第八十話 受付にて
「あれ?「赤い牙」の。何か問題でもありましたか?」
フアンたちを連れて宿舎の受付に向かっていたデイルは、彼が声を掛けるよりも先に宿舎の受付の女性に話しかけられた。
少し前までは夜の警邏を終えた隊員たちで人通りの多かった受付の前も今は閑散としており、数名でまとまって行動していたデイルたちは目立ったのだろう。
「防衛隊に所属しているガイウス・キンナという男を捜している。一つ陽前まで、この者たちと共に行動していたのだが、襲撃の後始末のごたごたで別行動を採らざるを得なくてな。もし来られたら城に来てくれ、と言われていたそうだ」
「「赤い牙」の人ではない?」
デイルと一緒に行動をしていたことから、当然フアンたちを「赤い牙」の団員だと思っていた彼女は、デイルの言い方に引っかかりを覚える。そしてガイウス・キンナという名前…。
「関係者ではあるが、「赤い牙」の団員ではないな。そんなことより、どうだ?分かるか?」
一つ陽前に初めてここを訪れたはずのデイルが、ずいぶんと親しげに会話しているのを見て、フアンは意外に感じていた。元々知り合いだったのだろうかという気安さではあるが、普段通りの口調とも言える。
面識の薄い相手に身構えてしまうのはフアンの悪い癖だが、それは脇に置いたとしても、程度に差はあれ、面識の薄い相手にはそれなりの話し方をするものだと思っていた。そんな疑問に一筋の解法を示したのは、横で同じようにデイルの態度を意外そうに見ていたレツだった。
「受付台は少し物々しい感じがするけど、それ以外はなんかギルドっぽいよな、ここ」
フアンが改めて辺りを見回すと、宿舎の受付は入り口から入ってすぐにある開かれた待合室の奥に置かれ、一般的な傭兵ギルドの受付と似た構造のように見えた。受付の女性も、ギルドっぽいと言われてみると、気さくだが、抜け目ない雰囲気が、それっぽい感じがする。
ここをギルドの受付と感じれば、通い慣れた場所であり、話し慣れた相手と感じるのか。そう思うとフアンは急にこの場所に対して親しみに似た不思議な気持ちを持った。
そんなことを思ってフアンが受付の女性を見ていると、あちらも自分たちを見ていることに気づいた。『ウツロ』の調査で各地を巡っていた最中にも、帝都には何度か足を踏み入れている。そのどこかですれ違ったことでもあっただろうか。そう思っていると、受付の女性が、手元の紙を手に取って、内容を確認した後、エレノアの方に視線を移した。
「そこの子たち、アンとシンって名前だったりする?」
「……そうですけど」
「じゃぁ、その横の子たちはフアンとレツ?」
「はい。……もしかして言伝でも?」
傭兵ギルドの受付のようだ、と思ったからだろうか。普段は慣れない相手に話しかけることにためらいを覚えるフアンは、自分でも意外なほどすんなりと言葉を返していた。
「そう。朝、ガイウスって隊員が、もしもここに長い黒髪の一見おとなしそうに見える女の子と、その女の子の脇に控えるようにしているくすんだ金色の髪の女の子が来たら、自分は長官のところに行くので、待っていて欲しい、って。
もしかしたら、金色の髪と髪の色みたいな明るい感じの男の子と、その後ろにひっつくようにしてる白銀の髪の男の子の方が来るかもしれないから、その場合もやっぱり待っててくれって
城の入り口の朝番にも伝えておくけど、入れ違いになるかもしれないからって」
先にエレノアたちの名を出すあたりがガイらしい、とフアンは心の内で笑みを浮かべる。
長官、とは、帝都防衛長官サビヌスのことであろう。『ウツロ』の襲撃後の対応で一つ陽前にはサビヌスの方で報告を受ける時間が取れず、今になったのかもしれない、となんとなくそんなことを思う。
教会の地下で起きたことが、『ウツロ』の目的そのものであった可能性がある、という非常に重要な出来事はあったが、ガイはそれをまだ知らない。帝都に侵入した『ウツロ』がなぜか教会の地下を目指し、そして、そこから姿を消した。
その『ウツロ』たちには、『ウツロ』と会話出来る青年が同行していたが、その青年もまた一緒に姿を消していた。
これだけでも十分重要な情報が含まれているとは思うが、何を置いても報告するほどの内容か、と言うと、そうはならないだろう。
むしろ、一つ陽前の夜は『ウツロ』の再襲撃に備えることを専念したのかもしれなかった。
「待つとは、ここで、ですか?」
「そうじゃない?」
フアンがデイルを振り返る。自分たちの都合で「赤い牙」を待たせることになっても良いかを確認したかった。デイルはフアンの視線の意味を汲み取っていたが、意味が分かったからと言って彼一人で判断出来るかというと、難しかった。
一つ陽前にすれ違った偉丈夫に挨拶に行く、というので軽い気持ちで案内をしていたが、まさかそれが帝都防衛長官と直接会話出来るような人物であったは思いもしなかった。その上で、そのような人物からの召集であったと考えれば、多少無理をしてでも会っておくべきだろう。団員たちに多少不満は出るだろうが。
「フアンたちはここでガイウス殿を待つといい。俺は戻ってこのことを団長たちに伝えておく。もしかすると団の一部は先に出発させるかもしれないが、俺かウィルかは残ってお前たちを待つようにするよ。まぁ、そのときには他の団員たちがここを通るだろうから、そのとき話が出来るだろう」
「すみません、お手数をおかけします」
「もしこの場所から移って話をするようなことがあるなら、そこの受付の彼女に言伝をお願いするか、一度さっきの部屋に寄ってもらえるか?その方がこちらとしては安心だからな」
「分かりました」
「と、勝手に決めてしまったが、頼めるだろうか?」
デイルが受付の女性に視線を向けると、彼女はにこりと微笑んで応えた。
宿舎の受付の前でデイルと別れたフアンたちは、受付前の待合室に置かれた椅子に座り、ガイが戻るのを待った。
だが、ただ座って待てるようなおとなしい性格ではないレツとエレノアは、しばらくすると待合室や受付の構造や調度品を物珍しそうに見回り始める。
そんな二人を苦笑いをして見ていたフアンだが、彼自身、この場所が傭兵ギルドの受付に似ているというレツの言葉に感じるものがあり、視線だけは周辺を巡らせていた。
そうやって視線を巡らせているうち、受付の女性がこちらを興味深そうに見ているのに気づく。他に人がいなければ、受付の女性がフアンたちを見てしまうのも無理はなかった。にも関わらず、つい好奇心に負けて辺りを見回してしまっていたフアンは急に恥ずかしくなった。
「ガイ…ウスさんって、どんな方なんですか?」
その恥ずかしさを誤魔化そうと、フアンは受付の女性にガイのことを話題に出すことにした。会話をしたからと言って、先ほどの行動がなかったことになるわけではなかったが、話すことで意識がそちらに移ってくれれば、などと考えたのだ。
「さぁ。私も話をしたのは今回が初めてだし、防衛隊隊員全員がこの宿舎を利用しているってわけでもないから」
「そうなんですか」
もしもガイが普段から宿舎を利用する機会があるのなら、女性に声を掛けていないわけはない。そんな、本人が聞けば「よく分かってるな」と答えそうなことをフアンは考える。
「……でも、そうか。帝都防衛隊の方って皇城だけでなく、帝都全体を守っているんですよね。帝都の外壁側の見回りする人は、仕事が終わればそのまま帰宅する感じなんでしょうね」
「あんまり詳しいことは話せないけど、大体そんな感じね。城を担当するのは、それなりに熟練した隊員であることが多いみたいだから、ここで見たことがないってことは、熟練者の域ではないのか、裏方か、全然別の仕事を割り振られているか。そんな感じなんじゃない」
『ウツロ』を前にしたガイの立ち居振る舞いを見て、熟練者ではないとは思えなかったため、おそらく別の仕事を振られていたのだろう、とフアンは推測する。そもそも、本来協会の管轄下から離れて単独行動させることなどないと言っていい魔術士が、少人数の部隊の一員として組み込まれていた時点で、ガイとその一団は「普通」ではなかった。
そのため、「別の仕事」に就いているものは宿舎を利用することはない、という説明はなんとなく納得のいくものだった。
「別の仕事ってどういうものがあるんでしょうか。あ、聞いて良ければ、ですけど」
フアンの言葉に女性はにっこりと笑みを浮かべる。
「聞かれて困るような仕事の内容は、一介の受付も知らないから大丈夫よ。例えば、そうね、帝都の巡回警備とか。そういう人たちは防衛隊って分からないように見回りしていて、何かがあった時には、近くの仲間に知らせるか、非常事態の場合は、自分たちで対処するかしてるって聞くわね。だから、君たちも普段から言動には気をつけてね」
「普通の人たちに紛れている防衛隊の人がいるなんて、話してもいいんですか?」
「これが本当かどうか、きみたちが確かめる方法はないし、もしこれが本当なら、知ったきみたちは日頃の行いを気をつけるようになるから、帝都の治安は向上するでしょう。だから、話すことにはなんの問題もないのよ」
さすが宿舎の受付をしているだけはある、とフアンは思った。
もしかするとこの会話すら、本来の目的を隠して、なんらかの思考誘導を行われているかもしれない。そう考えると、ギルドの受付に似ている、という感覚は間違ってなかったようだった。
人の思考を自然と「問題のない方へ」と向ける技術は、様々な問題を持ち込まれる受付にとっては、身につけておく必要な技術なのかもしれない、そんなことをフアンは思った。
「きみたちは「赤い牙」の関係者って言われてたけど、『アストリア』の人なの?」
受付が必要とする技能についてフアンが考えを巡らせていると、今度は受付の女性の方から尋ねてきた。これから『アストリア』に帰ろうとしている状況で隠す相手でもないことから、その質問には素直に「そうです」と答える。
「『アストリア』の傭兵ギルドの事務方をやってるので、「赤い牙」の方たちの「関係者」だと、デイルさんは言ってくれたんだと思います。あぁ、デイルさんって、さっき最初にガイウスさんのことを尋ねた男性です」
「『アストリア』の傭兵ギルドの事務員さんなの?どうしてうちに?あ、聞いていいなら、だけど」
「一つ陽前の襲撃が正にこちらに来た理由なんですが。『メルギニア』の傭兵ギルドや、『メルギニア』の軍の方と、今後共闘していくようお話を通すための使者としてこちらに伺っていました」
「この時期に「赤い牙」の人たちがまとまってこっちにきたのもそのお陰ってことなのね」
「……お陰?」
「最近国内の傭兵の多くが地方に出て行ってしまってたから、万が一の時の戦力に不足があるんだって話を何人かから聞いてたから」
内乱か。と、フアンは考えはしたが、それを口にすることはない。
フアンたちは、宿舎にたどり着くまでの間、デイルから内乱に関するおおよその顛末を聞いていた。
未だ確実に安全になったとは言いがたいが、一触即発の状況は抜け、だからこそ今回「赤い牙」もお役御免となるのだろう、と。
だが、内乱については、『メルギニア』国内でもごく一部のものにしか知らされていないはずだった。
ロイス軍と共にブラベ軍と対峙した皇帝直轄軍はおそらく知っているだろう。しかし南から迫っていたマグノリア軍が、内乱のために軍を寄せているということを帝都防衛隊はどの程度知っていたのか。
より帝国民に近い位置にいる彼らは、かなり情報統制されていたのではないか、と推測できる。
宿舎のこの女性が内乱の話を知らないのもそれが理由だろう、とフアンは思う。
――知っていて、こちらが知っているかを探るために知らないふりをしている、という可能性もあるけれど。
いずれにせよ、うかつに言葉に出来ない、という意味では変わりなかった。
内乱の顛末については、「赤い牙」の団長が戻ってきた際に説明があるだろう、とデイルが言っていたため、フアンとしてはより詳細な結末は、『アストリア』の帰り道にでも聞くことが出来ればいいと思っていた。仮にそこで聞く機会がなくとも、『アストリア』に戻れば、傭兵ギルドで「赤い牙」からの報告を受けた団長から話を聞かされることになるだろう。知るのが早いか遅いか、その違いでしかなかった。
それに、『ウツロ』という脅威を前に、人同士で争わずに済んだのならそれが一番いい。どのような経緯を辿って、内乱の火が燃え上がる前に鎮火したのか、そのことについて、仕事柄知る必要はあるとフアンは思っても、積極的に知りたい、とは思わなかった。
知らない方が幸せ、ということは本当にあるのだ、とフアンはそう思っている。
「あぁ、来てくれたのか」
受付の女性にどう答えるか、と逡巡していると、背後で扉の開く音がすると共に、聞き慣れた低い声がフアンの背中を叩いた。
「アンちゃんも、無事だったんだな。良かった」
「ご心配をおかけしました」
声の主はガイだった。
フアンがガイの方を振り返ろうとすると、レツとエレノアがじっとフアンを見ていることに気づく。
「……なに?」
「いや、珍しくよくしゃべるなと思って」
同感、とフアンは心の中で呟く。
宿舎の受付の女性と普通に会話出来ているフアンの姿が珍しかったのか、レツとエレノアは周囲を見るよりもフアンと受付の女性の方が気になっていたようだった。
辺りを見回しているところを受付の女性に見つかった、と思った時も恥ずかしい気持ちになったが、話している様子をじっと見られていたことに気づかなかったことも恥ずかしかった。
――大丈夫に見えて、緊張していたのかもしれない。
そんなことを思いながら、改めてガイの方を向き直る。
「色々とお世話になりました。今回はお別れの挨拶に伺いました」
ガイは少し驚きの表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻ると、「そうか」と呟くような声で言った。
次回、長かった五章完結です。




