第七十四話 ついていく
「僕はこの後、これ以上の天地崩壊を防ぐ為に黒髪の青年を追って、止める。
ただ、次に天地崩壊を起こされた時、レツを守れるか分からない。
だから、レツには『アストリア』で待っててほしい。これが僕の当面の目標と希望」
「私はついて行くよ」
「エレノア様が行くなら、当然私もお供します」
「俺ももちろんついて行く」
当然のように言葉を続けたレツに、フアンはため息を吐く。
「そりゃ、僕だってレツがついてきてくれるなら……」
「理由はある」
フアンが言い終えるのを待たずにレツが言葉を続ける。
「ついていけば危険だってフアンは言うけど、どこで待ってても、俺の危険はさほど変わらないだろ。それなら、俺がフアンについている方が、まだその黒髪の奴を止められる可能性が高いだろ」
「……どうして、どこにいても危険は変わらないと思うの?」
フアンはそう尋ねてみたが、心中ではレツの意図を理解していた。
レツの言うことも、ある一面においては確かに正しい。そう思っていた。
「天地崩壊が起きたら国ごと呑み込むんだろ?だったら、多少距離が離れていたって、天地崩壊が起きれば結局死ぬだけだ」
「僕たちが『アストリア』にいるとは限らない」
「『ウツロ』が『アストリア』に来ないとも限らない。その時、誰が『ウツロ』を止めるんだ?」
「……国の魔術士が」
「それは『アストリア』じゃなくたって一緒だろ?今回だって、『メルギニア』の魔術士たちが『ウツロ』の侵攻を食い止めていた。
それでも、隙間を突いて天地崩壊を起こされた。お前たちがいない『アストリア』でも同じことが起きるかもしれないし、起きないかもしれない。
『アストリア』とは別の国でお前たちが『ウツロ』と遭った時だって、やっぱりその国の魔術士たちが守り切るかもしれないし、そうじゃないかもしれない
その時、俺がどこにいるかで、俺の安全性は変わるのか?」
「『ウツロ』を追いかけている僕たちの方が、天地崩壊の場面に行き当たる可能性は高い」
「でも、黒髪の青年が『ウツロ』の味方であることを知っているお前たちといるほうが、天地崩壊を防ぐことが出来る可能性も高いんじゃないか?
知らなければ、ごく普通の青年の振りをして教会に……」
レツが言葉を止めて、フアンを見る。
フアンもまた、その言葉の先の意味を理解して息を呑む。
「あの青年は、人に混じって教会に入り込んで天地崩壊を起こせるかもしれないんだ」
「……でも、じゃぁ、どうして『メルギニア』ではそうしなかったんだ?」
「彼も、僕たちが自分と同じ姿をしていると知らなかった、とか?でも……」
「そんな感じではなかった、よな」
東大路の戦闘で初めて青年が姿を現した時、彼の姿に驚いたフアンたちと違って、青年はそこにフアンたちがいることを当然のように受け入れていた様子だった。
「これまで見てきた『ウツロ』の中で、人の姿をしていたのは彼だけだった。」
「気づいていない可能性を除けば、だな」
レツの言葉にフアンは頷く。
「『ウツロ』の中でも、彼が特別だとするなら、争うことなく天地崩壊を起こそうとするには、全て彼に頼ることになる」
時間はかかってもそれが一番危険性が少なく、成功率の高い方法のようにも思えた。
『ウツロ』は自分たちと同じように、意思を疎通しあっていた。正体は明らかではなくとも、そのような生命が、際限なくいくらでも現れるようなことはないだろう。
数が有限であるなら、戦って、消耗することは可能な限り避けたいはずだ。
「時間が……ないのかもしれません」
フアンとレツのやり取りを聞いていたフェリが、ぽつりと零す。
「どういうこと?」
「『ウツロ』が現れる前兆として、神の恩寵が減少すると言われてる。人々の神への信仰心が減り、それに応えるように、女神のご加護たる恩寵が減少して、恩寵の減少は、地に沈んだ神たちの力の減少を招き、『ウツロ』たちの封印が弱まる。
それが、天地崩壊にまつわる伝承の始まりの部分」
フアンの問い掛けに応えたのはフェリではなくエレノアだった。
「私たちの世界の神の恩寵が減るから『ウツロ』の封印が弱まる。封印が弱まるから『ウツロ』が異界からやってくる。それが伝承だったけど、もし異界でも、私たちと同じように神の恩寵が弱まっていて、その代わりを求めてこちらに現れているとしたら……」
「たった一人で国々を回り、天地崩壊を起こそうとしていたら間に合わないのかもしれません」
「それが、『ウツロ』が天地崩壊を起こしている理由かもしれない?」
それは確かに考えられない仮説ではない、とフアンは思う。伝承では『ウツロ』は生命を喰らう獣だと伝えられてきた。
そして、実際に『ウツロ』は人の生命を喰らい、死に至らしめる力を持っていた。だから、彼らは伝承通りに人の生命を喰らいに現れたのだ、と思っていた。
だが、実際はどうだっただろうか。
彼らはただ生命を喰らう獣だっただろうか。
戦術を使って戦っていた姿を見たことから、本能に従って動く「獣」ではない、と思った。
一瞬、意識がなくなった時、黒髪の青年たちがフアンたちを飛び越えて教会に向かったことから、生命を喰らうことが最優先でないことも確かだ。
――だけど、もっと根本的な何かを見落としている気がする。
「黒髪の奴を放っておくことが危険だってことは改めて分かった。そして、多分、そいつだけを追いかけてるだけでは、天地崩壊を止めることが出来ないってことも予測できた。
……で、どうする?」
レツが右手を机につく。その動きにつられて、卓上の灯が揺らめき、合わせて影も揺らめいた。
「黒髪の青年を追う、って目的は変えない。多分、『ウツロ』の中でも、僕たちが対話出来るのは彼だけだから。
彼と会って、出来れば話をして、天地崩壊を起こす目的を聞いて、適うなら止めさせたい。駄目なら、最後まで戦うしかないけれど」
「もし本当に向こうの世界でも神の恩寵が減少してきていて、天地崩壊を起こすことでしか世界を救えなかったら?」
気づけばエレノアは表情を曇らせ、顔をうつむかせた。
「……エレノアは、どうしたい?」
手の届く範囲だけでも、誰も死なせたくはない。
それがもし手の届かない範囲だとしても、自分の行動で救える命があるのなら、そうしたい。
エレノアはそう思う。
救えなかった命を見てきたからこそ、そう思う。
けれど、誰かを救えば誰かを見殺しにする、そんな状況になったらどうすればいいのか。
その迷いが思わず言葉に出てしまった。そう思ったら、それを聞いたフアンが、しばらくエレノアを見つめた後、「どうしたい?」と問うてきた。
「出来るなら、どっちも救いたい。綺麗ごとでも。
もし『ウツロ』が、自分たちが生きるために命を奪っていたのだとしたら、それは、私たちと何も変わらないもの」
「……そうだね」
人もまた、自分たちが生きるために、より生きやすくするために、誰かを犠牲にする。他者のものを奪おうとする。奪うものは、財産だったり、土地だったり、命だったり。
『ウツロ』が本能のままにの生命を喰らう獣なら良かった。
でも、もし生きるために生命を奪おうとしているのなら、それは自分たち人となんら変わらないのではないか。
エレノアの言葉がフアンの心に深く突き刺さる。
「人を犠牲にすることなく、彼らの世界を救うことが出来るのなら。結果的に、私たちも『ウツロ』の脅威に怯えることがなくなって、誰もが穏やかに生きていける世界になると思うから」
「……そうだね」
そんなことは可能なんだろうか、とフアンは思う。
けれど、出来ないと諦めるには早かった。天地崩壊について、フアンも、ここにいるレツやエレノア、フェリも、何も知らないと言っていいのだから。
「僕も、出来るならそうしたい。誰も犠牲にすることなく、彼らの世界も救うことの出来る「天地崩壊」が起こせるのなら、僕も、そうしたい」
「なんか話が逸れてて忘れられてそうだからもう一回言うけど、俺はついていくからな。結局、どこにいたって『ウツロ』が襲ってきて、そして天地崩壊が起きる可能性はあるんだ。だったら、戦わずに止められる可能性のあるフアンについている方が危険は少ないって言えるんじゃねぇか?」
「……そうだね」
「フアン、さっきからそうだね、しか言ってねぇ」
「そんなことない」
顔を上げて間髪入れずに応えたフアンを、レツは笑みを浮かべて見ていた。
そこでようやく、フアンはいつの間にか気持ちごと下を向いてしまっていたことに気づいた。
「じゃぁ、次。黒髪の奴はどうやって追う?」
「あれ?今のでレツはついてくるってことに決まったの?」
「今のどこについてこない要素あったんだよ。往生際悪いぞ」
「レツが心配なのは分かるけど、私たちだって一緒に行くのは危険なんだけど。私たちの心配はないわけ?」
フアンとレツの視界を遮るようにエレノアが間に割り込んだ。言外に何かを言いたげなエレノアの表情を見て、フアンは目を細める。
分かっていて言っているなら、質が悪いのだが、もしも本当に分かっていないで言っているなら、はっきりさせておいた方がいいかもしれない。そう思った。
「次に同じ状態になったとき、エレノアはまた自分の「時」と引き換えに、レツを守るつもりなのか?」
「え?」
「「神力」ってそういうことなんでしょ?さっき、エレノアが『アストリア』に居られなくなった話をした時、それらしいことを言っていたよね。
あと、女神様が言ったって言葉だっけ?
「あなたの『時』が失われても…」、そんなことを言われたって聞いた。それはつまり、「神力」は術者の生きる「時」を代価にしてるってことだよ」
フアンの言葉にエレノアが黙り込んでしまったので、フアンはそのままフェリの方に視線を移す。
「……そのようなことは、教会には伝わっていませんし、伝承にも書かれていません」
「でも、そう思えるだけの噂や言い伝えはある、ってことだよね」
フェリは一度、エレノアを見て、それからフアンに視線を移すと、小さく頷いた。
「……もしも天地崩壊が起きた時、レツを守ることが出来るのはきっと「神力」だけだ。けれど、それはエレノアの生きる「時」を代価にすることになる。だから、レツがいれば心強いけど、レツを連れていきたいって思えない」
「そういう、ことか」
「何かあった時、一番の犠牲になる可能性があるのはエレノアだ。そうやって、自分の「時」を代償にして、力が使われるのが嫌で『アストリア』から逃げてきたんじゃないの?
僕が心配しているのは、レツじゃなくてエレノアの方だよ」
「……ごめんなさい」
「謝ることじゃないだろ」
「違うの!」
両手を胸に当てて強く握りしめるように、声を絞り出すようにして、エレノアが声を上げる。
その声量に、フアンも、そして、側で聞いていたレツも、驚き、目を瞬かせた。
「違うの……」
エレノアがもう一度同じ言葉を繰り返すと、その瞳から一筋、光が流れた。




