第七十二話 逃げ出した理由
第七十二話は、本シリーズの前日譚にあたる「つれない付き人は私の女神様」の焼き直しになります。
この世界における教会、治癒術士の位置付けについての説明回となるため、読み飛ばして頂いてもさほど問題はありません。
私は、『アストリア』の西部、『ゲラルーシ』山脈の麓にあるセマという村の宿屋の娘だった。
セマは『アストリア』から『キシリア』に抜ける街道沿いの宿場町の一つで、旅人や行商人の多く通る街なの。
知ってるって?
そっか。ギルドの情報員なら主要な宿場町は知ってて当然かも。
家族は六人家族。おばあちゃんと父さんと母さん、兄さんと私、それから妹。
兄さんは私が小さい頃、いずれ宿を継ぐためにって、別の街の宿に見習いに出されていたから、実際はほとんど五人家族のようなものだった。
大きな街だから、宿もうち以外に三軒ぐらいあったけど、中でもうちの宿が一番だったって今でも思ってる。部屋の過ごしやすさとか、食事の味とか、ね。
皆にも食べてもらいたいけど、私は母さんから料理の作り方をちゃんと学ぶ前に家を出ることになったから。
あ、フェリを責めてるわけじゃないの。ただ、みんなにうちの美味しい料理を食べてもらえる機会がないのが残念だなって、それだけ。
いつか行けばいい?
そうだね。いつか、みんなを連れて行きたいね。
私が教会に保護されたのは九つの時。その年は、『キシリア』の方で石化病が流行った年で、『キシリア』帰りの旅人から移ったんでしょうね。
母さんが石化病を発症して。
石化病、知ってるよね?発症する箇所によって症状は違うけど、発症箇所のエーテルの流れが止まって、流れが止まった場所は石のように動かなくなる病気。エーテルの流れが止まる範囲は少しずつ広がっていって、生きていくうえで必要となる部分が石化すると、死に至る。
手足から始まれば、死に至るまでの時間に余裕はあるけど、腹部だったり、頭部だったりすると、発症から数日で亡くなることもある病。
母さんは左の腹部から発症した。心臓に至るまでの猶予は長くて五つ陽。治癒術士なら治せる病なんだけど、治癒術士が常駐している教会は、最寄りの教会でも七つ陽は先の街だった。比較的大きな宿場町なんて言っても国境に近いうちの町には、治癒術士が常駐する教会がなかったんだよね。
ん?そうそう。今なら私も分かってる。
国外からの干渉を防ぐため。
治癒術士も魔術士も、国に属さないなんて言っているけど、組織を維持するためにはお金や物資が必要で、そうしたものの多くは、国が援助をしてくれる。
裕福な領主のいる土地なんかは、その地の領主の庇護に入っている、なんてところもあるみたいだけど、領民に負担を掛けないまま得られる領主の収入で、安定的に教会に関わる人たちみんなを養うって難しいから、基本的には国が居て、領主は一部を負担して、各領地の主要な都市にだけ教会がある、っていうのは普通みたいね。
それでも教会はましな方。人の健康を守るための力だから、『お勤め』として色んな村々に渡り歩いて、ただ「養われている」感じにならないように、色んな人たちと触れ合えるようにしているから。
話が逸れちゃった。
母さんが石化病に発症して、でも教会の治癒術士に治療を頼むには間に合わなくて、「お勤め」だって、次に来るのがいつかは分からない。
石化病に効く薬もあるけど、それはとても高価で、宿場町の宿屋の稼ぎで簡単に支払えるものでもなかった。
どうしてって思ったよ。一生懸命働いてきて、訪れる人たちみんなが笑顔で出かけられますようにって、いっつも女神さまにお祈りしいて、そんな優しいお母さんがどうして病に倒れなきゃならないのって。
そういうもの、なんだけどね。
いいことをしていれば健康でいられるとか、悪いことをすれば体調を壊すとか。
不摂生は別だけど、日頃の行いと健康とは直接関係なくて、誰にでも死は突然訪れたりする。
治癒術士が居ても、救えない命はある……。
でも、幼い私にはそんなの納得できなかった。
誰か助けてって、騒いじゃって。
そんな時、たまたま村を訪れてた行商人の女の子が、特効薬のある場所を知ってる、何度も採りに行ったことがあるから連れていってあげられるって言ってくれて。
今思うと幼かったんだと思う。私も、彼女も。
高価な薬草のありかなんて、鍛冶屋の技術を盗むようなもの。命に関わるようなものなのに。私はそんなこと知らずに、ただ救ってくれるってことを有り難がって、喜んで着いて行った。
あの時、彼女はどうして私を連れていてくれたんだろう。
そうしなければならないと思った?
え?なんで?
さぁって……。
あ、まぁ、その女の子ってのがフェリだったんだけどね。
それは一旦置いておいて。
薬草は村から半陽ほど離れた場所の、セマから今のヴィスタ領方面に抜ける細い抜け道の脇にある崖に生えてたの。
崖自体はそこまで切り立った崖ではなくて、細いけど足場もあって、小さな突起とかを使ってうまく登っていく彼女の姿を私は下から見上げるだけだった。
特に苦も無く登る様子に、本当に慣れてるんだなって思って見ていたら、突然鳥の獣が襲ってきて、普段この辺りで見ることのない獣は、もしかしたらたまたま付近で卵を生んだ鳥だったのかもしれない。フェリの近くを羽ばたいたのも、威嚇のつもりだったのかもしれない。
でも、フェリもまだ子どもだったから、岩を握りしめる力はそんなに強くなくて、風に煽られる形で姿勢を崩して崖から落ちた。
途中に張り出していた木に当たる事で、地面に直接叩きつけられることはなかったんだけど、代わりに、地面に落ちた時の彼女の背中からは血が流れ出していた。
背中に刺さっていたのは木の枝。
今思えば、それほど太い枝では無かったんだと思う。子どもの体重で折れちゃうぐらいだから。
でも、枝が背中に刺さって、血が溢れるように流れ出ていて、このままじゃフェリが死んじゃう、そう思ったんだよね。
そんな時、声が聞こえたんだ。
△▼△▼△
「声?」
フアンの問いに、エレノアは頷いて答えた。
「そう、声。誰のものか分からないし、その時はそんなこと気にもしなかった」
フェリがじっとエレノアを見ているのに気づき、エレノアが苦笑いする。
「そういえば、声が聞こえたって話は、フェリにも言ったことなかったよね。でも、今言った通り。その時は気にしてなかったし、もしかしたら単なる空耳かもしれないって思ってたから。でも、多分そうじゃなかったんだって、今はそう思ってる」
「それで……なんて言われたの?」
「『あなたの『時』が失われても、いいのですね?』」
フェリが目を細めるのを見て、エレノアはもう一度苦笑いする。
「多分……、だよ。この時の言葉を思い出したの、さっきだもん。どうして急にその言葉をはっきりと思い出したのかは分からないし、そんな程度だから、合ってるかも分からないけど、多分そう言われたんだと思う。
その声に答えるように、「それでも救いたい」って願ったら、フェリの傷は治っていた。それがどういうことなのか、深くも考えずに、私はただ喜んだよ。その後、街に戻った。街に戻ったら、お父さんに薬を見せて、あとはお医者さんに頼んで薬を煎じてもらって、母さんの病気はしばらくして完治した」
「ですが、薬の件はあとで親に追及され、私が怪我を負った事も気づかれてしまい、その傷をエレノア様が治癒術で治したことも知られてしまいました。治癒術が使えるものは、全て教会に申し出なければならない。
そして、治癒術が使えるものは皆、教会に保護されなければならない。
エレノア様はご家族を救う代わりに、ご家族との繋がりを失われました」
「自業自得。それで、母さんが救えたんだから、その事を私は後悔したりなんかしてないよ」
△▼△▼△
それからは、教会で治癒術士として育てられて、エーテルの扱いにも慣れたころ、外への「お勤め」にも出るようになった。
それが十五の頃ぐらいかな。
「お勤め」に出るようになる頃には、治癒術士の身の安全を守るためにも常に側に使える「付き人」が付けられるんだよね。そうして私に付けられた「付き人」がフェリ。
でも、最初、私はフェリって気づいてなかったんだよね。
フェリとの出会いはあの薬の時だけだし、薬を採りに行く時には、フェリはずっとフードを被りっぱなしで、ほとんど顔を見せなかったし。それに、子どもの頃の六神期の時間って、それだけで普通に別人だよね。
また話が逸れちゃった。
それからは、恙無く「お勤め」もこなして、優等生だったんだよ。
けど、死はやっぱり突然で。
いい子だからって健康でいられるわけじゃないんだよね。
コオリの村に「お勤め」に出た時なんだけど、そこにミアちゃんって子がいてね。人懐っこくて、可愛くて。でも、ある日、何かの拍子にホールを刺激する何かがあったんだろうね。魔力が暴走したのか、エーテルが異常になって、そのまま亡くなったらしくて。
それで、その子のお兄ちゃんのアルって子も、同じように魔術に素養があって。
私たちにミアのことを伝えようとするうちに、感情に引きずられたのか、突然魔力が暴走を起こして、それで、その魔力暴走から私を守ろうとしたフェリが怪我をした。
暴走したアルくんは、自分の魔力を上手く外に放出できたのか、魔力切れで倒れるだけで済んだんだけど、放出した魔力を間近で受けたフェリは右肘から先が失われるほどの酷い傷で。
二人も知っているかもしれないけど、治癒術は人の持つ傷や痛みを癒そうとする力を手助けする力だから、大きな外傷に対しては十分な効力を発揮しない。部位の欠損を修復するなんて絶対無理なんだよね。
仮に治癒術で傷口を塞ぐにしても、肘から先全部がなくなった状態の傷を治癒術で塞ごうとしたら、本人の持つエーテルを使い切らせて死に至らせてしまうかもしれない。
それでも、フェリを救いたいって思った時、また声が聞こえたんだ。
そして、声に応えることで、フェリは治った。欠損したはずの部位ごと。
治癒術で欠損した部位が治ることはない。そんなことが出来るのは女神の御業だけ。
女神様の代理人として、その力を与えられたとされる「神子」だけが使える力。
神力。
その力が使える者として伝承で残っているのは、
『アストリア』の聖女ミラ。
『メルギニア』の女神の代理人フルーク。
そういった天地崩壊時代の神子の名前だけだけど、本当は違うんだよね。
一般の人には知られていないだけで、神力を使うことのできる治癒術士はこれまでにも存在してて、何十神期に一人現れるかどうか、だったそうだけど、そういう治癒術士は秘密裏に隔離されたの。
そうして、国の権力者たちが重大な病に罹ったり、大きな怪我を負った時、莫大な寄付金と引き換えに治癒を行ってきた。
神力を扱える治癒術士を見つけた教会はその都度、大きな発展を遂げてきたの。
そうした治癒術士は、みな短命だったって聞く。それが神力なんていう人には過ぎた力のせいなのか、隔離生活が原因だったのかは分からないけど。
そして、彼らはみな普通の治癒術士とはなんら変わらなかったって。
「神子」のような不思議に人を惹きつける魅力があるわけでもなく、ただ「神力」が使えるってだけの治癒術士。
私もきっとそうだって思ったんだよね。
だって「神子」らしさ、全然ないでしょう?
……激しく頷かれると、それはそれで気分が悪いんだけど。
そういう理由で、私はフェリを誘って『アストリア』から逃げ出した。
これが、私とフェリが『アストリア』から逃げた理由。
△▼△▼△
「きっと、フアンが期待していた内容ではないと思うけど、でも全部本当のことよ」
「疑いはしてない」
――してないけど。
エレノアの話が石柱で見せたフェリの行動の理由を説明するものではなかったという点では、エレノアの言う通り、エレノアの話はフアンの期待していた内容ではなかった。
けれど、エレノアの話が今回の件と何も関係なかったか、と言えば、それも違うのではないかと思えた。
「……それで、最後にその声を聞いたのはいつ?」
エレノアが苦笑いを浮かべたのを見て、フアンは、やはり教会の地下で起きた現象は天地崩壊だったのではないか、そう思えた。
今回もフェリが付き人になるために
色んな人の温かな支援を受けていたお話はカット。
フェリからすれば
自分はあくまでエレノアの付き人なので
それぐらいのあっさりした扱われ方のほうが
いいのかもしれません




