35 凍ったぶどうで錬金術! アイスワイン
「あまり離れるなよ。迷子になるから」
「もう、お父さんったら。子供じゃないんだから」
眩しいほどの朝日の中、目に入るもの全てが珍しく、夢中になって歩いていた私は父親であるパウルの言葉に頬を膨らませた。
迷子だなんて、いったい私をいくつだと思ってるんだろう?
私はパウルと一緒に近くの大きな町の市場へとやってきていた。
早朝も早朝だというのに市場にはたくさんの店と客が集まっていて、非常に活気があった。
ジステリアに市場は無い。
小売店がいくつかあるだけで、必要な物は各店舗へ買いに行かなくてはならない。
もう慣れたことだけど、非常に不便だ。
市場に行くのはパウルの仕事なのだが、彼も市場に来るのは久々だ。
以前パウルが卵の数を間違えて発注して以来、市場に行くことを母親のカティに禁止されていたからだ。
けれど私が一緒だったら、ということで久々に許可が下りたのだった。
「何か欲しいものがあったら言いなさい」
「分かった!」
数字は何とか読めるようになったので、私は色んな食材と値段を見て回った。
するとヤギの乳のチーズが並ぶ中、見たことのあるものが目に飛び込んできた。
丸くて厚みがある、円柱形のチーズの塊だ。
「こ、これ……!」
「おっとお客さん、お目が高い! こいつは牛のチーズでさあ。この辺では最安値だよ。さあ、買った買った!」
えらく威勢のいいお兄さんがグイグイと押してくる。
値段を見ると目玉が飛び出そうなほど高い。
牛は維持費がかかるので肉も高価なんだけど、どうやらチーズは更に高額らしい。
その額は山猫亭のひと月分ほどの売り上げに相当した。
うーん、カップラーメンで儲けたお金を出せば買えないこともないけど……
どうしようかな。
「もうちょっと安くなりませんか?」
「びた一文まけらんねぇよ!」
一文なんてこの世界には無いんじゃ?
と思ったけど、似たような言葉がうまく変換されているのかな、と自分を納得させる。
「そこを何とか!」
「二つ同時に買ってくれるなら、まけらんねぇこともねぇけど」
お兄さんは食い下がった私に条件をつきつけてきた。
二つ同時に買うお金は残念ながら持ち合わせていない。だけど。
「同時には無理だけど、二カ月……いや、三か月ごとに一つずつ買うっていうのはどうですか?」
「そ、それは本当か、いや、本当ですかい!?」
私が交渉すると、お兄さんは目の色を変えた。
目の色だけじゃなく、態度まで変わった。
さっきまで「さっさと帰れ」的な雰囲気だったのに、雲泥の差だ。
リアルで揉み手をする人、初めて見たなあ。
お兄さんはチーズの試食もさせてくれた。
想像していたよりも淡白な味だけど、支障はなさそうだ。
チーズは大きいし温度に気を付ければ保存も効くそうなので、三ヶ月ごとなら使い切れるだろう。
細かい値段交渉の攻防の結果、元値の七割程度で買うことが出来た。
今日買ったチーズは重かったので山猫亭に届けてもらうように依頼する。
「そんな高価なものを買って、カティに怒られるんじゃ……」
「大丈夫、大丈夫。元は取ってみせるから!」
チーズを使った料理、何がいいかなあ。
お客さんにこのチーズの塊を見せながら料理出来たらパフォーマンスにもなっていいよね。
たとえばチーズの上でチーズを削り取りながら混ぜるリゾットとか、温野菜に溶かしたチーズを乗せるラクレットみたいなやつとか。それぞれの料理に適したチーズは、これとは違うかもしれないけどね。
ああ、でもそれじゃあチーズがすぐに無くなっちゃうかな。
料理の値段も高く設定しなきゃいけなくなっちゃうし。
できればたくさんの人に安心して味わってもらいたいから、チーズの量が少な目でも満足できる料理を考えた方がいいかも。
うーん、何かいいアイディア無いかなー。
私は色んな料理に思いを馳せながら、残りの食材をパウルと買い、ジステリアへと帰った。
「遅かったね。何かあったのかい?」
「ちょっといいものを見つけたんだ」
「そいつは良かったね」
チーズを買ったことを打ち明けたところ、高額だというのにカティは全く怒らなかった。パウルがそれを見ていじけている。
カティ曰く、信用というものが違うそうだ。
お父さん、ドンマイ!
そんな和やか(?)なムードの中、入口の扉からヴィーが飛び込んできた。
息せき切って駆けてきたといった様子だ。
「そんなに急いでどうしたの?」
「お願い、アンナ。力を貸して!」
事情はよく分からなかったけれど、ヴィーが困っているのは明白だ。
私は両親に食堂を任せ、ヴィーと一緒に彼女の家へ向かった。
そして通された錬金部屋に山盛りになっていたのは、白ブドウの実だった。そのブドウは一粒残らず凍っている。
「ど、どうしてこのブドウ凍ってるの!?」
「モンスターにやられたみたいなの。それを錬金術でどうにかならないかって依頼されて……」
なるほど、モンスターにやられたから融けないのか。
でもいつ融けるか分からないからヴィーは急いで私のところにやってきたんだろうな。
「どうにかならないかっていうのは、具体的にどういう意味?」
「食べ物でも何でもいいから、活用法が無いか考えろってことらしいわ。せっかく成熟してるのにそのまま捨てると大損害だものね。それで、何かいい考えはない? アンナだったらきっと何か思いつくと思って」
そんなに期待されると困っちゃうな。
応えたいとは思うけどさ。
でも凍ったブドウの活用法なんて、一つしか思いつかないよ。
「やっぱりお酒にするしかないんじゃないかな」
「ブドウ酒のこと? 確かにこのブドウは甘みがものすごく強くてブドウ酒用のものなんだけど、凍っていたら作れないって農家の人たちは言っていたわよ」
ブドウ酒というのはワインのことだ。
雑味や渋みはあるけれど、それなりに美味しいお酒である。
「凍ったブドウで作ったお酒は甘みが強くて美味しいらしいよ。私も聞きかじっただけなんだけど」
テレビでそんなドキュメンタリーの特集を見たことがある。
凍ったブドウを温度の低い場所で醸造するために作るのが大変で、更に出来上がりの量も普通のワインに比べると少なく、貴族のワインと呼ばれるほど貴重なお酒だったそうだ。
ここで作るのは難しそうだけど、凍ったままのブドウとヴィーの錬金術があれば可能かもしれない。
ワイン作りはブドウを絞ることから始まる。
今回は凍ったまま絞る必要がある。
その後、発酵、ろ過、上澄みと沈殿した滓を分離する滓引き、熟成という工程が必要だ。
他にも色々な工程があった気がするけど、大まかにはこんな流れだった……はず。
「ブドウが無駄にならないならやってみる価値はあるわね。さっそく試してみるわ!」
凍らされたブドウはまだあるので、もらった分はどのようにしても(つまり失敗しても)かまわないのだそうだ。
ワイン作りの工程を説明すると、ヴィーはやる気をみなぎらせた。
どれくらいやる気をみなぎらせたかというと、ものの数分でブドウの圧搾機を作ってしまったほどだ。
籠に入れたブドウを上から一気に押し潰すというもので、凍ったブドウも瞬時に潰れてしまった。
それを漉して果汁を得る。
「発酵といえば、フモヤシよね」
ヴィーが名前を口にした瞬間、キラキラっと目の前が光ってフモヤシが現れた。
だけど目の前に現れたフモヤシは二人いた。
彼(?)らは瓜二つでまるで合わせ鏡のように同じ動きをしている。
「な、何でフモヤシが二人もいるの!?」
「ショーユに続いてナットウも作ってもらうようになったし、一人じゃ寂しいんじゃないかと思って増やしてみたの」
そうか、錬金術師に作られた人工妖精だからって、一人じゃ寂しいよね。
友達を作ってあげるなんて、ヴィーは優しいな。
「じゃあ、よろしくね」
フモヤシ1号2号は嬉しそうに頷くと、錬金部屋に籠って発酵を始めた。
今回はアイスワインの品質を保つために、氷玉を多めに投入する。
二人いるせいか、発酵はすぐに終了した。
その後、ろ過、滓引きを済ませ、熟成もフモヤシの力を借りる。
全てが終わるころには日が暮れていた。
「出来た……? っていってもちゃんと出来てるのかどうかよく分からないよね。味見してみようか」
「そうね。カップを持ってくるわ」
ヴィーが台所からカップを持ってきてくれ、私たちは完成したアイスワインをすくって口に含んだ。
「何これ、うまっ!」
「まるでキャンディーを食べてるみたいに甘くて濃厚な味ね!」
ヴィーの感想は良い得て妙で、あっさりしているのに味が濃いのだ。
だけどこのアイスワインが商品として通用するかどうか、私たちだけで判断するのは難しい。
「山猫亭のお客さんに味見してもらうのはどうかしら?」
「それは皆も喜ぶと思うよ」
私たちは完成したアイスワインを山猫亭まで運んだ。
市場で買ったチーズは、すでに届いていた。
「アンナちゃん」
戻ってきた私を呼んだのは常連の冒険者で、炭水化物好きのおじさんだ。
名前をクルスさんという。
ひげもじゃのおじさんなのに可愛い名前だ。
「これはお土産だよ。珍しいって聞いたもんだからよ、もらってきたんだ」
「わあ、ありがとうございます!」
クルスさんが背負っていた土に汚れた袋を床にどすんと置いた。
ウキウキしながら紐で閉じられた袋を開けると、中に詰まっているのは太くて長い根菜――山芋だった。
「これで酒のつまみになるようなもの、作ってくれよ」
「何だ、お土産って言ってもクルスさんが食べるつもりなんじゃない!」
「へへ、ここにもってくれば何かしら美味い料理にありつけるからな」
クルスさんは太い指で鼻の下をこすった。
もう、ゲンキンなんだから。
でもたくさん持ってきてくれたから、クルスさんに料理を作ったとしてもだいぶ余っちゃうよね。
そうだ、この山芋と買ってきたチーズを使って何か料理を作ってみよう!
それでアイスワインも一緒に出したらどうかな。
私が山芋を数本、むんずと掴んだ時だった。
「タノモー」
食堂の入り口の扉がバタンと音を立てて開き、ベアが登場した。
誰、ベアのあんな挨拶の仕方とドアの開け方を教えたのは?
まるで道場破りみたいだな!
でも威勢が良かったのは登場だけで、ベアは普通にトコトコと歩いて私のもとまでやってきた。
「アンナ、コレ、アゲル」
ベアが引きずってきたのはトイエカといって、エイそっくりなモンスターだ。
表は茶色で、裏は白、茶色側の尖った先端に二つ目が付いている。
見た目は海のものなのに、その味はベーコンにそっくりなのである。
その目が弓なりになっていて痴漢のおじさんみたいなエロ目だからちょっとアレだけど、美味なのだ。
「どうしたの、これ?」
私の問いに答えたのはベアの後ろからやってきたラウルスだ。
「ベアと二人で山登りしてきたんだ。これはお土産だよ」
「オミヤゲ、オミヤゲ」
「わあ、二人ともありがとう!」
山芋に引き続き、ベーコン(味)も手に入るなんて、ラッキー。これで料理の幅が広がるね。
あっ、いい料理を思いついた!
さっそく作ってみよっと。
一品目はトイエカのベーコンとチーズを使った揚げ物料理。
まずはチーズを食べやすいサイズに切り出す。
そうだな、三センチ四方くらいが食べやすいかな。
トイエカの身を薄くスライスし、見た目もベーコンに近づけたものをチーズに巻き付ける。
二枚くらい使って全方位包むのがポイントだ。
そうしないと、揚げた時にチーズが融けて衣の外に飛び出してきてしまうのだ。
軽く塩コショウを振ったら、小麦粉をまぶし、溶いた卵にくぐらせて、乾燥させたパンを削ったパン粉を付ける。
そして熱した180度くらいの油でからりと揚げれば、トイエカのチーズ揚げの完成だ。
チーズ揚げが揚がるのを待つ間に、二品目の山芋を使った料理を作ろう。
まずは山芋を1センチ幅に切る。
弱火で熱したフライパンに油を入れ、削ったチーズを散らす。
チーズがとけてきたら山芋をチーズに押し付けるようにして乗せ、塩コショウを振る。そしてチーズの端が黄色からうっすら茶色になってきたらひっくり返す。
うん、チーズが焼ける香ばしい匂いがしてきた!
山芋にもこんがり焼き色が付いたら、山芋の形に合わせてとけて繋がっていたチーズを切り離す。
出来上がったものを二つに分け、一方には更に塩コショウを、もう一方には唐辛子をパウダー状にしたものをパラパラと振る。
よしよし、トイエカのチーズ揚げの方もきつね色に揚がっている。
味はそのままでも良し、マヨネーズなどの味付けを加えても良し。
「出来ました! トイエカのチーズ揚げと、山芋とチーズのカリカリ焼き!」
まずはトイエカのチーズ揚げ。
「アチチッ! うわ、中から柔らかい何かが飛び出してきた!」
「アンナちゃんよ、ご飯くれないか!」
またもや舌をやけどしそうになるラウルスと、ご飯好きに拍車をかけた様子のクルスさん。
二人ともビールを注文し、ぐびぐびと飲んでいる。
次は、山芋とチーズのカリカリ焼き。
「ヤマイモがホクホクして、チーズはパリパリで食感の違いが面白いわ!」
「チーズノハシッコ、ウマイウマイ!」
子リスのようにチーズ焼きを頬張るヴィーとベア。
忘れない内にと、アイスワインも皆に配った。
「ブドウ酒の方はどう?」
「甘すぎるが、女子供は好きなんじゃないかい」
「俺は結構好きだぜ。お酒だってことを忘れて飲み過ぎてしまいそうだ」
こちらも好評のようで、私とヴィーは目を合わせて満足げに笑った。
これなら依頼者の農家さんも大損はせずに済みそうだよね。
新作の二品は居合わせたお客さんからも注文が殺到した。
「おおい、ビールをくれないか!」
「こっちにも、早く!」
居酒屋アンナは今日も盛況だった。
■今日の錬金術レシピ
●トイエカのチーズ揚げ
・トイエカ
・チーズ
・塩コショウ
・小麦粉
・卵
・パン粉
・マヨネーズ
●山芋のカリカリチーズ焼き
・山芋
・チーズ
・塩コショウ
・唐辛子
■今日のラウルス君
運良く舌の火傷を回避でヘヴン状態。




