第七十三話 信じてる
「石柱でレツたちが倒れた時にも、声を聞いたんだね」
「そうね」
最初いたずらが見つかった時のような表情を浮かべたエレノアだったが、フアンの問いに答えるのに合わせて、感情を落としたような表情に変わった。
「黙っていたのが誰の為なのかは聞かない」
フアンは一度フェリに視線を移した後、再びエレノアを見た。
「これから話すことは、今までに起きた出来事、伝承、エレノアとフェリの話、そうしたことを合わせた上での推測だから、これが正解って思っているわけじゃない。それでも、これからのことを考える上で、僕がこう考えているってことは知っておいてほしいし、みんながどう思っているかを知りたいから、話すよ」
フアンの言葉に、それぞれが頷いて返す。
これからのことを考える上で。
それは実際にフアンの素直な気持ちだった。
「僕が考えたことを話す前に、とりあえずこの後のことを話しておくと、僕はこの後、教会の地下で会った黒髪の青年を追いたいと思ってる。
みんながどうしたいか、は後で教えてほしいけど、少なくとも僕はそう考えてる。
その理由は、三つ。
一つ目。黒髪の青年は、天地崩壊を起こすことができると思ってる。彼を止めなければ、これからも多くの場所で天地崩壊が続く可能性がある。だから、彼を追って、そして止めたい。
二つ目。天地崩壊が起こされた場合、普通の人は短時間で死に至る。それを防ぐ方法はあっても、おそらく万能でもないし、救えるとしても限られた人だけみたいだ」
フアンは、レツたち全員に話しかける様子で、エレノアに視線を移す。ただ、それも一瞬のことで、その視線をそのままフェリ、レツへと移していく。
「そして、何の代償もなく防ぐことはできないと考えてる。だとしたら、あの場所でも問題なく動けて、かつ魔術を使える僕でなければ、彼を止められない、そう思った。
……僕だけでは止められない気はしてるけど、でも、今は他に案が思い浮かばない。
三つ目。一つ目、二つ目の理由と同じようなものだけど、天地崩壊を止めるための方法が戦って相手を倒すだけとは限らない、と思ってる。教会の地下でおそらく天地崩壊と思われる現象が起きていたあのとき、僕は人型になった『ウツロ』と黒髪の青年が会話をしているのを聞いている。
彼らが天地崩壊という現象を起こさなければならない理由、それが分かれば、天地崩壊を止める理由もまた見つけることができるかもしれない、そう思ってる」
「それは、暗に俺は連れてかねぇって言ってるように聞こえるけど」
「……そうだよ」
「なんで一緒に行けねぇんだ、とは言わねぇけど、なんでフアンなら無事だったと思ってる?」
「うん、その話になるよね。
だから、ここからはこれまでに僕が見たこと、エレノアやフェリから聞いた話を元に僕が考えたことを話すよ。
まず、フェリとエレノア。二人が無事だった理由は、さっきのエレノアの話と教会の地下で起きた出来事から推測はついている。
エレノアは「神力」が使える。その「神力」の力を使う時に声が聞こえる、と言っていた。「神力」が伝承の通り、女神様と同等の力であるのなら、声は多分、女神様の声だ。そう考えると、エレノアは女神様の加護によって天地崩壊の現象から守られている、と推測できる。
女神様の加護がどういうものかは分からないけど、過去に、天地崩壊が起きた場所に足を踏み入れられたのは「神子」だけだったって伝承からも、女神の加護を持つ者なら、天地崩壊の影響を受けないと考えられる。
そして、フェリは多分「神子」だ。治癒術士でなくても「神子」になれるのかは分からないけど、教会の地下で起きた現象が天地崩壊だったなら、その現象を元に戻すことができるのは「神子」だけだと言われている。それから黒髪の青年。彼の言葉を素直に信じるなら、こちらには「本物の器」がいて、その人には敵わないから、素直に撤退すると言っていた。「本物の器」が女神をその身に降ろして、力を揮える者って意味なら、彼の言葉の意味も分かる。過去の伝承からも『ウツロ』は「神子」によって払われているらしいから。
フェリの意識が一時的になかったのも、女神様がフェリの身体に一時的に降りてきて、天地崩壊を収めたからなんじゃないか、というのが僕の推測」
「……私が「神子」ですか?」
「私も、教会の地下の出来事を見て、フェリが「神子」かもしれないって思った」
「黙ってたのはそのためだよね?」
「……うん」
俯くエレノアにフアンは苦笑いする。
「責めてないよ。その気持ちは分かるから。さっき理由は聞かないって言ったけど、それは多分そうだろうなって思ってたからってのもある」
「エレノアとフェリは分かったけど、フアンはなんでなんだ?」
少し強くなったレツの口調に、フアンは肩をすぼめる。
「分からない、って言いたいところだけどね。一つだけ、そうかもしれないと思ったことはある。
まず「神子」ではないと思う。それから女神様の加護を受けてるってこともないと思う。
「神力」も使えないし、女神様と思われる声が聞こえたわけでもない。『ウツロ』にあっさりとやられてた過去の経験からも、多分この2つはない」
そこで一度言葉を句切ったのを見て、レツは頷きを返すと続きを促す。
「教会での出来事は一体なんだったのか、僕とエレノア、フェリだけが無事だったのはなぜなのか、それを考えていく中で、一番分からなかったのは、僕が何なのかってことだった。でも、もし僕がそういう存在だったならって気づいたんだ」
「勿体ぶるなよ」
分かってるよ、とフアンは心の中で呟く。
引き延ばしたいと思って引き延ばしているわけじゃない。ただ、それを告げることで、今まで通りでいられるのか、その自信がなくて、言葉に出来ないでいた。
それにこの説だと一つ、疑問が残っている。人が人を襲うように、『ウツロ』もまた『ウツロ』を襲うのか。
ただこれに関しては、『ウツロ』もまた、自分たちと同じ人である可能性が出てきた以上、絶対とは言えずとも、あり得るだろう、と思えた。思えてしまった。
フェリが「神子」かもしれない、そのことに気づいたエレノアが、フアンやレツも同じことに気づいたとき、自分たちを受け入れてくれるのか、きっと不安に思ったのだろう。だから、教会の地下で、エレノアが女神の声を聞いたことは黙っていたのだろう。
教会の地下で女神の声を聞いたことを話してしまえば、レツたちが治癒術ではどうにもならない、けれど放置すれば死に至る状況にあった、ということが推測できてしまう。あの場において、そんな状況になったとしたら、それは一つしか考えられない。
黒髪の青年の行動によって天地崩壊が起きたということだ。
そしてそれを防いだのがフェリならば、フェリは自然と「神子」ということになる。
そのことに気づかれたくなくて、エレノアは黙っていた。
今のフアンが、決定的な一言を言葉に出来ないままでいるように。
でもそうやって誤魔化したところで、それが単なる先延ばしでしかないことは、フアンにも分かっていた。
フアンは一度息を吐き出すと、意を決する。
「「神子」でもなく、女神の声を聞いたわけでもない。なのに、天地崩壊が起きたあの場で、僕は何事もなく立っていられた。あの場所で平気でいられたのは、フェリとエレノア、それから『ウツロ』と青年。
フェリとエレノアが「神力」によって守られていて、「神力」を持たない僕が平気でいたとするのなら」
そこで再び、言葉に詰まり、下を向く。
決めたんじゃないのか、と拳を握りしめながらも言葉にならない。
「おい……」
そのフアンの様子を心配してレツが掛けた言葉が、フアンの背を押した。
「僕は『ウツロ』なのかもしれないね」
顔を上げながらそう言うと、フアンは無理矢理に笑みを浮かべた。
円卓の上に置かれた灯の中で炎が揺らめき、それに合わせて影が踊る。それは『ウツロ』の黒い靄とは違い、ただ光に映し出されただけのものであるのに、エレノアはなぜかそれが『ウツロ』に変わってしまうかのような錯覚を覚えた。
「それで……どうする?」
フアンの笑みは崩れない。その表情は確かに微笑んでいるはずなのに、そこからどこかうすら寒いものを覚えるのはなぜなのか。
ふと、その手に温もりを感じ、エレノアがその手を見ると、いつの間にかフェリがエレノアの手を握っていた。
「どうするって、どういうことだよ」
笑みを浮かべるフアンとは対照的に、横に立つレツは険しい表情をしていた。それが、自らを『ウツロ』かもしれないといったフアンを警戒してのものではないことは、エレノアにも分かった。
――私、駄目だな。
自分の持つ力を伝えていいのか、信じきれないまま最初は一緒に旅をしていた。そうして1神期近くが過ぎて、今はただ、話す機会がないまま旅をしていただけだった。
きっと大丈夫だ、と思って自分の過去を話した。けれど、直前に思い至ってしまった「フェリが「神子」かもしれない」という推測は、フアンたちにまだ気づかれたくないと思ってしまった。
どこかで信じ切れていない自分がいるから、フアンたちに教会の地下で女神の声を聞いた事実を伝えられなかった。
どこかで信じ切れない自分がいるから、今、フアンの事を恐れてしまっている。
フアンは、フェリの言葉を信じ、エレノアの言葉を信じ、エレノアが伏せようとしていた事実に気づいていてなお、変わらなかったと言うのに。
そんな自分と違って、レツはどこまでもフアンを信じているのだ、と思った。
だから今、あんな風にフアンのことを正面から見ていられる。
真剣に、怒ってる。
「『ウツロ』かもしれない僕を……」
次の瞬間、エレノアたちの視界からフアンの姿が消えた。
それと同時に、床を叩きつける音が響いて。
音のした場所に視線を落とすと、そこにはフアンの襟首を掴んで床に押し倒しているレツの姿があった。
「冗談でも言わせねぇよっ」
レツが襟首を床に抑えつけて、フアンに馬乗りになる。
「……ごほっ」
「お前はフアンだっ。『ウツロ』なんかじゃねぇっ。いや、仮に『ウツロ』だったとしても!こうやって触れても何の問題もないんなら、お前は、お前だろうがっ!」
「……ぐ」
レツは、大きく息を吸うと、少し息を止めて、それから、静かに、ゆっくりと息を吐き出していく。そして、掴んでいた襟首を放すと、代わりにフアンの右腕を掴んで、一気に引き上げた。
咳き込むフアンを気にすることなく、レツはフアンの背についた埃を叩いて落とす。その力が強すぎたのか、フアンは更に咳き込んでいた。
ひと段落して、レツがフアンを正面から見据える。
フアンもまた、視線を逸らすことなく、レツを見返す。
「ってか、もしもお前の推測が当たってんだったら、この中で普通なのって俺だけじゃん」
「そう、だね」
レツの突然の変化に、フアンは警戒しながら言葉を返す。
「それって逆にすごくない?」
「……まぁ実際、魔術使えないのに『ウツロ』と真正面から戦ったんだから、それだけでも十分すごいと思うよ」
「それは、ガイさんもだろ?」
「あぁ、そういえば、ガイさんもいたっけ」
「アギィさんは?」
「アギィさんは魔術士だろ」
「で、ガイさんは?」
「忘れてた」
「ひどいな」
「ガイさんには黙ってて、な」
何言われるか分からなくて怖いから。そういったフアンに、レツは、どうするかな、とこぼした後、二人は顔を見合わせて、そして笑った。




