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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第六章 安寧を望む星たち
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第八十九話 神子の教会

 ティベリオは教会の周りをぐるりと一周しながら教会の壁と接地面の様子を丹念に調べていった。

 黙々と中腰のまま教会の壁を触る様は周囲から見れば不審でしかなかったが、側に騎士の姿をしたロメオが立っていることで、誰からも声を掛けられる事無く作業を続けることが出来た。


 ティベリオが調査を続ける間、ロメオは周囲に気を配っていた。

 ティベリオの身の安全のためではない。

 教会に張り付いているティベリオを注視する者がいないかを監視するためだった。


 物珍しさから彼らに注目する者が数多くいるのは当然のことだが、その中に彼らをじっと見続ける者が居るとすれば、それは余程の物好きか、ティベリオが行っている事に対して何らかの興味を示している者だと考えられた。

 そして、ティベリオの行動に興味を持つということは、教会で起きている何かを知っている可能性があった。

 ロメオはティベリオの行動からそうした者が炙り出されないかと期待し、周囲を見張っていたのだ。しかし、事が起きてから時が経ちすぎているせいなのか。残念ながらロメオが期待する事態が起きることはないまま、時だけが過ぎていった。


 ティベリオの調査は光星が街の壁を超えて内側に射しこみ始めた頃の時間から始まり、光星が中天に差し掛かろうとする頃に終わった。

 最初にロメオが剣の鞘で抉るように叩いた壁の足下には同じ鞘で地面を抉った跡があり、その跡がティベリオにとっての調査の終わりを示す印となっていた。

 印のついた場所の壁を調べ終えたティベリオは、息を軽く吐き出すと、その場で立ち上がろうとして、足に力が入らずに尻もちをついた。長く中腰のままで作業をしていたために筋肉が疲労し、立ち上がる力が失われてしまっているようだった。

 ロメオはティベリオに近寄ると、ティベリオの脇に腕を差し入れて立ち上がらせる。


「あ……、ありがとうございます」


「足が硬直してしまってるだろうから、伸ばしておくといいさ。立ってるのが辛いようなら、その辺の食堂にでも寄って、休んでもいいが」


 騎士に手を貸してもらえた事に驚きながら、ティベリオは地面に着いて汚れた泥を払う。

 ロメオが腕を離すと、ティベリオはその場で腰を曲げて前に屈むと、膝に両手をついて足をぐっと伸ばしてみた。

 太もも辺りで滞っていた何かが足の先まで流れていくのを感じて、それと共に膝からつま先にかけて痺れるような感覚を覚える。


「少し痺れてしまったようですが、大丈夫です。少し休めば、歩けます」


「そうか。さすがだな」


「……何がですか?」


「日頃から野外での調査活動を行っているだけあって、頑強だ」


「あぁ……。そうかもしれないですね。朝から晩まで歩き回ることもありますから、これぐらいなんてことはありません」


 ロメオは満足げに頷く。

 国が遺物管理課に調査依頼を出したのは、多くの建物の材質に精通しているというだけではないのかもしれないと、ティベリオは思った。


「調査した内容を述べると、教会の壁はどれも同じように、一般的な火山灰混じりの石材から造られているように見えます。ですが、触れても石の表面が僅かに欠けることもないことから、普通の石材とは考えられません。

 言い伝えの通りだとするなら、この教会は先の天地崩壊の後、光の女神ラナ様の「神子」。ミラ様の力によって建てられたものだそうです。もしそうなら、もともと私たちが知り得る素材とは異なるもので出来ていたという可能性は捨てきれません。ですが、そのような普通の石に見えて、特殊な素材であった、などということでもない限り、この建物自体に何らかの異常が起きていると推察されます。

 この土地自体に何か特別な術が施されていることも考えましたが、建物が接地している地面がどこもごく普通の土であったことから、それは考えづらいと思います」


「先程は聖堂と比較すれば違いが分かると言っていたが、聖堂も特別な素材で出来ているとは考えられないのか?」


「可能性はありますが、聖堂自体は神子が建てたものではありません。時代的にはそれよりもずっと後に建てられたものであることは史書からも明らかです。教会を似せて建てられてはいますが、もしも特徴のまったく同じ素材で出来ていた場合、今は失われた素材があるということになりますね」


 「もしもそうなら、それはそれで歴史的な大発見です」と続け、ティベリオは笑みを浮かべ、だが、今はそれを喜んでいる場合ではない、と思い直した。


「誰も壊そうとしたことがないから気づかなかったのか」


 ロメオは白く塗り上げられた教会の壁を見上げた。

 おそらくそれはあるまい、とロメオは思う。

 ティベリオに伝えるつもりはなかったが、教会の上部についている硝子部分も壁と同様に強い衝撃で傷一つつかないことが確認されていた。

 建物の異常性という点は、彼も既に把握していたことだ。しかし神子ミラが建造した故に特別である、という発想はなかった。

 人が建てたものという思い込みを飛び越えた発想は面白い、ロメオは素直にそう思った。


「それは、ないと思います」


「何故だい?」


「先程は、この建物の素材が普通とは異なると言いましたし、傷つかない素材は神子ミラが建てたからかもしれないなんてことを言いましたが、どちらもあり得ない話です」


「あり得ない?」


「分かりづらいかもしれませんが」


 ティベリオはそういうと、その場から少し離れた場所の壁を指さす。


「例えばこの部分。少し溝のようなものがあるのは分かるでしょうか」


 ロメオはティベリオに指示された部分を凝視する。言われてみれば、確かにそこには他の場所とは違う窪みとも傷とも見られる小さな溝のようなものがあった。


「それから……、ここ」


 その後もティベリオはロメオを連れ、壁についた傷のような場所を何か所か指摘した。


「過去に起きた砂嵐などで傷ついたと思われる傷です。大きめの、目立つ傷はその都度補修されていたのでしょう。色は似せて造られていますが、境目が僅かに残っていることが見て取れます。

 こうしたことから、教会の壁は本来私たちが知る素材と同じものであると推察されます」


 ティベリオの推論にロメオは頷く。

 神子が作った特別な素材などと言うものが存在すれば面白い。事実としてそんなことはあり得ないと断じながらもそんな妄想を浮かべてティベリオが話していたのかと思うと、それはそれでロメオとしては興味深かった。


「それで……、結局なんだと思う?」


 ロメオが底意地の悪い笑みを浮かべて問う。

 ティベリオの手が強く握られるのが目に入るが、そこまで悔しがることかとロメオは思った。それが専門家としての矜持というものなのかもしれない。


「分かりません。おそらく教会の壁は普通の石材です。ですが、今は何らかの理由によって普通ではない状態になっている。素材が本来持つ性質を変質させる魔術なんて聞いたことがありませんから、どうしてこんな状態になっているのか」


「この後はどうするつもりだ?」


 教会を見上げていたティベリオの背中にロメオが声を掛ける。

 元々、容易に結論が出る話だとは思っていなかった。

 いや、もっと言ってしまえば、結論など出ないのではないかとロメオは思っている。だから彼は最初からティベリオ自体には期待していなかった。

 彼がティベリオに期待するのはもっと別の何かだった。


「調査が思うように進まなかったと仰ってましたが、それでもこれまで調査された結果があるのなら、まずはそれを見せていただきたいと思っています」


「どうしてそれを最初にしなかったんだ?」


「騎士殿が何も説明せずに私をここに連れてこられたからです」


 それはそうだ、とロメオは苦笑いする。だが、教会のこの状況は言葉で説明したところで理解出来ないだろうと思ったのだ。

 ロメオも決してふざけていたつもりはなかった。


「そうだった。だが、意味はあったろ?」


「騎士殿が、なぜ先に調査結果を見に行かなかったのか、と問うたから答えたまでです。話をすり替えないでください」


 ロメオが肩を竦めるのを見て、ティベリオは息を吐いた。無駄なことをさせられているわけではないのだが、ロメオの態度にはどこか真剣味が足りないように見え、本当に調査をする気があるのか、と問いたくなる。


「では、傭兵ギルドに案内をすればいいかな?」


「……傭兵ギルド?」


「王立図書館に依頼をする前には、傭兵ギルドに依頼を出していたんだよ。荒事に慣れていない君たちに、いきなりこんな危険な仕事を任せられないだろう?」


 この任務に危険が伴う可能性があることが予め分かっていて当然のように自分に手伝わせようとしたのかと思うと、ティベリオは胸の内側で何かが呑み込めずに詰まったような感覚を覚えたが、それを無理やり呑み下し、先導を始めたロメオの後を追いかけた。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  なんだか噛み合わない様子のティベリオとロメオ。  まだお互い様子見という感じもします。  ティベリオは真面目で誠実ですね。初登場時に大変だと言っていた割には体力もある様子。 [気になる…
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