第八十一話 ひとときの別れ
「頼まれていた件はまだ完全に片付いたとは言えないが、もう『アストリア』に帰るのか?」
ガイがいつもよりわずかに低い口調となっていることも気がかりではあったが、「頼まれた件」がなんであったか、とフアンは考えた。そして、それが『メルギニア』と『アストリア』傭兵ギルドとの『ウツロ』との共闘を指しているのであろう、と思い至る。
帝都防衛隊の長であるサビヌスはこのことを承知していても、すべての隊員にそのことを周知しているわけではないのだ、ということがこの一言だけで分かる。それは確かに、今の時点ではわざわざ喧伝する類いのことでもなかった。
「あの時、逃してしまった黒髪の青年の行方を追うために、一度ギルドの情報網を頼ろうかと思っています」
「あれがもう一度ここに来る可能性はないと?」
「いえ、ここに来たなら、ガイさんたちがいるから大丈夫だと思ってるってだけです」
フアンのそれは、半ば本心であり、半ば虚言であった。
もしも教会の地下と同じことが再び起きれば、次は犠牲無しに防ぐことは難しいとフアンは考える。
フェリが居ても居なくても、次に天地崩壊が起きれば、少なくない犠牲は出る。
一方で、『ウツロ』への警戒が一段と増した帝都メラノに、『ウツロ』が容易に入り込むことは難しくなるだろうとも思っていた。
今や人型の『ウツロ』の脅威を身を以て知った魔術士達が多数いるのだ。
きっと自分では考えつかないような対策を以て、『ウツロ』と対峙するに違いなかった。
だから、フアンの言葉は半ば本心であり、半ば虚言なのだ。
「立ったまま話すのも目立つな」
フアンの目を見ながら、その言葉を噛みしめるように受け止めていたガイは、思い立ったように受付に視線を移す。
「メリッサ嬢、そこの椅子使っても問題ないか?」
「どうぞご自由に。特にお客様の予定もないから」
「ありがとう。メリッサ嬢に許可をいただけたことだし、少し座って話そうか」
そうおどけた口調で話すガイは、いつも通りの彼だった。
「やはり、彼らの目的はあの石柱か?」
エレノアとフェリに先に椅子に座るよう勧めながら、ガイ自身も椅子に座ると、開口一番、声を沈めてそう問いかける。だが、その声は最初の「沈んだ様子」とは異なり、単に人に聞かせたくない故の低音だということは、フアンにも分かった。
そして、ガイならやはりそこに思い至るか、とも思う。ここまでならば、問題はない。だが、ガイはどこまで推測しているのだろうか。もしもそれ以上の可能性も考えているとするのならば、その考えを払拭しておく必要があった。しかし、言葉を誤ると墓穴を掘ることにもなりかねない。
フアンは話す言葉を慎重に選んだ。
「確実なことは何も。ですが、多分そうなのだと思います」
「なぜ、そう思う?」
「ガイさんはどうして彼らの目的が石柱と?」
フアンの切り返しに、ガイは巧いな、と思う。いつかの山中でのやりとりもそうだったが、容易にこちらの思い通りにことを運ばせてはくれない。だが、それが面白かった。それを楽しんでいる場合ではないとは分かっていても。
「彼らが、我々と同じ思考をするという前提での話になるが、後から思い返せば、連中は、教会のあの場所に辿り着くことを目的としているかのように動いていた。途中までは、ただまっすぐ進んでいるとも考えられる行動だったが、十字路を前にして連中が採った行動は、あの青年達を教会に進ませるための配置に見えた。
もしかすると、誰かが辿り着けば良く、もっとも可能性が高かったのがあの青年達だった、というだけなのかもしれないが、おそらくは、あの青年達でなければならなかったのだろうと思ってる。これは単なる勘だがな。
そして、教会の石柱の前でも、青年が石柱に何かをしようとしているの邪魔されないよう、周りの連中は防ぐように立っていた。
もともとあの青年が異質だったから目立ったのかもしれないが、それは逆で、あの青年が鍵だったからこそ、その姿も他とは違って異質だったのではないか。根拠はないし、なぜ異質である必要があったのかも分からない。だが、そんな気がする。
あの青年が鍵……と、自分で言って思ったが、正にあの青年は鍵だったんじゃないだろうか。
では、何の鍵なのか」
「異界への扉。天地崩壊を引き起こす、ですか?」
ガイの機先を制するようにフアンが告げる。彼の言葉をすべて聞いた後に答えるのは、どこか危ないような、そんな気がしたのだ。
「そう、思わないか?」
だが、ガイはそれすら読んでいたかのように、フアンに質問を投げかける。
これで、フアンは自分なりの見解を述べる必要が出来てしまった。
石柱が天地崩壊を引き起こすためのきっかけになり得る、そのことは、今後『メルギニア』で適切な防衛体制を築いてもらわなければならない以上、同意しておく必要がある。
だが、それを認めてしまえば、あの時、『ウツロ』たちが何を行って、天地崩壊は起きたのかどうか、について言及しなければならない。
天地崩壊が起きたことを認めてしまえば、それをどうやって収めたのかを説明する必要もある。それはすなわち、この四人の内の誰かが、それを収める力を持っていることを認めることと同義だった。
それを避けるためには、石柱が天地崩壊を引き起こすきっかけである、という推測を立てながらも、『ウツロ』がそれを行わなかったもっともらしい理由を説明する必要があった。
「その可能性は高い、と思います。ですが、彼らは石柱を前に、「今は退く」と言っていました。この場でまともにやり合えば、彼らは何も手出し出来ないまま一方的にやられるだろう。だが、今退けば、見逃してくれる、と」
「……どういうことだ」
嘘は言っていない、とフアンは胸中で呟く。
「僕にも意味が分かりませんでした。ただ、黒髪の青年は、その直前、天井を仰ぐような仕草を見せていた。もしかしたら、僕たちに見えない何かがそこにいたのかもしれない、とそう思ったのです」
「見えない何か?」
「石柱の天井の先にあるもの、なんだと思います?」
「……聖堂の女神レアラの像か?」
「もしかすると、あの時、あの場所には水の女神の加護があったのかもしれません。伝承においても、天地崩壊は、女神の加護が失われた結果引き起こされる、という逸話もあります」
「それで、何もせずに退いた、と」
「引き際にこのままにするつもりはない、とも言っていたので、もう一度この帝都メラノに現れる可能性が高いのは事実です。ただ、そのままもう一度現れたところで、多分状況は変わらない」
「だから、『アストリア』に戻る、というのか?」
ガイの言葉にフアンが頷く。それは最初からあった考えなどというわけではなく、今、ガイと話をしているうちに見いだした、『アストリア』に戻る新しい理由だった。
「『メルギニア』の内乱の件も、『メルギニア』国内に滞在しているだけでは見えなかったことがたくさんあります。『アストリア』のギルドを通して全体像が見えて、だから進言できたこともある。多分、これも同じことだと思うんです。
これまでは『メルギニア』の国内で表立って協力をお願いできる人はいませんでした。でも今なら、ガイさんのような人がいてくれる今なら、『メルギニア』の中でのことはお任せしながら、自分は『アストリア』で、『メルギニア』からでは見えない部分を見つけて、次こそは、あの青年たちを止めたいと、そう思ってます」
ガイは少し考え込む様子を見せると、力ない笑みを浮かべた。
「そうか。頼んだよ」
それは、今回、再会してすぐに見せた、どこか沈んだ様子を思わせる姿だった。
「頼んだ?」
「サビヌス様ならば、きっと良いようにしてくれるだろうし、アギィもきっと協力してくれるだろう。お前たちのことを気に入っていたしな。もちろん、俺に出来ることがあるなら、喜んで協力しよう」
ガイのいつもと違うどこか消極的な物言いに、フアンは引っかかるものを感じる。
「……ガイさんは、これからどうするんですか?」
帝都防衛隊に引き込まれたガイは当然、このまま帝都に残るのだと思っていた。困り顔のアギィに引っ張られ、ブルートとマルクスに面白そうに眺められながら。だが、違うのだろうか。
「マレポルタに帰ることになる。元々の徴兵期間は国境砦から帰ってきた時点で終わっていた。にも関わらず、特例としてサビヌス様に引っ張られて、帝都防衛隊なんて大層な名前の組織で、小隊長のようなことをやらせていただいていた。過分にも、な。だが俺は元々はただの漁師。単なる一帝国民だからな。また国が危急の存亡にでもなれば、軍隊に入ることもあるだろうが、そんなことはない方がいい」
「アギィさんたちは?」
「アギィはもともと協会から、国境砦に戦術訓練のために派遣に来ていた魔術士だ。それを国境付近が『ウツロ』の連中で騒がしくなってきたからと俺の部隊に組み入れてそのまま引きずり回してしまった。それでも、砦での任務が終わるまでのつもりだったが、俺の部隊にいたお陰で、特例に巻き込まれて、結局今まで引っ張り回すことになってしまった。アギィには悪いことをしたと思ってる。
ブルートとマルクスはもともと職業軍人だからな。このまま帝都防衛隊に組み込まれるんじゃないか。国境砦もサビヌス様の管轄だから単なる異動という形になるだろうな」
「アギィさんたちはなんて言ってるの?」
それまで黙っていたエレノアが急に立ち上がる。ガイはそれを少し呆然とした目で見上げたが、我に返るとうっすらと笑みを浮かべた。
「何も話してない。俺の退役も、アギィが元の部隊に戻るのも、軍であれば当然のことだ。面倒を見る必要がなくなったことを喜びはしていても、それぐらいだろう」
「みんな慕っていたのに?」
「軍なんてそんなもんだよ。今、一緒に過ごしている相手が、一つ陽後には一緒に過ごしていられるかなんて誰にも分からない。だから今の繋がりは大事にするが、今の繋がりを特別にはしない」
ガイの言葉にさらに何か言い募ろうとするエレノアを、フェリが手を引いて止める。
「シン、教会と同じことです。人の死に関わることの多い治癒術士は、人々との繋がりは大切にしても、思い入れは持たないこと。そう言われています。それと同じことなのだと思います。シンはそういう付き合い方が苦手なようですが」
「だって……」
拗ねるエレノアの表情を見て、少し暗い笑みを浮かべていたガイが吹き出し、それに合わせて表情も明るくなった。
「シンちゃんらしいな。だが、それでいいじゃないか」
笑うガイに、エレノアは彼を見る。
「俺たちだって、そうやって全部割り切れるわけじゃない。ただ、そうせざるを得ないからそうしてるだけって奴もいるだろう。だったら、関わり合う相手全員、割り切って考えたくない。そう思う子がいたって、いいと思うぞ」
それが心からの言葉だと思えたのか、拗ねた表情だったエレノアも笑みを零した。
「そうよね」
「でしたら、ガイさんももう少し素直であっても良いのではないですか?」
「ん?」
「アギィさんはガイさんの「嫁」だったのではないですか?」
「いや、それは……」
面倒を見ているからつけられたあだ名でしかない、そう言いかけて。アンの表情を見て、ガイは一つため息を吐くと、髪を掻きむしった。
「確かに、あれだけ迷惑を掛けておいて、挨拶の一つもないのは不義理だな」
「そういうことでは……」
フェリのその言葉を今度はエレノアが手を引いて止めた。
「俺が軍から退役するのは変えられないが、何かの時に力になってやりたいという気持ちも変わらない。もしもの時にはマレポルタに使いを出してくれ。基本的には近海で漁をしているから、長期間連絡に気づけないままということはないはずだ」
「……頼りにしています」
元々フアンは『メルギニア』国内に残る人々と直接やりとりを行うことは難しいと考えていた。出来たとしても、『メルギニア』の傭兵ギルドを介してになるだろう、と。だから、ガイが帝都防衛隊を離れ地元に帰ることになったとしても、フアンの元々の予定からすれば何ら変わらないはずだった。
それでも、この胸に感じる寂寥感はなんだろうかと思う。
「レツくんも、山に厭きたら、たまには海もいいぞ。目と耳のいい奴はいつでも歓迎だ」
「むしろガイさんこそ、こっち来ないですか?海もいいですが、山もいいですよ。それにガイさんぐらいの力があれば、『アストリア』の傭兵ギルドではいい実入りになると思うんですけど」
「命をいただくのは魚だけで十分だよ」
言外に込められた何かを感じ、レツは頷く。
「それは、そうですね。俺も、山の獣たちだけで十分です。獣は獣でも、うつろう獣の命を奪わずに済むならそれがいいです」
「……存外、詩人だな」
「そんなつもりは」
「いや、すまない。さて、それじゃ、俺は行くよ。アギィたちに挨拶するついでに、君たちから連絡があったときにはよろしく頼む、と伝えておく」
「ありがとうございます」
立ち上がり、礼をするフアンを前に、ガイも立ち上がると、フアンの目の前に手を差し出した。気づいたフアンは姿勢を正すと、その手を握り返す。
「じゃぁ、またな」
「はい」
「シンちゃんも、アンちゃんも。それにレツくんも」
ガイはそう言って、それぞれと握手を交わすと、最後にもう一度「じゃぁ、また」と言い、その場を去った。
そのガイの後ろ姿を見送って、フアンはレツたちを見回す。
「それじゃぁ、僕たちも帰ろうか。『アストリア』へ」
その後、彼らは「朱い牙」と合流し『メルギニア』を出立する。
それから『アストリア』の首都の地を踏むのは一分神節後。
土の央神節の頃となる。
そして、そのフアンたちが『アストリア』の地に着くのを待っていたかのように、『アストリア』の傭兵ギルドに『ルース』が天地崩壊にて地に沈んだとの報が届いたのだった。
第五章 『流れ落ちる水のように』 了




