、上からタルタルソースをかける。
出来た! ボリュームたっぷり、ハントンライス!
「お待たせしました~」
私がそれぞれの前にお皿を置くと、ラウルスは目をぎょっとさせた。
「ち、血が乗ってるぞ!? アンナ、怪我をしたのか!?」
「いや、これは血じゃなくて……トマト、かな?」
「ジークハルドさん、せいかーい!!」
さすが料理男子。見ただけで分かるなんてすごい。
「何だ、トマトか。じゃあ、いただきます!」
ほっとしたラウルスは現金にもさっそくハントンライスを食べ始めた。
私の口癖である「いただきます」を真似している。
「う、うみゃい! ジークも早く食べろよ」
「ああ、言われなくてもいただくよ」
おおっ、ラウルスがジークハルドさんのことを愛称で呼んでいる!
ジークハルドさんも憎まれ口を聞きながらも受け入れている様子。
今日、二人の間に一体何が!?
もしかしたら、私には入りこめないめくるめく男の世界が!?
ドキドキ!
……なーんて、冗談はこのくらいにしておいて、っと。
ジークハルドさんに乞われ、料理法を簡単に説明する。
ケチャップご飯と卵の組み合わせをオムライスと名付け、白身魚のフライと合わせてハントンライスと名付けた、と説明した後で料理の感想を聞くことにした。
「お味はどうですか?」
「うん、とても美味しいよ。このトマトのソースは濃厚な味がするね。ご飯にも入っているようだけど、そちらは味が薄目だからくどくならない。卵も完全に火が通っていないからとろみがあって柔らかいよ」
ジークハルドさんは舌も敏感なようで料理の一つ一つに感想をくれる。
「白身魚を揚げたものとこの白いソースも相まって絶妙な組み合わせになっているね。一皿で二つの料理が食べられて、楽しいよ」
「良かったです! 二つの料理が一皿に乗ってるとお得感がありますよね~」
「君はどっちが好きなのかな?」
「私ですか? そうですね、やっぱりオムライスですかね」
私がそう言うと、ジークハルドさんは首を横に振った。
「そうじゃなくて」
「え?」
「私とラウルスと、どっちが好きなのか、と聞いているんだよ」
「えっ? えっ?」
思いもよらないことを聞かれた私は、口をパクパクとさせた。
そんな私を見て、ジークハルドさんはニコニコしている。
気軽な世間話と見せかけて、いきなりなんてことをブッ込んでくるんだ!?
ラウルスも驚いたようで、ハントンライスを喉につまらせて咳込んでいる。
どっちか選んだら、こんな楽しい雰囲気の時を皆で過ごすことが出来なくなっちゃうのかな?
それは嫌だなあ。
「で、どっちなのかな?」
更に詰めてくるジークハルドさん。目尻に涙を浮かべながらも私の返事を固唾を呑んで見守っているラウルス。
「し、知りませんっ!」
この場の空気に我慢できなくなった私は、踵を返すと厨房へと逃げた。
後ろからはジークハルドさんの楽しそうな笑いが追いかけてくる。
いい性格しているよ、ほんと。
■今回の錬金術レシピ
●保存用瓶
・小瓶
・石灰石
・錫
・中和剤
●トマトピューレ
・完熟トマト
・塩
●ケチャップ
・トマトピューレ
・タマネギ
・ニンニク
・塩コショウ
・酢
・鷹の爪
・ハーブ
●ハントンライス
・白身魚
・塩コショウ
・小麦粉
・卵
・パン粉
・タマネギ
・ニンジン
・ケチャップ
・ご飯
・ヤギのミルク
・ヤギのバター
・タルタルソース
ケチャップのおかげでまた料理の幅が広がりそう!
■今日のラウルス君
ジークハルドさんとめくるめく世界へ!? ある意味ヘヴンだね!




