第七話 祀りの後
「もう、大丈夫だよな」
傭兵の一人が、恐る恐る地面に伏して動かない男たちの様子を窺っているのを見て、アルは無言のまま倒れたままの男たちの下に歩み寄ろうと足を踏み出した。
身体から黒い靄が出てくるに合わせて、男たちはその場に倒れ、以降身動きはない。
順当に考えれば、男たちは黒い靄に操られていた、と考えるほうがいいだろう。
得体の知れない存在であっただけに、どうなれば終わりであるのか、誰も分からなかった。周りの傭兵たちが警戒するのも当然と言える。
何かあったとき、対処できるのが自分だけであるのなら、確認は誰かに任せるべきであったかもしれないが、それを他の傭兵団に頼むわけにもいかない。
ならば、仲間ならいいのかと言えば、仲間だからこそ頼むのを躊躇われるのも事実だった。
その逡巡に気付いたのか、アルを追い越すようにして、デイルが男たちの下に歩み寄ると、一人一人の手首を手に取り、また、そっと手首を置くという行為を繰り返した。
壊れ物を扱うように、そっと。
そうして、その場にいた男たちすべての確認を終えると、デイルは傭兵たちの方を振り返り、首を横に振る。
「きっと、ここに着いたときにはもう生きてなかったのだと思う」
跪き、ずっと顔を伏せていたシンがいつの間にか立ち上がっていた。
目元を袖でこすると、感情を抑え込むようなすすり声で、
「黒い靄、『ウツロ』が身体から出てくると同時に僅かに残っていたエーテルも消えてしまったから」、と告げる。
「多分、時間が経ちすぎてたんだと思う」
微かに感じられていたエーテルも、『ウツロ』が身体を動かすためだけに残しておいたもので、恐らく人として生きるために必要なエーテルはそれよりずっと前に奪われてしまっていたのだろう、と。
胸の前で両手を組むと、シンは傭兵たちの方を振り返った。
「弔ってもいいでしょうか」
その言葉に、誰が言い出すでもなく、傭兵たちは男たちと同じ数だけの穴を掘り始め、穴を掘り終えると、彼らを土に還してやった。
傭兵たちが穴を掘る間、力仕事は任せておけ、と傭兵たちに言われて手持ち無沙汰になったシンは、フアンの様子を見ていることにした。
僅かの間とは言え、『ウツロ』に呑み込まれた彼はあれからずっと意識を失ったままだ。
最初は、男たち同様、エーテルを奪われてしまったのか、と考えたが、彼らとは違い、微かに聞こえる吐息、その手から感じられる温もり、そして何より身体を循環するエーテルが、彼が今も生きていることを示していた。
それよりも気になったのは、むしろ……
――混じってる
何が、と言葉にできるものではない。
ただ、「混じってる」と、直感的にそう感じた、それだけだった。
エーテルの流れを見ながら、他に外傷がないだろうか、と頭部や頸部、靄を受け止めた腕などを見てみたが、外傷らしき外傷も見当たらなかった。
こちらから物理的な干渉が出来ないのと同じ理由で、『ウツロ』自体も、こちらに対して物理的な干渉が出来ないのかもしれなかった。
伝承においてもそのような記述はない、とシンは記憶しているが、記述されていないことは、記述が漏れているだけ、ということもあり、こうして、実際に見てみない限りはわからないことも多い。
そうやって、フアンをじっと見ていると、いつの間にいたのか、彼を心配そうに見守っているレツが横に立っていることに気付き、「エーテルの流れは大丈夫だから」と伝えておいた。
その言葉に対して、シンは、背後から責めるような視線を感じたが、それには気付かないふりをした。
男たちの埋葬が終わったのは夜遅く、闇星、闇の女神クラウメが空から見守るために掲げたとされるその星が、南天の空を半ば過ぎた頃になっていた。
「ねぇ、アン……」
その夜、傭兵団「火の牙」の休む天幕の不寝番として、アンとセリカが焚き火を前に座っていると、セリカは手にした木の枝で焚き火の中の木を転がしながらアンに話しかけた。
用もなく話しかける事が命令違反であるとは分かっていても。
「何でしょうか」
「あなた達はここに『あれ』が現れることを知ってたの?」
「いいえ」
逡巡することなくアンは応える。まるで予め想定されていた質問であるかのように。
「それなら、なぜあれに近づいてはいけないなんて言ったの?そもそも『ウツロ』って何?シンが後で話すって言ってたけど、あのあとは有耶無耶になってしまったから」
有耶無耶になった理由は仕方ない、とセリカは思っていた。
男たちの亡骸を弔うことは、あの場の誰もが拒絶するものではなかったし、あの言葉がその場しのぎのために言ったもので無いことぐらいは、シンの様子を見ていれば分かる。
もしもあれが演技だというのなら、彼女はもっと別の職業に就くべきだろう。
だが、知らないままにしていい、とも思っていなかった。
聞く機会があれば聞くべきだ。
「あれに近づいてはいけない、と言ったのは、勘に過ぎません。一瞬でフアンを包み込んだかと思うと、その僅かの時間で昏倒に追い込んだ。触れるのは危険だ、と判断しました」
アンにとって、それは後付の理屈のようなものだった。アン自身、あの時に聞こえた声のような感覚は説明出来ないのだ。勘、としか言いようがなかった。
責めるような口調で問い詰めたセリカもまた、アンの答えには納得できるものがあった。
アンとシンについては、初めて顔を合わせて以降、こちらから声を掛けるなという命令があったことから、話す機会は少なかった。
しかし、最初の紹介のときに、「どこまで身を守れるのか」と聞いたとき、護身術レベルの体術なら身に付けている、と言っていた。それなりに戦闘のセンスがあるのかもしれなかった。
一方、体術と聞いて、アルが少し興味深そうにしていたが、流石に初対面の、しかも護衛対象として依頼を受けた相手に手合わせを願い出ることはなかった。
――あれの体術に対する関心は病気よね
と、セリカは思うが、思い返せば、アルが体術を身につけるきっかけが、そもそも好きになった相手の好みになるため、なのだから、恋の病にかかった結果があれであるなら、病気というのはあながち間違いではないのかも知れない。
気付けば、口の端を上げ、笑みを浮かべていたらしく、アンがセリカを見て首を傾げていた。
アンからすれば、セリカが微笑んだ理由など、分かるわけがない。
「ごめん。ちょっと余計なことまで考えてしまって。近づいてはいけない、と言った理由は分かったわ。そういえば、あの時のお礼を言ってなかったわね。止めてくれてありがとう。お陰で命拾いしたわ」
「いえ。共に行動する仲間ですから、当然のことをしたまでです」
アンの答えは感情を殺したかのように素っ気ない。だが、ここ幾つ陽行動を共にしていたセリカは、アンのこの態度がいつ、誰にでもそうであることを知っていた。
それが演じているのか、それとも性格なのか、そこまで親しい仲になれたとは思っていないセリカは、探るように、その心を見透かそうとするようにアンをじっと見る。
だが、アンは何ら動揺を見せることもなく、自分を見つめるセリカから目線を外さずにいた。対抗意識を持って睨むわけでもなく、目を外すことに怯えるでもなく、それが自然だとでも言うような瞳で見返され、先に音を上げたのはセリカだった。
これ以上待っていても語る気がないと分かると、小さくため息を吐く。
「……それで、『ウツロ』って?」
「私も多くは知りません。セリカ様は天地崩壊の伝承……、または天地創世の神話はご存知ですか?」
「神話の方なら。数多の世界を作った大神様がいらした。大神様によって生み出された世界は、エーテルとマナが循環し、永く生命が栄えるようにされた。けれどその生命を狙う者が現れた。私達の世界を見守るために遣わされた十二の神様が、この者たちを異界に封じ込めた。六の神様は、異界の者を封じるために地に沈み、残った六の神様は封印を護るために天に昇った。エーテルとマナが正しく循環するようになった世界は、多くの生命で満ち溢れた。……だっけ?」
「吟遊詩人の語りをなんとなく覚えてる程度だけど」、とのセリカの言葉に、アンは頷く。
「伝承ですので、事実は定かではありませんが、異界の封印は、神の力、恩寵の力により強まりも弱まりもする、と言われています。そして、過去に起きた未曾有の災害は、その異界の封印が弱まったために起きたものだ、とする伝承があります。それが天地崩壊に関する伝承です。その中には、『ウツロ』は、異界の封印が弱まったとき、異界からやってくる命を喰らう獣だ、と語られています」
「さっきの男たちも、その『ウツロ』に命を喰われた、ということ?」
「もう一つ、あれを『ウツロ』だと考えた理由があります。『ウツロ』は異界の獣であり、エーテルを持たない。マナで出来た獣であり、マナでしか傷つけることが出来ない、と伝承で詠われているためです」
それは正に先程の靄の特徴と似ていた。
「あれが『ウツロ』かもしれない、そう言っていた理由はわかったわ。これは単なる興味なんだけど、天地崩壊は、結局どうして防げたの?」
「女神の遣わした『神の子』と呼ばれる者が教会に現れ、その当時の人々を率いて封じた、とだけ」
教会や魔術協会が国を跨って組織立っていることを許容されるのも、この伝承のせいなのかしら、とセリカは感じた。
魔術協会や教会で強気な連中が多いのも、そういう文化の中にいるからなのかも、と今の話に納得することもあった。だが、そういう態度を許せるか、と言えば話は別だ。偉いのは過去の人であり、今のあんたじゃない、と思うのだ。
「疑うようなことを言って悪かったわ」
そんな心の葛藤は横に置いて、セリカはアンに頭を下げる。
彼女たちの素性が知れないことから、どこか信じきれずに疑いの目を持っていたことは悪いとは思っていない。
そして、その疑いが完全に晴れたわけでもない。それでも、この件については自分の物言いに非があると思ったので、素直に謝罪することにした。
良いことは良い、悪いことは悪い。
それを他人にも求める以上、自分もまたそうでなければならないと、セリカは思う。
「気にしていません。皆様も命が掛かっているのですから」
そう言うと、アンは僅かに表情を緩めた。焚き火の揺らめく明かりが彼女のアッシュブロンドに陰影を落とし、輝きと昏さを同時に内包させる。
抑揚のない声は変わらないはずなのに、その薄茶色の瞳は暗がりで漆黒のようにも映り、透き通るような笑みと合わさると、女であるセリカですら、惹き込まれそうになる。
だからこそ、恐ろしかった。
死戦を越えてきたセリカの視線に臆することなく、荒くれ者や曲者とも対等にやり取りをしてきたと自負する自分に感情を読ませることなく、淡々と語る目の前の少女は一体何者なのか。
修羅場を潜り抜けてきた熟練の傭兵であるなら、何事にも動じない精神を持っていても理解できる。
だが、アンは、彼女は大人と呼ぶには僅かに幼く、従事しているのはギルドの連絡員。死線からは程遠い職業だ。
何が彼女をこのようにしたのか、ただの好奇心でしかないが、そんな興味が湧いていた。
ぱちん、と炭がはねる音がして、木組みがからからと音を立てて崩れ落ちる。
セリカは手元の枝を手にすると、崩れた木組みに風が通るよう、燃えて炭になりかけた木を僅かに動かした。
木組みを変えるたびに火の粉が雪のように舞い、その周りを輪になって踊るように炎が揺らめく。
「お疑いになられるのは仕方ない、そう思います。私はこういう性格ですし。ただシンは……」
ぱちん、ともう一度音がするのに合わせたように、アンはセリカを見つめたまま呟く。
「手に届く範囲の命を一つとして零したくはない、そのためには、自分の気持ちを偽れない。そういう人です」
揺らめく炎を見つめながら、セリカは「その時」の事を思い返す。
男たちの命が既に失われていたことを知り、膝をつき悲しんだ彼女。
それが悔いにも似た表情に見えたから、始めから知っていたのではないか、そう疑いもした。
だが、ただ救えなかったことへの悔いであり、嘆きであったなら……。
未だ全ての疑問が晴れたわけではない。それでも、セリカは自身の問いに対する答えの一片を知れた気がした。




