26 竜の魚で作る、究極の琉球丼
「お届け物ですーっ」
山猫亭に大きな荷物が届いたのは、とても天気のいい日の朝だった。
台車で運ばれてきたのは、横幅が1メートルもある横長の白い箱だ。
上に開くための取っ手が付いている。
差出人を確認すると、セレスのおばあさんだと言う。
高さも30センチほどあり、見るからに重そうなその箱を見て、私は階上に向かって声を張り上げた。
「ちょっと、お父さん! 手伝ってー!」
だけど二階からは何の返事もない。
代わりに、テーブルを台拭きで吹いていた母親のカティが溜め息をつきながら近寄ってくる。
「寝てるよ。今日、あの人は役に立ちやしないよ」
「またコレですか?」
私は手でカップを呷る仕草をした。するとカティは深く頷いた。
「ああ。全くもう、情けないったら」
そういえば昨日の夜、町の会合があるって言って出掛けて行ったっけ。
この町のあれこれについて男だけで話し合い――聞こえはいいものの、実際はただの酒盛りなのだ。
お父さんであるパウルはお酒があまり強くないのにお酒好きという困った人で、会合の日の翌日は全く使い物にならない。
お客さんは私だけでなく、パウルの料理を求めてやってくる人も多いので、こういう時は頭が痛い。
昨夜出掛ける前に仕込んでおいた分が無くなったらそこで試合終了なのである。
「どうしますー? 中まで運びましょうかー?」
「すみません、お願いできますか?」
箱はいかにも重そうで、運送業者のお兄さんの額には汗が光っている。
カティと二人で力を合わせても動かせそうにない。
すでに顔馴染みとなっているお兄さんに、厨房まで運んでもらった。
「すまないね、何でも好きなものを食べて行っとくれ」
「えっ、いいんすか? ありがとうございますー!」
お兄さんは汗を拭きながら嬉しそうに笑い、カティとテーブルに向かった。
さて、と。
厨房に残った私は、運ばれてきた白い箱を見下ろした。
セレスのおばあさんからってことは、きっと魚か貝かの食材が入ってるんだよね。
それにしても、こんな大きな箱に入れるってなにごと? まるで冷蔵庫みたいじゃん。
私は取っ手を掴んで、勢いよく上に引き上げた。
「うわっ、何この魚!」
箱の中にはでっかい魚が入っていた。
トゲトゲがたくさん付いていて、例えればホゴという魚をもっといかつくしたような姿形をしている。
その魚を見たカティが、「おや」と普段より高い声を出した。
「竜の魚じゃないか」
「お母さん、知ってるの?」
「子供の頃に見たことがあるきりだけどね」
話を聞くと、竜の魚はかなり強いモンスターらしい。
滅多にお目にかかれないが、大変美味で、新鮮なものなら生でも食べられるそうだ。
ほんと、あの村の人たちって何者?
一般人なのにこんなモンスターを倒しちゃうなんて。
指でつんつんと突くと、魚はカチコチになっていた。
「この魚、冷凍されてる!」
何とこの冷蔵庫みたいな見た目の箱は、冷凍庫だったようだ。
これ、もらってもいいのかな?
前回もらったクーラーボックスはうちの店で冷蔵庫代わりにしているから、これで冷蔵庫と冷凍庫が両方揃ったことになる。
冷凍庫があれば仕入れた肉を長期保存することも可能だ。
長期保存って言ってもやっぱり風味が落ちるし、この冷凍庫がどのくらい持つか分からないから、せいぜい三日から一週間くらいだろう。
だけど今に比べれば雲泥の差だ。
カティは竜の魚が冷凍されていることに驚き、感心している。
「あれ、しかもこの黒いの、しじみだ!」
しじみは竜の魚の下敷きになっていて、水ごと凍らされていた。
てっきり竜の魚を固定するための石だと思っていたが、違ったらしい。
私はさっそくこの魚を解凍することにした。
まずは竜の魚と一緒に入っていた大量の氷を使って、厨房の流し一杯に氷水を作る。
それに竜の魚を浸けた。
凍ったものを解凍する時は、氷水に浸けておいた方が早く、そして旨みを損なわずに解凍出来るのだ。
自然解凍だとどうしても魚のドリップが出ちゃう上に雑菌が繁殖しそうだし、流水解凍だと水がたくさん必要だ。
クーラーボックス冷蔵庫に入れて解凍する方法もあるけど、夜までかかっちゃうもんね。
すぐにでも作って食べたいから、氷がたくさん入っていて良かったな。
竜の魚は店を開ける時間が来る前にすっかり解凍されていた。
「見た感じ、ほんとに美味しいの? って思うけど、とりあえずさばいてみるか!」
私は竜の魚をまな板に乗せた。
頭と尾ははみ出しているけど、仕方がない。
さて、と。
大きいしトゲトゲしてるけど、魚は魚。
さばき方は一緒だよね。
私は大きな包丁を握り、気合を入れて取り掛かった。
さすが、見た目のいかつさと同様にさばくのも少々力が要った。
だが、皮が分厚いだけで、身自体には思いの外すっと包丁が入っていく。
三枚にはおろせそうに無かったので、背と腹に切り込みを入れた後で真ん中から包丁を入れた。
マグロのおろし方と一緒だ。
だけどその身はマグロのように全体が真っ赤ではなく、血合いの部分だけが赤い。
うーん、見た目はブリっぽいなあ。
試しに醤油を付けて一切れ食べてみると、味もブリそのものだった。
ブリかあ。
煮魚、照り焼きなんかがベタな調理法だよね。
それと……あれ、何て名前なんだっけ。
切り身をヅケにしたやつ。
そうだ、琉球だ。
生姜とゴマとネギをたっぷり入れて、それをアツアツのご飯に乗っけて食べると美味いんだよねーっ!
うわ、想像しただけでヨダレが垂れてきた!
決めた! まずは琉球を作ろう!
私は一番近くにあった切り身をがしりと掴んだ。
琉球は漁師飯だから、身はランダムに食べやすいサイズに切ればいい。
醤油に生姜、白ごま、ねぎを加え、切り身を漬け込む。
あまり漬けすぎると味が濃くなってしまうので、最大でも三十分漬けておけば十分。
白い炊き立てのご飯に琉球 を乗せる。
琉球とは、この浸けこんだ切り身のことを指すんだって。
何でこういう名前になったのかは知らないけど、気にしない!
仕上げに海苔をパラパラとふりかければ完成。
ご飯の熱で琉球に火が通らない内にかきこむのが美味しさの秘訣だ。
そうだ、今日は取れたての卵が手に入ったんだった。
これを黄身だけ琉球丼の上に乗せてアレンジしてみたらどうだろう。
それと、先日ヴィーが採集のついでにシソをくれたんだよね。
黄身をシソの上に乗せたら見た目も華やかになりそう!
それにそれに! やっぱり丼ぶりものには汁ものが付きものだと思うの!
しじみを使って、お味噌汁か、お吸い物かを作ろうか……。
いや、ここは、うしお汁を作ろう!
うしお汁は塩で味付けをしたシンプルな汁だ。
だけど味付けがシンプルな分、しじみの旨みがしっかりと味わえる。
水に浸けて氷を溶かす。
しじみ自体は凍っているけれど、そのまま料理しても大丈夫だ。
むしろ冷凍することで旨みが増すと聞いたことがある。
氷の中から現れたしじみの殻には汚れがない。
汚れを取り、砂抜きもしてくれているようだ。
鍋に水と乾燥昆布と酒としじみを入れて火にかける。
沸騰する直前に昆布を取り出し、そのまましじみの殻が拓くまで煮立てる。
ここで塩を加えて味を調える。
よしよし、しじみから旨みが出てきて、煮汁が少し白っぽくなってきたぞ~。
庭から三つ葉に似たハーブをつまんできて、うしお汁に浮かべるとまるで料亭みたいになった。
よし、出来た。さっそく試食してみよう。
ギシッ、ガタンッ
その時、入口の方から木のしなる音が聞こえてきた。
「すみません、まだ店開けてないんですよ」と言う準備をしながら振り返ると、そこには壁にもたれるようにして立っているラウルスの姿があった。
その様子はいつも背筋が伸びている彼とはまるで違う。
隣には心配そうにラウルスの腰に手をまわして支えようとしているベアの姿がある。
「どうしたの、ラウルス?」
「すまん、水を一杯くれないか……」
ラウルスはまるで風にあおられている凧のようにあっちにフラリ、こっちにふらりとよろめきながら一番近い椅子に座り、テーブルに突っ伏した。
その顔は恐ろしいほどに青ざめている。
私は自分の質問を引っ込めて、急いでピッチャーとカップを運び、水を注いで手渡した。
「ほら、お水持ってきたよ。飲んで」
「すまない……」
ラウルスはカップを一気に呷った。
私は無言でお代わりを注いであげる。
「昨日の会合に呼ばれて行ったら、次々に酒を注がれて……うぷっ」
手で口を押えるラウルス。
慌ててその背を擦ってあげると、お礼を言われた。
「そんなに具合が悪いなら、家で横になっていればよかったのに」
「ベアの送り迎えはしないといけないからな」
ラウルスはぐったりしながらもベアの頭をぽんと叩いて微笑みかけた。
それを見たベアは、ウロウロしていた動きを止めた。
どうやら心配しての行動だったようだ。
おおおおお父さーんっ!
感動した私は、出来たばかりの料理を提供することにした。
「ラウルスにちょうどいい料理があるんだよね。今すぐ持って来るから!」
「いや、俺は今何も喉を通りそうにない」
「まあまあ、そう言わずに」
私はうしお汁をスープカップに注いで持って来てあげた。
「二日酔いに効くから飲んでみて」
そう言うとようやくラウルスは手を伸ばした。
そしてカップを覗き込む。
「いやに透明だな……」
「塩だけしか使ってない、シンプルな味付けだからね」
ラウルスは匂いを嗅いで、それから一口だけうしお汁を飲み込んだ。
「何だ? これは……! 胃に染みわたっていく……!」
そんな、大げさな。
でも、お酒を飲んだ時って汁物がとっても美味しく感じるんだよね。
飲んだ直後はラーメンが食べたくなるし、翌日は味噌汁が飲みたくなるし。
理由はお酒を消化する時に血糖値が下がるからだって誰かが言ってたっけ。
きっと炭水化物やらビタミンB1やらを体が欲してるんだろうな。
ラウルスは一気にうしお汁を飲み、それからしじみの身を食べた。
すると青白かった顔に赤みが差してくる。
「何だか気持ち悪いのが治ってきた気がする」
「でしょー? 魚を醤油に漬けてご飯に乗せた丼ぶりっていう料理もあるけど、食べる? 生姜が効いてるから、こっちもあっさりしてるよ」
「食べる!」
「タベル!」
「え? ベアまで?」
ラウルスと同時に答えたので、つい笑ってしまった。
私は厨房に戻って琉球丼を作り、うしお汁も二人分用意して持って行く。
「ふん、これも……ムシャ、……んまい!」
「ンマイ、ンマイ」
すっかり食欲が戻ったラウルスが、琉球丼をかきこむ。
そして再びうしお汁を飲み、ほうっと幸せそうに溜め息をついた。
ベアも小さな口をたくさん動かして、無言で一生懸命に食べている。
その食べ方はラウルスにソックリだ。
ほんとこの二人ってば、本物の親子みたいだね。
微笑ましく見守っていると、今度はヴィーが山猫亭にやってきた。
「どうしたの、ヴィー?」
「ラウルスに頼みがあって。どうせここだろうと思ったら、やっぱり居たわね」
「どうせって、お前、それが人にものを頼む態度か? ……まあいい、頼みって何だ?」
「来週末、採集へ行く時に一緒に来て欲しいのよ」
「すまない、その日は他の仕事の依頼を受けているから無理だ」
ラウルスが不在になることは私も知っている。
すでに、ベアを預かって欲しいとたのまれているからだ。
「それなら仕方ないわね。一人で行くわ」
「そんな、危ないよ! 他の人に頼んでみたら?」
「知らない人と一緒に行くのは嫌なの」
ヴィーは極度の人見知りなのだ。
「それなら、ジークハルドさんに頼むとか」
「二人っきりなんて嫌よ」
「じゃあセレスは?」
「彼女なら……まあ……」
「よし、決まり! 手紙を出してみなよ。来週末なら間に合うと思うから。きっと……いや、多分……」
セレスはある意味才能を感じるほど方向音痴なので、ここまで道に迷わずに来れることは誰も期待していない。
だけど強運の持ち主なので、おそらく約束の日までにはこの町に辿り着くはずだ。
希望的観測だけど。
「よし、これで問題解決だな。そうだ、これ、すごく美味いからエルヴィーラも食べてみろよ」
ラウルスはベアがまだ食べきっていない琉球丼を指し示した。
「私、生魚はちょっと……」
拒絶するヴィーになおも薦めるラウルス。
「ちょっとだけでも食べてみたら?」と私も口添えすると、「そこまで言うなら」とヴィーも了承した。
小ぶりなお皿に琉球丼を作って持って行くと、ヴィーは「魚がキラキラしていて宝石みたいね」とどこかのグルメリポーターみたいな感想を言った。
そして一口食べて、その表情は一変した。
「……美味しいわ! まさかこんなに新鮮な魚がこの町で食べられるなんて。ちっとも生臭くないわ」
「ああ、この魚はセレスのおばあさんにもらったんだけど、何だか大きな箱で運ばれてきたんだよね。多分、前にもらったクーラーボックスの進化したやつだよ。魚が凍ってたの」
経緯を説明すると、ヴィーはその箱が見たいと言ったので厨房に連れて行った。
私は気付かなかったけど、側面に文字が書いてあったらしく、ヴィーはそれを読み上げる。
「錬金冷え冷えボックスって書いてあるわね」
そして、冷え冷えボックスを舐めるように観察している。
その目は琉球丼よりもよっぽど宝石みたいに見えた。
「ねえ、アンナ。この冷え冷えボックス、少しの間借りてもいいかしら?」
うん、いいよ。
っていうか、そんなキラキラした目でお願いされて断れる人は居ないでしょ。
ヴィーはラウルスにそれを家まで運ばせた。
あれ? ラウルスってば二日酔いはもう大丈夫なのかな?
……うん、本人がすっかり忘れちゃってるみたいだから、まあいっか。
そして、錬金冷え冷えボックスはしばらくの間ヴィーの元に預けられ、返却された後は店の冷凍庫として末永く使われることとなった。
■今回の錬金術レシピ
●琉球丼
・竜の魚
・醤油
・生姜
・ネギ
・ゴマ
・米
●うしお汁
・しじみ
・塩
・乾燥昆布
・酒
どちらとも、いつ何時でも、何度食べても飽きのこない味だね!
■今日のラウルス君
二日酔いからの見事な復活! でヘヴン状態。




