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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第六章 安寧を望む星たち
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第八十二話 退いた先


「あとは、僕に任せて……と言ったのに、ついてきたんだね」


 ムスヒが楔に触れ、何かを念じた様子を見せると、テルの目に映る景色は一変した。

 神の恩寵の光に包まれていたはずの部屋は、無骨な石造りの部屋に変わり、精霊のような光の塊と『ウツロ』と思っていた二体の獣は、一体はそのむき出しの石と岩の上に倒れ、一体はテルたちを見つめて立ち尽くしていた。

 ただの黒い塊だった『ウツロ』は、人の姿を取ることで、確実にテルたちを見ていることが分かるようになった。一方で『ウツロ』以外の、精霊のようなものと思っていた光もまた、今は自分達と同じ人にしか見えなかった。今、この瞬間、彼らの立ち位置が入れ替わってしまえば、誰が『ウツロ』であったのか、判別することは難しかっただろう。

 だが、この変化が想定外であったのはテルたちだけではなかったようだった。

 目の前の『ウツロ』たちもまた思わぬ出来事であるのか、こちらを凝視したまま動けずにいるようだった。


「『ウツロ』は楔の発動で無力化されるんじゃねぇのか。立ってんのがいんぞ」


 テル、ミヤ、スサの三人と、彼らと向き合う『ウツロ』たち。それぞれが事態の変化に追いつけない中で、今のこの状況が予測の範囲内であるように振舞っていたのが、ムスヒとミナカだった。

 楔の扱いを把握していたムスヒが、楔を発動させた結果どうなるかを把握していることはおかしな話ではないし、彼が知っているなら、同じ隊長格であるミナカが事前に話を聞いていたとしてもおかしな話ではないことは理解出来る。

 そして、今のこの事態を見れば、なぜ彼らが事前にこのことをテルたちに伝えなかったのかも理解できない話ではなかった。


 しかし理解することと飲み込めることは別だった。テルの胸の内は、怒りとも悲しみともつかない感情が渦巻いていることも感じていた。


「ミナカ、退こう」


「あん?」


 ムスヒが突然発した言葉にテルは「はっ」とすると、同時に自分が思ったよりもミナカたちの様子に意識を奪われていたことに気付く。目の前の『ウツロ』たちを警戒していたはずがすっかり意識が外れてしまっていた。その間に『ウツロ』たちに動きが無かったのは運が良かったと言わざるを得ない。


――退く?


 そうは思っても、テルはムスヒが発した言葉が気になり、『ウツロ』に対して集中しきることが出来ずにいた。


「そこにいるのは、本物の器だ。まともにやりあえば、僕らは文字通りなんも手が出ないままやられる」


 ムスヒの視線は目前に立つ三人、一人の年若い男性と、二人の女性に向いている。本物の器とは何で、それが彼らを指しているのか、それとも彼らのうちの誰か一人を指しているのか、今のムスヒの様子だけではテルには判別することが出来ない。


「僕だって本当ならここで退きたくないよ」


 テルには突然ミナカの背中が大きく膨れ上がった気がした。それはムスヒの「退く」という言葉に対し怒りの感情が膨れ上がったからのように思えた。膨れ上がった背中は爆ぜて、目に見えぬ壁となってテルに圧しかかってくる。それはミヤもスサも同じであったのか、二人の視線もミナカの背に張り付いていた。それほどの圧の中で、ムスヒはそれに臆することなくミナカと対峙していた。それが二人の関係性の表れであるのか、ムスヒ自身が抱える怒りの表れであるのか、テルには分からない。

 その背を視界の端に入れながら、『ウツロ』達を見ると、正面の男性がじっとムスヒ達だけを見ていることに気づいた。

 人として認識できると同時に、言葉も伝わるようになっているのかもしれない。ムスヒ達はそのことを気づいているのだろうか。だが、仮に気づいていたとして、二人はそれを気にしないようにも思えた。


「好きにしろ」


 ミナカがそう告げた瞬間、テルが感じていた圧しつけられるような重みが消える。

 ムスヒが『ウツロ』に背を向けて楔の方に向き直ると、それを護るようにミナカがムスヒの前に出た。その動きに気付いた正面の『ウツロ』がわずかに身構える。

 だがミナカはあくまでムスヒを護るために前に出ただけで、それ以上の行動を取ることはなかった。


 先程ムスヒが言った「まともにやりあえば」という言葉が影響しているのだろうか。


 この部屋に入ってから向き合った時間は僅かだったが、テルにはムスヒが言うほどの脅威が目の前の『ウツロ』にあるように感じられなかった。もしそれほどの脅威があるのなら、なぜ最初からその力を使い、自分達と対峙しなかったのかが分からない。


 彼でないとするならば、本当の脅威は彼が護っている後ろの二人の女性なのだろうか。


 さきほどから動きを見せていない二人こそ脅威とは感じ得なかったが、それもテルたちを排除するための準備に充てていたという可能性はあった。

 戦闘において実用的な場面が少ないためテルたちが扱った経験はほとんどないが、時間をかけ、陣や仕掛けを準備することで大規模な術を行使することは出来る。彼女たちが背後で準備していたものがそういう類のもので、今それが発動間近にあるのだとしたら。


――こちらが退くのを待つ理由は、それを発動させると自分たちも無事では済まないからか?


 そうだとしても、ムスヒの「まともにやりあえば」という言葉とはどこか合わない、とテルは思う。

 じゃぁ、結局どういう……。


 テルが考えを巡らせていると、ふいに身体が軽くなった。それと同時に目の前の『ウツロ』達の姿が消えた。



【虚空の底の子どもたち】

第六章 『安寧を望む星たち』



 次にテルの視界に映ったのは、半球上の白い光の壁に包まれた空間だった。

 はっとして足下を見ると、そこには転移陣の薄い黄色の光が浮かび上がっている。


「ここは……」


「第二遠征隊が最初に転移した場所だよ」


 同じく周囲を見渡すように視界を巡らせていたミヤの呟きに、ムスヒが答える。


「どうせなら『アストリア』まで飛べれば良かったんだけどね。楔に付与されている転移の機能は、取り込むだけだ。僕一人なら、行けたかもしれないけど」


「……なんでだ?」


「ほら、今、こっちの殻を被ってるから」


「……だが、殻だろう?」


「そうなんだよね。だから、ダメかもしれない、って感じただけ。試してみてもいいけど、それで殻だけ転移して、僕らだけ狭間に取り残されるとか、僕以外のみんなが取り残される、なんてことになったら、戻ってこれないかもしれないし、残された場合にどうなるかわからないって思うと、気軽に試す気にはなれないね」


 肩をすくめるムスヒに、ミナカは息を吐く。


「遠征隊のみんなも無事ならいいけどな」


 出口のある通路を見て、スサが呟いた。彼らとは、楔のある旧跡の地で別れ、その後どうなったかは分からない。


「僕らがどういう状況であれ、みんなはあの時接敵してた『ウツロ』達をある程度片づけたらそのまま撤退する事になってる。無事に戻ってきてくれるさ」


 誰一人欠けることなくというのは既に叶わぬ夢である。それは無事を願ったスサも、スサの独白に答えたムスヒも、そしてこの場にいる他の三人も分かっていることだった。

 だからこそ、スサやムスヒの言う「無事に」というのが、一人でも多くそうであってほしい、という願いが込められている言葉である事もまた分かっていた。


「で、さっき言ってた本物の器ってのはなんだ」


 ミナカも仲間の無事を願う気持ちはあったが、それよりまずは状況の整理の必要性を感じムスヒに先ほどの楔の間での会話で分からなかった部分について問い掛ける。ムスヒの言う通り「手も足も出ないような相手」が『ウツロ』の側に居るのなら、仮に再戦に臨むにしても戦い方を考えなければならなかった。


 ミナカの言葉を聞き、ムスヒはテル、ミヤ、スサの三人を見回す。


「何か問題があるなら、外に出ていますが」


 ムスヒの行動に、自分たちに聞かせてはまずいことなのかもしれないと推測したテルがそう申し出たが、ムスヒは(かぶり)を振った


「いや、いいよ。あれを見たんだ。もう伏せることもない。いいよね、ミナカ」


「……あぁ、そうだな」


 思わせぶりだったムスヒの行動が、自分たちの部下を思っての事だと知ると、ミナカはふぅと息を吐いた。


「俺の想像以上に物分かりのいい部下達みたいだからな、大丈夫だろう」


「褒めてます?」


 含みのあるミナカの言葉に、スサが即座に言葉を返す。ミナカは一瞬、むっとした表情を浮かべたが、それ以上表情を変えることなく、「好きに取れ」とそれだけを返した。


「じゃぁ、隊長の許可も得たことだし」


「俺はお前の隊長じゃねえよ」


「言葉の綾だよ。分かってるでしょ」


「言っておかないと、後で揚げ足取るのはテメェだろうが」


 よく分かってる。とミナカの言葉を嬉しく思いながらも、ムスヒはミナカの言葉に反応を返すことなくテル達に向き直る。


「色々疑問はあるかもしれないけど、君たちに一つ一つ説明するのは後にするよ」


 テルたちは頷き、それを見たムスヒもまた頷き返す。


「まずはミナカの疑問に答えようか。本物の器とは何かだったね。本物の器って言うのは、女神の現身(うつしみ)、あちらの「神子」だよ」


「それだけなら、本物ってぇ言い方はしねぇだろう。あと何があんだ」


「言葉通りなんだけどね。ただそれだとみんなには意味が分からないだろうから、ちゃんと説明するね。こっちの「神子」は、神の力、神術は使えるけれど、それは、あくまで借り物の力なんだ。神様自身が顕現して、直接力を(ふる)うわけじゃないから、威力も出来ることも限定される。その代わり力を借りるだけだから、僕は僕のままだし、それでどうにかなるわけじゃない」


「つまり、本物ってやつは、神そのものを顕現させる事が出来るてぇのか」


「その通り」


「こっちでそれが出来るのは?」


「僕が知る限りは居ないね。これはクラツチ様から聞いた話だけど、僕らはそもそも命の成り立ちからして神様の器には成り得ないんだって」


「……なんでだ」


「殻がないからだよ」


「……」


 だったら、と言いかけて、ミナカは言葉を声にするのを止める。

 それは、今ここで語るべきではないだろう、そう思った。


「あちらは元々殻の中に命が宿っている。あちらの「神子」は自らの命を道にして、女神を殻の中に顕現させ、殻の内側に留めることが出来るそうだよ。こちらも似たような事は出来るけど、定着させる殻がないから、顕現した直後に一度力を発現するのが精一杯。定着する前に道が消えるから、また元の場所に戻されるらしいね」


「やったことがある奴がいるのか」


「昔いたらしいよ」


「命を道にして、と言ったな。そして顕現したらその道は消えると」


「うん。もう分かってると思うけど、神様を顕現させるには、「神子」の命が代償となる。「神子」が神様を招くことが出来るのは一度きりだ」

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― 新着の感想 ―
[良い点]  六章開始はあの場面からなのですね。  思っていたよりも動揺の少ないテル。何よりも状況を見るのは、やはり戦いに身を置いてきた者だからでしょうか。  あくまで『ウツロ』として対するミナカ…
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