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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第五章 流れ落ちる水のように
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第七十五話 胸の内に留めていたもの

「私が謝ったのは、フアンの事を信じきれなかったことに対してだよ」


 エレノアはそういうと、頬を流れた一筋の涙を袖口で拭うと、顔を上げ、フアンを見つめた。


「……どういうこと?」


「「神力」の事、知られたらどんな風に思われるのか、とか。フェリが「神子」だって知られたらどう思うか、とか。フアンが『ウツロ』かもしれないって言った時、恐ろしく感じてしまったこととか」


 『ウツロ』の言葉に、フアンは僅かに肩を揺らすが、言葉としては何も告げず、エレノアが語る言葉を聞き続ける。


「今も、フアンは私たちのことを分かった上で、その上で利用しようともしないで。

 けれど、レツはやっぱり特別なのかな、なんて変な感情を持っちゃったりして。一人で拗ねてるみたいにからかってみて。

 こんなにも色んな事考えてくれてるのに、私は自分のことばっかりで。

 ……だから、ごめんなさい」


 深々と頭を下げるエレノアを見下ろし、フアンは大きく息を吐いた。そして、その場で少し屈むと、エレノアの両肩に手を添えて、彼女の身体を前に向かせる。


「僕が『ウツロ』かもしれないって話を聞いて、怖がるのは当然のことだよ。

 「神力」の事だって。治癒術では癒せない傷も癒せる力なんでしょ。多分、それ以上のことだって出来るはず。天地崩壊の時には、外傷がない状態で、生命(エーテル)だけが失われていくのを防いだんだ。多分、生命(エーテル)に関わる様々なことが出来るんだと思う。そんな力を持っていること、そして利用されている噂を身近に聞いてきたこと、警戒して当然だよ。

 フェリの事も。

 僕だってエレノアと一緒で、フェリがもしかしたら「神子」かもしれないって思ったとき、警戒したからね」


「……私を?」


 未だ泣きそうな顔のままのエレノアに向けて、フアンは笑みを浮かべた。


「フェリのことでエレノアを警戒するはずないでしょ」


 フェリの頬が僅かに緩む。


「ガイさん達だよ。後で話すって言って、話す機会が今までなかったけど。教会の地下で、『ウツロ』たちが消えた後に、ガイさん達にはフェリが石柱に触れたことやその時起こったことを黙っていてほしいって言ってたの覚えてる?」


「……あぁ」


「『ウツロ』が石柱に触れて、突然異変が起きて、フェリが石柱に触れて、異変が戻った。事実としてはそれだけなんだけど、『ウツロ』の事を調べてたガイさん達ならもしかしたら気づくかもしれない。アギィさんは魔術士だから、伝承に詳しい可能性もある。

 もしもガイさんにフェリが「神子」だと気づかれたら、十中八九『メルギニア』に利用される。だから、黙ってもらったんだ」


「そう……だね。気づいてなかったけど。あの時にフアンはもうフェリが「神子」かもしれないって思っていて、それで、その先のことまで考えてくれてたんだ」


「はっきりとした考えがあったわけじゃないんだけど、ね。

 仲間だと思っていても、信じきれないと思って行動してしまう。それは僕も同じだった。だから、エレノアがフェリを護りたくて、色んな事を誤魔化していた気持ちは、全部じゃないけど、分かるよ。

 僕だって、自分の、自分たちのことばかり考えてるのは一緒だから」


 エレノアは自分の胸の内側で、大きく息を吐き出したような、溜まっていた何かが流れていったような、そんな何かを感じた。

 それと同時に、一度は止まっていたはずの涙が、再び流れ出した。今度は一筋だけでなく。何度も何度も。


「……え?」


 エレノアが突然涙を流し始めたのを見て、フアンが焦ってエレノアから手を離そうとしかけて躊躇う。

 熱い吐息が布越しに伝わって。流れるような黒髪が、フアンの目の前で卓上の灯の光を孕んで、揺らめいて。

 少しだけ感じるエレノアの頭の重みが、彼女の抱えていた苦しみの一部なのかと思いながら、一度放しかけた手をエレノアの背に回し、とんとんと、赤子をあやすように、背を撫でるように叩いた。




「……フアンが俺を連れていきたくないって理由は分かった。けれど、もしも俺が同行しないとするなら、条件がある」


 一通り、エレノアの気持ちが落ち着くのを待つと、フアンはエレノアを椅子に座らせた。それを待って、レツがフアンに話し掛ける。


「……条件?」


「アギィさんか、アルさん相当の能力を持った魔術士を最低でも一人連れてくこと。そうじゃないと、黒髪の奴を見つけたとしても、会話出来る状態になる前にやられる可能性が高い」


 レツの申し出にフアンは黙り込む。

 無茶を言うとは思ったが、レツの言う通りでもあるのだ。

 次に黒髪の青年と会えたとして、彼が一人きりで歩いているかどうかは分からない。

 人の姿で潜入をして、密かに石柱に近づくことを目的とするなら、彼が一人で行動している可能性もあるだろう。

 だが、今回のように『ウツロ』と共に行動している可能性も捨てきれなかった。

 彼という存在が希少なら、『ウツロ』も彼を一人だけにすることは考えにくいのだ。都市部に潜入した後ならば、彼一人ということはあったとしても。


「それからもう一つ問題がある」


「……分かってる。どうやって探すか、だろ。」


「どうするつもりなんだ?」


「ギルドの力を借りる。元々、『アストリア』には一度戻らなきゃいけなかったんだし、その時ギルド長に事情を話して、黒髪の青年を探す手配をしてもらう。あの人なら、事の重要性を理解して、最大限の手を打ってくれると思う」


「そっか。じゃぁ、「赤い牙」のみんなと『アストリア』に帰るところまでは、とりあえず一緒だな。そこまでに話がつけば、俺は『アストリア』で俺の出来ることをする。

 そこまでに話がつかなければ、俺もフアンについていく。それでいいか?」


 レツはそう言って、フアンの目をじっと見た。


「……駄目って言ってもついてくるだろ?」


 苦笑いするフアンに、レツは勝ち誇ったように笑みを浮かべる。


――強引さは相変わらずだな。


 母親が亡くなった、四神期()前の時もそうだった、とフアンは思い起こした。




 『ウツロ』に襲われ、母親のセナが身代わりとなって命を救ってくれたあの日からしばらくの間のフアンの記憶は失われている。

 意識を取り戻すまでの間はもちろんだが、意識を取り戻してから動けるようになるまでの間、それからさらにしばらく後まで、フアンの記憶は靄がかかったように曖昧で、何も思い出せずにいる。

 父親のシアンは教会に戻ると言って村を出て以降の行方は知れず、フアンは僅かの間に身寄りのいない子どもになっていた。

 父親が出ていった後、フアンがどうやって過ごしていたのか、フアン自身はっきりしない。ただ、呆然と、寝床の上で横になっている自分を覗き込むようにレツが立っている。その記憶だけが残っている。


「フアンとこの親父が帰ってくるまでの間でいいから、うちで面倒見れないか?」


 未だ意識のはっきりとしないフアンの手を引いてレツが向かったのは、レツの家だった。夕飯を終え、部屋で狩った獣の皮をなめしていたレツの父親の前に向かってレツがそう告げた。

 レツの父親であるブリックは、一瞥すると、作業に戻る。レツが突拍子も無いことを言い始めるのは今回に限ったことではない。思い付きで言い出したことをいちいち相手にしていては疲れるだけだ、とブリックはそう思った。


「このままじゃ、フアンが死んじまう。なぁっ!」


 無視を続けていても、レツが諦めずにわめき続けるので、ブリックは立ち上がり、部屋の奥に視線を移した。

 自分が何か言っても喧嘩になるだけだ。妻ならば上手くやるだろう、そう思ったのだが、炊事場にいるはずの妻クロリンダの姿が見当たらない。

 立ち上がってしまったからには、このまま無視した方が面倒だった。


 わめくレツを無視してブリックはフアンを見た。フアンがただレツに連れてこられただけなら、フアンと話せばいい。そう思ったのだ。

 だが、フアンを見て、ブリックは考えを改めた。


「レツ、いつからだ」


「え?いいの?」


「……違う。フアンがこんな状態なのはいつからだ」


「知らないよ。気づいたらずっとこんなだった」


 この当時、レツもその父親のブリックも、フアンに何が起きたのか、母親がなぜ亡くなったのか、何の事情も知らなかった。

 突然フアンの母親であるセナが亡くなり、父親であるシアンは葬儀を終えると、そのまま仕事のために教会に戻った。ブリックが知るのはその程度のことだった。

 フアンも子どもと呼べる年齢ではない。独りになったとはいえ、父親からなんらか話は聞かされた上で、独りでいることを選んだのだろう、とそう思っていた。

 だから、レツの言葉も余計なお世話を思いついただけだとまともに取りあおうとしていなかった。


「フアン」


 ブリックが語り掛けるのに合わせて、フアンはブリックに視線を向けたが、焦点は合わず、ブリックを見ているようで見ていない、そんな様子に見えた。


「お前はどうしたいんだ?」


 問い掛けたブリックの言葉に、フアンは言葉を返すことなく、ただ立ち尽くしている。


「セナが亡くなったことはショックだろうが、お前も……」


 突然フアンが首を傾げるのを見て、ブリックは言葉を止める。

 「何を言っているのか?」と問うような仕草に、ブリックは嫌な予感がした。


「フアン。お前、セナが亡くなったことを知らないのか?」


 フアンは黙ったまま、まっすぐブリックを見る。そして、「あ……」と呟くように小さく声をあげたかと思うと、突然両肩を抱き、その場にうずくまった。


「フアンっ」


 レツが慌ててフアンを掴もうとするその手を、ブリックが掴んで止める。


「なにすんだよっ」


「不用意に触るな」


「なんでだよっ」


「知らん。知らんが、そっとしておけ」


 狩りをしていると、時折自らが狩られる側になることがある。命のやり取りをしている以上、常に身には危険があるのだ。

 追い込んでいるつもりが追い込まれていた、長く狩りを続けていれば一度や二度、そういう経験をすることがある。

 死の足音が間近に迫る瞬間を経験した者は、類似した状況を酷く忌避するようになる。その恐怖に向かい合い、乗り越えた者は、より優秀な狩人となる。そして、乗り越えられなかったものは、狩人であることを辞めるか、人であることを辞めるのだ。


 今のフアンは、死の音に触れたもののような反応だった。

 

 セナの突然の死。シアンの不在。目前に居るフアンの様子。

 それらが何を示しているのか、ブリックには分からない。ただ、その恐怖を乗り越えることが出来るのはフアンだけだ、ということは知っていた。

 周りには何も出来ないし、何もしないほうがいい。そのことをブリックは経験的に知っていた。

 それでも、出来ることがあるとするなら。


「レツ、お前の寝床空けてやれ」


「え?」


「フアンはしばらくうちに置く。シアンが突然返ってきた時のために、フアンはうちにいるって手紙を置いてこい」


「分かったっ」


 飛び出していく息子の背中を見送ると、ブリックはしゃがんだままのフアンを見下ろす。


「辛かったな……」


 しばらくして、足下から、嗚咽が聞こえてきたのに気づいたブリックは、フアンを背にして、再び座り込み、皮をなめす作業に戻った。

 外に薪を取りに出ていたクロリンダが戻るまでの間、部屋には皮をなめすための石の擦る音と、押し殺した声だけが、小さく響いていた。


 そのようなことがあり、フアンはレツの家に世話になることとなった。

 ただ、フアンの記憶では、いつの間にかレツの家にいた、という感じで、レツの父親ブリックとのやり取りは、はっきりと覚えていない。

 それはどこか遠い靄の向こう側といった感じだった。


 狩人としての技術をレツの父親から学んだのはこの頃だった。

 迫りくる死への恐怖との向き合い方を教えられたのもこの頃だ。

 レツと違い、狩人としての知識も技術もなかったフアンは、突然死と隣り合わせの狩り場に連れ出され、このまま殺されるのではないか、と疑ったこともあった。あり得ないことだと分かりながら、母親を殺したのも実はレツの父親なのでは、などと思ったこともある。

 ブリックは、フアンに死と向き合わせることで、生への欲求を呼び起こさせようとしていたのだが、当時のフアンにそれを理解することは難しかった。


 生きることで精一杯の日々を過ごす内に、次第にフアンは精神的に落ち着きを取り戻すことが出来た。そうなれば、いつまでもレツの家に厄介になっているわけにはいかないと、自宅に戻ることにしたのだが、それでもそれからもしばらくの間は、レツに強引に連れ出されながら、狩人としての技術を学ぶ生活を続けていた。

 父親と違って治癒術の使えないフアンは、このまま狩人になるのもいいかと思い始めていた。

 そんな時、教会から訪れた使者に父親であるシアンの所在を尋ねられ、そこで初めて、村を出たはずのシアンが教会に戻っていないことを知った。


「親父さん、探しに行くんだろ」


 父親の行方の探すため、まだ光星が地平の影に光を落とすよりも早い時間に家を出ると、そこにレツが立っていた。


「レツ……、どうして」


「どうせ、自分のことでこれ以上周りに迷惑掛けられない、とか考えて、一人で出て行こうとするだろうって思って」


「そっか。ありがとう」


 すっかり自分の行動が読まれてしまっていることに気恥ずかしさを覚えながらも、夜が明ける前の時間に見送りに来てくれたことをありがたく思い、フアンは礼を言う。

 だが、返ってきた言葉はフアンの想像を超えたものだった。


「じゃぁ、行くか。とりあえず、親父さんのいた教会に向かうんだよな」


「そうだけど、レツ、ついてくる気?」


「当たり前じゃん。それでありがとうって言ったんじゃなかったのか?」


「いや、見送りに来てくれたお礼のつもりだよ。大体、ブリックさんたちが許して」


「親父達には許可もらってるよ。フアン一人だとまだまだ危なっかしいし、ついて行ってやれって」


「いや、でも……」


「いいんだよ。俺が勝手についてくんだから。それに、見知らぬ土地で何かあったとき、一人よりは二人の方が絶対いいだろ」


「それは、そうだけど」


「じゃぁ、いいんだよ。ほら、行くぞ。あんまり目立つ前に、村を出たいんだろ」


「……それだけ騒いでおいて、目立つ前も何も」


 一人先に行こうとするレツの背中向かってフアンがそう呟くと、レツが振り返り、フアンの眼前まで歩み寄ってくる。


「行くのか?行かないのか?」


 これでも気を遣っているんだ、とでも言いたげに、小さな声のまま凄みを効かせようとするレツを見て、フアンは苦笑いを零した。


――行くのは僕であって、レツじゃないはずなんだけどなぁ。


 そう言ったところで、結末は変わりそうにないと、フアンは諦めて、レツの後ろをついて歩き出す。だが、その口元はどこか緩んでいるように見えた。




 あの時も、今も、自分の中の不安をその強引さで取り除いてくれる。

 そんな想いを内に秘めたまま。


「仕方ないから頼りにしてあげるよ」


 勝ち誇る笑みを浮かべたレツに向かって、フアンはそう言って笑った。

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