第九十一話 アストリアの梟
受付のエマが「ヴェッティが会う」という返事を持ち帰るまで、多くの時間を要さなかった。
エマに案内されロメオとティベリオが通された部屋は、少し広めの執務室だった。
会議室のような場に通されると考えていたティベリオは、部屋の様子に戸惑いを覚え、つい視線をさ迷わせる。
ロメオはそんなティベリオの様子に気づいたが、敢えて声を掛けずに放っておくことにした。
執務室の正面には幅広い机が一つ置かれていて、机の向こう側には一人の男が立っていた。
内に秘めた力強さが抑えきれずに溢れ出てきたような彫りの深い顔には、これまでの経験によって刻み込まれた眉間の皺や、数多の戦闘を超えた中で付けられたと思われる右目の脇の傷が見られた。
一般的な男性よりも幅広い肩幅を始め、体格全体が大柄であり、一見して歴戦の勇士を感じさせる風貌だった。
「ようこそ、アウディ殿」
「やぁ、オリヴェーロ殿。突然の来訪すまない」
それは目を閉じて、その声だけを聞けば仲の良い友人同士の再会の挨拶としか聞こえなかったが、目の前に立つヴェッティは「笑う」という感情を遠くに置き捨てたかのような表情でロメオを睨んでいた。
ティベリオの脳裏では、「心配することはない。気のいい奴だ」と言ったのロメオの言葉が、その笑顔と共に崩れていくのを感じる。
しかし、ロメオの方は、彼自身の言葉を心から信じているかのように、笑顔を浮かべ、ヴェッティに向けて両手を広げていた。
再会を祝し、抱き合おうとでもいうのだろうか。
だがティベリオには、目の前のヴェッティが両手の拳を握りしめて震わせているようにしか見えない。そのため、自分の見ているどちらかの姿は幻覚なのでは。そんなことを考え始めていた。
「わざわざ足を運んでもらったということは、何か進展でも?」
今にもロメオに殴りかかりそうな様子を見せながらも、ヴェッティの返答は至って平静であった。
「いや、調査に進展があったか、と言うなら、進展はない。その言い草だと、そちらも新しい情報はないようだな」
「恥ずかしながら、教会がいつ、誰によって、何を目的として封鎖されたのかについては、当面これ以上の進展は見込めない、というのがギルドの見解ですな」
ヴェッティは相変わらず、両の拳を握りしめたままロメオを睨むように見つめているままだ。そのヴェッティとは対照的に張り付いた笑みを浮かべていたロメオは、そこで初めて僅かに目を細めた。
「当面、とは?」
「当面は当面。今はお約束出来ない」
「期待していいのかな?」
「今はお約束できない、と申したはずですが」
互いの視線がもしも形を取ったなら、剣となって激しく打ち合っていたかもしれない。そうして鍔迫り合いとなり、膠着状態を迎えた時、先に剣を納めたのはロメオの方だった。
「そもそも我らの不甲斐なさに端を発する話だったな」
「……ところで本題を伺っても?今回同行された方に関係すると見受けますが」
ヴェッティが一つ息を吐く。ティベリオは彼の握りしめていた拳の震えがいつの間にか止まっている事にその時気づいた。
「ティベリオ・カシラギ殿を知っているのか?さすが、情報通だな」
「彼の名は知りませんが、王立図書館の学芸員であることは分かりますよ。頭巾がついた紫紺の外套を羽織っていれば」
ヴェッティの回答にロメオは肩を竦めるような仕草を見せ、ヴェッティは再び息を吐く。
「それで…?」
ロメオはヴェッティの声に苛立ちの響きを感じ取り、笑みを浮かべる。「怒るな」というつもりで笑みを浮かべたのだが、ヴェッティの表情を見る限り、逆効果のようだ。
「国は王立図書館にも教会の調査を依頼した。建物自体に異変が起きている可能性を考えたためだ。現在の技術から外れた何かで造られた「遺物」が引き起こした事態であるならば、そちらの専門家の手も借りたほうが良いだろう。そこで、これまでギルドで調査した結果について、カシラギ殿に説明をしてもらいたいと思い、こちらに寄った」
ヴェッティは机の上にある資料に目を落とした。それは、2つ陽前までに行われた教会周辺の聞き込み調査に関する資料だった。国に報告した速報版とは別に改めて整理されたもので、先程受け取ったばかりの資料でもあった。
――中を洗うか?
ヴェッティはそんなことを思いながら、机の資料を手に取った。
ロメオたちが去った扉を眺めながら、ヴェッティは執務室の椅子に腰掛ける。
――何を考えているのか。
ヴェッティは胡散臭い笑みを貼り付けて話す騎士の顔を思い浮かべた。
彼の望む通り王立図書館の学芸員には、国から受けた依頼に基づき調査した結果については余すことなく伝えている。
伝えた内容は次のようなことだった。
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教会が封鎖されたのは12つ陽前の土の昇神節 29の朝。
この陽も教会は定刻通りに扉を開いており、それ以降、教会の扉が閉められたところを見たものは誰もいない。
いつもの通り、扉を開く前から治癒術士の施術を求める人々で列が出来ていたが、扉が閉まっていることに気づいた時には、列がなくなっていた。
この陽は、教会の治癒術士を管理する教士が出迎えるような人物が訪れていた。
この人物が教会から出た姿は見られていない。
また、この陽、朝から治癒を受けた後、教会の外に出てきた者もいたが、教会の中はいつも通りだった。
教会近くの市場で働く者たちで異常を感じた者はいなかった
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教会が「神子」が建造した曰く付きの建物であることはヴェッティも知っている。それゆえ、ヴェッティは教会の特殊性について、国からの依頼よりも先に調査を行っていた。彼は自身の伝手を使い、魔術士を用いて教会の外壁に何らかの影響を及ぼすことが出来ないかを試させたが、結果はいかなる変化も影響も与えられないというものだった。
このことを彼はまだ国には伝えていないが、国も魔術協会に依頼し、同様の調査を行っていたのかもしれない、とヴェッティは考える。だからこそ、建物自体の特異性を考え、王立図書館の学芸員などという人材を引っ張り出してきたのだろうかと。
仮に、「神子」に関わる建造物であることが原因で、今回の封鎖が起きてるのだとしたら、国はどうするつもりなのだろうか。
封鎖が「神子」の意思に依るものだとするなら、いつ「神子」は現れたのか。
その手がかりは、人々から聞いた話の中にあった。
「この陽は、教会の治癒術士を管理する教士が出迎えるような人物が訪れていた」
「この人物が教会から出た姿は見られていない」
その人物が「神子」だと言うのだろうか。
この人物に繋がる噂について、ヴェッティには心当たりがあった。
『アストリア』の教会は、神力を持つ「聖人」や「聖女」を特別大切に扱うという。それこそ、一度教会に保護されれば、二度と民衆の目に触れることがないほどに。
だが、最近になって、神力を持ちながら、教会の内外で幾度か姿を見ることの出来た「聖人」が居る、という噂だ。
『アストリア』の教会において、神力を持ちながら、行動の自由を許されていたのは、天地崩壊から『アストリア』を救った「神子」ミラ以外の例はない、とされている。
それゆえ、件の人物は「神子」なのではないか、などという噂もあった。
とは言え、件の人物を見た、という噂だけが聞こえ、実際に神力を揮った瞬間をその目で見た、という人物を見つける事が出来なかったため、ヴェッティは当初、この噂が教会による人気取りの為か、真実なのかを見極められずにいた。そもそもこの噂も、ヴェッティが懇意にしている行商人から、彼の娘とその友人を隣国に亡命させる依頼を受けた際、なぜ亡命させる必要があるのかという背景を調べている中で知ったことだった。
『ウツロ』の出現も未だ噂の域を出なかった頃の話であったため、その当時本格的に調査させなかった判断を間違いだとは思わないが、僅かに悔いが残る出来事ではある。
その人物の目撃情報もある時を境に途絶え、次に目撃されたのが教会封鎖の一つ陽前である。これも、その人物が不在であったからなのか、教会の中に「保護」されていたのか、今となっては分からない。
――事象からも、人からも、今起きている事が一学芸員に解き明かせるとは思えないが。
だが、国は王立図書館の学芸員に新たに調査を依頼した。
その目的は奈辺にあるのか。
今はこれ以上考えても仕方がない、浮かんだままのロメオの顔を脳裏から追い出すと、ヴェッティは机の上に置かれた一枚の小さな紙切れを手にした。
それは先程ヴェッティとティベリオに語ったような何枚にも及ぶ調査資料ではなく、指先ほどの大きさの小さな紙切れだった。
小さく丸められたそれを、ヴェッティは裂けないようにゆっくりと広げていく。
そこには少し癖のある丸まった文字で、いくつかの単語が並べられていた。
『ウツロ』は人。神子。可能性。
――はたして、これは偶然なのか。それとも必然なのか。
ヴェッティは手にした紙切れを部屋の灯の火にくべた。




