第七十話 「特別」への忌避と羨望
「とにかくお互い、無事で良かった。もしアンが目を覚まして、動いても大丈夫なようだったら、皇城に来てくれ。うちの団員たちはそこの帝都防衛隊の宿舎の一部を借りて休むことになってる」
そう言ってウィルたちが宿を去ったのは、教会から宿に戻った二時間ほど後。光星が西の地平に向けて傾き始めた頃のことだった。
戦闘終了後、数時間動きがないことから、再度の襲撃があるとしても、早くて深夜。それを過ぎて何もなければ、本当に撤退したと考えていいだろう、ということだった。
深夜にかけての警戒は、首都防衛隊に任せることになり、「赤い牙」は特別指示が無い限り皇城に詰める事になる、とはデイルの言だった。
彼らは今回アンスイーゼン侯の私兵となるため、帝都にあるアンスイーゼン侯の別宅近辺に待機すべきであるが、事態が事態であることから、一時的に皇城の宿舎を借り受けることについて、皇帝から許可を取っているとのことだった。
フアンは、「もしも可能なら」と返したが、フェリとエレノアとの会話次第では、このまま別行動を続ける事も視野に入れていた。
迎えに来た「赤い牙」の面々には申し訳ないが、今、この時点で安易に皇城に寄り付くことは出来ない。フェリがもし『ウツロ』に類する何かであるならば、当然連れていけない。それに、未だ確証は持てないもう一つの可能性。教会の地下で起きたあれが、もしも何らかの理由で不完全に起きた天地崩壊だったとするのなら、それを止めることが出来たフェリは『ウツロ』ではなく、むしろ「神子」かもしれない、その可能性。
エレノアは帝都を訪れる事を忌避していなかった。だから違うのかもしれない。だが、それは『アストリア』と違って、ここでは「知られていないから」と言う理由だけなのかもしれない。エレノアたちが『アストリア』から逃げ出した理由がはっきりとしない以上、これらは全部推測の域を出ない。ただ、もし当たっていたら取り返しがつかないから、考えることを止めるわけにはいかない。
――だけど、本当にそれでいいのか?
もしもフェリが本当に「神子」ならば、早く『メルギニア』に保護を求めるべきでは?そういう考えがないわけではない。
一方で国の力関係まで考えれば、『アストリア』に戻るのが正しいのではないか、とも思う。だが、彼女たちがそうした政治的な理由に縛られることを嫌って、『アストリア』から逃亡していたのだとしたら、自分はどうするのが正しいのか。
フアンには判断できずにいた。
「また、一人で抱え込んでんな」
ウィルたちが去った後の扉を眺めたまま、一人黙り込んでるフアンの頭を、レツが軽く押さえ込む。その手にされるがまま、フアンは一つため息を吐いた。
「……ごめん」
「いつものことだけどな。ここで悩んでても仕方ないから、エレノアたちのとこ行ってみるか?」
「あ……?あぁ。そうだね」
フェリの意識が戻っていないのだとしても、エレノアと話すことで何か分かるかもしれない。
それに、彼女にはガイたちに対して、事情を話さないでほしいと伝えた理由も話しておく必要もあった。
レツにも彼が意識を失っている間に何が起きたかについてはまだ話せていない。そういう点でも都合がいい、とフアンは思った。
宿の二階に上がり、フェリが横になっている部屋の前に立つと、レツが軽く二度扉を叩いた。
「入るぞ?」
そう言って、扉の取っ手に手を掛けるが、中から返事がしないため、そこで手を止める。
「……エレノア?」
改めて、扉を叩き声を掛けるが、やはり部屋の内側から返事はなかった。
レツは扉に耳を当てて中の様子を窺うが、特に物音がする気配もない。
「……覗くだけ覗いてみれば?」
フアンの言葉に、レツは頷いて応えると、身を屈めて静かに取っ手を手前に引いて、扉の隙間から中を覗き込む。
部屋の窓から差し込んだ光が、窓枠の影と共に部屋の右側の壁まで手を伸ばしている。部屋の左側に視線を向けると、フェリの側に座っているはずのエレノアがフェリに寄り添うようにして寝床に身体を倒していた。
二人の姿を隠しておくために、光が避けているかのようにも見えた。
寝床にもたれかかっているエレノアの背中が微かに上下しているのを見届けると、レツは無言で静かに扉を閉めた。
立ち上がり、振り返ったレツの顔を見て、フアンは黙ったまま階下に向けて指先を向け、レツもそれに無言で頷いた。
光星が地平の果てに沈み、入れ替わるように闇星が姿を見せる頃、食堂の卓の一つ置かれた灯の火の揺らめきを目にしながら、レツは物思いに耽っていた。
教会で突然力が抜け、意識を失ったときのこと、その後に起きた出来事、それらを含めたフアンの考え。事実と推測とが入り混じる中で、事実だけでも何が起きたのかを理解しがたいのに、フアンの推測も含めれば、それは更に受け入れがたかった。
けれど、これまでのエレノアたちの言動を見ている限り、可能性を否定できない推測でもあった。
『ウツロ』と「神子」。仮に二人がそのどちらかであっても、どちらでなかったとしても、レツが二人にどう接すればいいのか、その点についてレツに悩むことなどなかった。二人に接していて、そこに何か隠したものはあっても、普段の姿に表も裏もなく、あれが、エレノアで、あれがフェリなのだから、その内側に何を抱えていたとしても、自分が変わるものは何もない。今までのままでいればいい。それがレツの出した結論だ。
ただ、彼女たちはどう思うだろうか。
知られる前と知られた後。そのままでいられるのなら、教会を逃げ出すという選択肢はなかったんじゃないか、と思う。
魔術協会も、教会も、来る天地崩壊の防止を目的に、国から独立して組織されてきた。これは、傭兵ギルドで働くことが決まった時、他の職業組合との違いとして、繰り返し教えられてきたことだ。
彼らは自分たちと同じ互助組織でありながら、決して自分たちと同じではない。協力し合えると考えてはいけない。出来るのは、利害が一致した時に利用し合える。それだけだと。
最初は、協会と教会が組織として「特別」扱いされていることに対する嫉妬だと思っていた。
けれど、ギルドの事務方として様々な情報に触れている内に、彼らが特異であり、閉鎖的である面がいくつも見え隠れしてきて、そこに踏み込んだものの多くは無事ではいられなかったことも、また分かってきた。
「触れてはいけない」
ギルドが言いたいのは、そういうことだと理解できたのは、『メルギニア』に旅立つ少し前。比較的最近の事だった。
魔術に目覚めたもの、治癒術に目覚めたものは例外なく、協会と教会に保護され、一生をそこで終える。外界と接触する機会があり、彼らと触れ合う機会があるから気づきづらいが、魔術士も治癒術士も一生軟禁され、ただ協会と教会のためだけに働かされているという見方も出来なくはない。
そんな組織の中で、歴史的にも、能力的にも貴重である「神子」であると知れたなら、その後がどうなるのかについては、想像もつかなった。
「だから、『アストリア』の教会に居られなくなったんじゃないかって思う」
ただその場合、逃げたした理由が「エレノア」にあるかのように語ったのはどうしてか分からないけど、とフアンは続け、「本人たちに確認するしか分からないと思うけどね」と言った後、机に伏せる形で眠っていた。
眠るほどに疲れているのだから部屋に戻ればよかったのだが、エレノアかフェリが目覚めた時、1階の食堂にいる方が、彼らがどこにいるのか分かりやすいだろうということで、この場で待つことにした。
ただの「狩人」以上の能力を持たないレツからすれば、人とは違う何かを持っているということは、それだけで羨むことだった。
「狩人」が人に誇れないというわけではない。ただ「特別」であることに憧れを持ってしまうと言うだけの話だ。
同じような技能でもティオのように、普通の者では成し得ない距離の的を射貫く能力を持つ者もいる。魔術や治癒術でなくても、極めれば「特別」になることは可能だと分かっている。それでも、ただ羨むだけで、そのために必死の努力をしてこなかったのは、「特別」に対する忌避がどこかにあったからだ、ということに気づいた。
幼い頃から一緒に過ごしていたフアンが「魔術」に目覚めた時、自分と同じだと思っていた友達が突然「特別」になったことに嫉妬した。一方で、フアンに襲った出来事と境遇を思うと、素直に羨むことが出来ずにいた。
ギルドに入り、何人もの「特別」を見る機会に恵まれた。けれど、「特別」な者であればあるほど、その力を誇り、尊大になっているものはいなかった。話を聞くほど、「特別」な者は「特別」に成らなければならなかった理由があって、結果的にそうであった、という事が多かった。だからこそ、自身の「特別」を誇るものが少ないのだと知った。
エレノアたちがそうした者たちと同じかどうかは分からない。けれど、これまでの振る舞いからも、望んで「特別」になったわけでもなければ、今もなお望んで「特別」でいるわけではないのだろう、ということは分かる。
もしかすると、これまで『アストリア』を離れた理由を話してこなかったのも、「特別」な何かとして見られたくないからではないか、とそうも思った。
――気にしていない。エレノアも、フェリも、今まで見せてきたものが全部で、それ以外の何者でもないだろ。
たったそれだけのことなのに、それが本心であることを伝えるにはどうすればいいだろう。
レツはただ、そのことだけを悩んでいた。
ぎしり、とレツの後方で音がしたのは、それからしばらくしてのことだった。
寝ていたと思っていたフアンも、音と同時に顔を上げ、音のした方向に視線を向ける。
「おはよう」
灯はわずかにただ二つ。卓の上で揺らめく灯と、音がした場所で揺らめく灯。
それ以外は真っ暗になった建物の中で告げる最初の言葉としては、どこか場違いな言葉だったが、声を掛けた方も、掛けられた方も、言葉通りの意味でないと分かっていた。
宿の2階に続く階段で、灯に照らされて立っていたのはエレノアだった。眠りから目が覚めたばかりなのか、片方の頬に少し布を敷いていた跡が残っているのに気づいたが、レツは見ない振りをした。
「フェリはまだ?」
フアンが問い掛けると、応える代わりにエレノアは灯を背後に向けた。そこには、いつもと変わらない様子のフェリが立っていた。
「ご心配をお掛けしました」
「とりあえず下りてきなよ。今日は避難命令が解除になりそうにないから、宿の人は戻ってきそうにないし、自前の保存食ぐらいしか出せないけど、まずは食事にしないか?」
頭を下げるフェリに、気にしてない、とでも言うように、レツは手持ちの袋から保存食を取り出すと、卓の上に広げて並べるのだった。




