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1  錬金術師の世界に転生しました!

 私、飯盛杏菜(いいもり あんな)二十歳の頭の中はたった一つの邪心、いや、純粋なる野望に支配されていた。

 早く帰りたい。出来ることなら、今すぐに走って帰りたい。


 だけどそんな気持ちとは裏腹に、私の手は注文を受けた料理を手早く作り上げていた。そしてバンダナを外し、出来上がったばかりの料理をお座敷席に運ぶ。個人経営の居酒屋では厨房スタッフといえどもフロアに出なければ店が回らないのだ。


 厨房へ戻ろうとした時に店の入口の扉が開く。その瞬間、私の口からはお決まりのセリフが飛び出していた。


「いらっしゃいませー!」

「やあ、杏菜ちゃん。今日も頑張ってるね」

「体力だけが取り柄ですからね! 雨の中、ご来店ありがとうございます~!」


 ご新規は常連客だった。私は後輩のフロアスタッフを手で制し、自分で接客をする。

 常連客の好む席と酒はすでに頭の中に入っている。客が着席した直後におしぼりを広げて手渡し、間を置かず突き出しと生ビールを用意する。もちろん、グラスはきんきんに冷やしてあるし、ビールの泡も黄金比率に則った完璧な配分だ。

 客は最初の一口を飲み、何とも満足そうな顔をしている。私は厨房へ戻り、その客が必ず頼む料理を作り始めた。


 その後もお客さんはひっきりなしに入り、なかなかの忙しさだった。


「お疲れ様でした~」


 居酒屋を出て時計を確認すると、もう日付が変わる時間だった。

 女性スタッフは男性スタッフよりも先に上がらせてもらうことが多いけれど、今日はやけに客数が多くて帰るタイミングを逃してしまったのだ。


「ふう……」


 息を吐き、傘を差して小雨の中を歩き出すと、気が抜けたのか、少し足がフラついてしまった。

 やばい、目もかすんでいる。さすがに寝不足かな。


 錬金術師の女の子が主人公の新作ゲームを購入したのは、今から三日前。

 その日から私は毎晩、夜通しでプレイしているのだ。


 体力に自信はあるものの、さすがに限界かもしれない。

 今日はゲームするのは止めておいて、寝ようか。

 いや、でも、明日まで我慢出来ない……!


 地下鉄の入り口差し掛かり、傘を畳んで階段を降りようとした時だった。

 雨に濡れた階段の滑り止めでズルッと足を滑らせてしまった。


「え、うわっ……!」


 豪快に転がり落ちた私は、頭に強い衝撃を感じた。

 どこかにぶつけてしまったみたいだ。

 おまけに、頭の皮膚が切れてしまったらしい。


 街灯に照らされ、赤い鮮血が自分の身体からどんどん流れていくのが見えた。

 近くで誰かの悲鳴も聞こえる。

 体温が急激に失われていき、全身が小刻みに痙攣を繰り返している。

 

 あれ? もしかして私、ここで死んじゃうの? まだたった20年しか生きてないのに?

 もっと長生きしたかったし、美味しいものもたくさん食べたかったし、出来ることなら恋愛をして結婚もしてみたかったのに。


 ううん、それよりも、こんなことなら大学もバイトもさぼってゲームしとけば良かった!

 それが一番の心残りだ。


 そして、私は意識を失った。

 これが、私、飯盛杏菜の最期だった――。


***


「アンナレーナ! アンナレーナ!」


 誰かが耳元で叫んでいる。だいぶ年上と思われる女性の声だ。


 ううん、誰なの、全く。

 せっかく寝てるんだから、起こさないでよ。

 それに、アンナレーナって誰?


 いや、聞いたことはある。

 私が死ぬ間際まで夢中になっていたゲームの登場人物だ。愛称は、アンナ。

名前が同じなためにすぐに覚えた彼女は、主人公の友人である。


 だけど私はアンナレーナじゃなくて杏菜だし、自分の記憶が確かならば、ちょっと前に死んでしまったはずだ。


「アンナレーナ!」


 ぱちっ。


 耳元で叫ばれて完全に覚醒した私は、思わず目を開いてしまった。

 すると目の前には心配そうな顔をした外人の中年女性の顔があった。


「ああ、良かった。どこも痛いところはないかい?」

「う、うん」


 状況が分からないながらも、私は思わず返事をしてしまっていた。


 どこかで見覚えがあると思ったら、彼女はアンナの母親だ。

 確か名前はカティ。家族で営む山猫亭という食堂のおかみさんだ。


 記憶の中の彼女と雰囲気がやや異なるのは、二次元と三次元の差だろう。

 画面で見る彼女とは明らかに重量感というか、リアル感が違っている。


 視界には彼女と見たことのない天井がある。

 木と土で出来た質素な作りで、もちろん病院の天井とは全然違った。


 後頭部に痛みがあるので、夢を見ている訳ではなさそうだ。

 これが私の妄想でなければ、私は今ゲームの中のアンナというキャラクターになっているらしい。

 主人公の錬金術師ではなく、その親友ポジションというのがいかにも私にピッタリな役回りだ。

 

 私が無事だと分かって安心した様子のカティは、背後を指差す。

 寝たままで視線を動かすと、壁際の椅子に座っている若い男の人の姿があった。


「ほら、ラウルスだよ。アンナレーナが階段から落っこちた時にちょうどウチに来ていてね。ラウルスがここまで運んでくれたんだ。ほら、お礼を言って!」

「あ、ありがとう……ございます……?」


 見覚えがある、どころの騒ぎじゃない。

 彼もゲーム中の登場人物だ。


 赤茶色の髪と灰色の目を持つ彼は、映画に出てきそうなイケメンだ。

 もっとも、その容貌は外人というよりはハーフといったところだろうか。

 日本製のゲームなので、そういう設定なんだろう。


「何を他人行儀な。忘れた訳じゃないだろう? ラウルスウィードだよ。小さい頃はよく一緒に遊んでいたじゃないか」


 カティはラウルスに同意を求める。


 するとラウルスは立ち上がり、ベッドの傍に近付いてきた。


「アンナ、久しぶりだな」

「う、うん。久しぶり」


 久しぶりも何も、初対面だ。

 モニター越しになら、この三日間何度も見ていた顔なんだけども。


 どういうスタンスで話せばいいのか判断出来ずに戸惑っていると、階下から中年男性の声がした。


「おおい、カティ! ちょっとこっちに来てくれ!」

「はいよ、パウル。今行くから!」


 パウルはゲームにはまだ登場していなかったけれど、おそらくアンナの父親だろう。

 カティは大声で返事をしてラウルスを振り返った。


「すまないけど、もうしばらくここにいてアンナの話し相手になってくれるかい? 積もる話もあるだろうからね」

「分かりました、カティおばさん」


 カティは頷き、ベッドに横たわる私の髪を撫でた。

 視界に入る自分の髪は、カラーリングした茶色ではなく、もっと明るいベージュ色だった。

 鏡がないので確認できないけれど、きっと瞳も黒じゃなくて緑になっているんだろう。


「今日はゆっくり休みな。いいね?」

「ありがと、母さん」


 カティが部屋から出て行ったので、私は身を起こした。

 痛む後頭部を触ってみると、やや熱を持って腫れている。


「えーと、その……大丈夫なのか?」

「うん、タンコブが出来ただけみたい」


 ラウルスはアンナと一緒の二十歳だったはずだ。

 つまり私、杏奈とも同い年である。


 その気安さで私はため口で話すことにした。

 ゲーム内でもそういう感じだったので、問題ないだろう。


 おでこの膨らみを見せるために前かがみになると、ラウルスの頬がさっと赤く染まり、視線を思いっきり外された。


「どうしたの? ラウルス」

「な、なんだ?」


 質問したら訳の分からない返しをされた。ラウルスの目は泳いでいる。


「どうしてこっちを見ないの?」

「や、えっと、その……服のボタンが」

「ボタン?」


 そこで初めて自分の身体を見下ろす。

 すると、ボタンが2つほど外されていて、盛り上がった胸の谷間がくっきりと見えていた。

 気絶した私を寝かせた時に、カティが外してくれたのだろう。


 わーお、私より断然おっぱいが大きい!

 わーい、嬉しい!


 見せつけたい気分だったけど、ラウルスが赤い顔で困っていたので、仕方なくボタンを留めた。

 ラウルスは咳払いをした後で、あからさまに話題を変える。


「俺が町を出て二、いや、三年か?」

「そんなに経ったっけ」


 ラウルスは王都にある騎士学校を卒業したばかり。

 仕えるべき主が見つからなかったという理由で生まれ故郷のこの町に帰ってきたという設定だ。

 そして主人公の錬金術師をアンナとともにサポートするという役割を持っている。


「アンナ。俺はずっとアンナに会いた……」


 ラウルスが真剣な顔で何かを言い掛けたその時、部屋の扉がバタンと開いた。

 扉の向こうから水色の長い髪と紫の瞳をした、小柄な美少女が飛び込んでくる。


 彼女は錬金術師のエルヴィーラ。

 本来のゲーム主人公だ。

 彼女は王都にある錬金術師のための学園を卒業し、この町で店を開くところからゲームがスタートするのである。

 

 エルヴィーラはその大きな瞳を潤ませていた。


「アンナ! 階段から落ちたって聞いたけど、大丈夫なの!?」

「うん、何ともないよ。エルヴィーラ」

 

 全部言い終わる前に、エルヴィーラは私の胸に飛び込んできた。

 ふわりと甘い花の香りが鼻をくすぐる。


「子供の頃みたいにヴィーって呼んで。アンナにもしものことがあったらと思ったら、気が気じゃなかったわ」


 涙ながらに私を見上げるヴィーの可愛らしさは半端じゃなかった。


 世が世なら国の一つや二つ、平気で傾くと思う。

 モニター越しでも『可愛いなコノヤロー!』と思っていたけれど、間近に見ると心臓に悪いくらいだ。

 我慢出来なくなった私は、思わずヴィーの細い肩を抱き締めた。


「くそかわいいっ!」

「くそ?」

「いや、こっちの話っ」


 いけない、いけない。

 本来ならアンナはこんな言葉なんて使わないはずだよね。


 あれ? そういえば本当のアンナはどこに行っちゃったんだろう?

 私が彼女の身体を乗っ取ってしまったのか、それとも中身が入れ替わっちゃったのか……。

 うーん、ゲーム仕様でその辺がうまいこといってるといいんだけど。

 

 私が少ない脳みそで考えている間に、ヴィーはようやくラウルスの存在にようやく気付いたようだ。


「あら。ラウルスもいたの?」

「最初からいたんだが」

「そうだったかしら。気付かなかったわ」


 人見知りの激しい性格のヴィーだけど、アンナとラウルスには心を開いている。

 そのため、アンナにはベッタリで、ラウルスにはややそっけない態度を取る。それが彼女なりの心を許した証らしい。


「相変わらずだな、ヴィー。この前王都で会った時も――」

「だってあの時は――」


 ラウルスとヴィーは私には分からない会話を始めてしまった。


 二人は王都で何度か会ったことがあるようだ。

 仲が良さげだし、ラウルスも私と話している時よりリラックスしている様子。


 あのー、二人とも私の怪我を心配してたんじゃないの?

 ははーん。杏菜様は気付いたよ。


 ラウルス、君はヴィーのことが好きなんだね?


 いや、分かるよ! こんな美少女が近くにいたら好きにならないはずがないもんね。

 何たって、女の私が思わずクラッとしちゃうくらいなんだから。

 うんうん、おねーさんが陰ながらに応援してあげようではないか! 同い年だけど!

 

 何だかお見合いおばさんになった気分だ。生暖かい目で二人を見守っていると、二人の声が見事にハモッた。


「アンナもそう思うわよね?」

「アンナもそう思うだろう?」


 うんうん、二人とも息もぴったり、相性抜群だね。


 二人のやりとりを見ていたら私まで楽しくなってきた。


 どうして私がゲーム世界にいるのかはよく分からないけど、どうせ死んじゃったんならこの状況を楽しむのもアリ……かも?


 もしかしたら、神様か誰かがゲームをクリア出来なかった私の心残りを晴らすためにこんな粋なことをしてくれたのかもしれないし。

 って、ちょっと楽観的すぎかもしれないけど。

 

 よーし、決めた!


 私、飯盛杏菜は、今日からアンナとして生きていきます!!


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