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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第五章 流れ落ちる水のように
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第六十九話 神の子

「予は、今回の騒動が落ち着き次第、各国の平定に乗り出す」


 立ち上がったメテオラを見上げながら、シリウスは静かに続ける。それは先の言葉と何ら繋がりのない言葉だった。

 だが、それが先の発言を誤魔化すためでないことは、メテオラも、カファティウスも感じていた。


「その間、国を守るものが必要だ。それをアンスイーゼン侯、貴公に任せたい」


「元よりそのために任ぜられたものと考えております」


 シリウスの語る先がどこに向かっているのか、カファティウスには予測がつかなかった。自らの見据える以上のものを見通すことが出来る、その可能性は選帝侯会議での振舞いから感じていた。そしてそれは先の内乱での演説やマグノリア侯との対談でより強く確信するようになった。

 だが、それはあくまで自分の見据えるものの先にある、より良い何かでしかない。


――陛下はその瞳の先に何を映しているのだ。


 それは理解を超えた何かであるのか、ただ自らが知り得ぬものを知っているが故の何かであるのか。カファティウスはの内側で、畏怖と憧憬(どうけい)、それから幾ばくかの嫉妬が入り混じる。


「まもなく虚無の時が訪れる」


「それはマグノリア領に現れた「神子」の残した予言でしょうか。先の会合でも陛下は「神子」の存在をご存じのようでし……た」


 透き通った蒼い瞳はどこを見つめているのか、焦点のずれた様子が、その瞳の色をどこかくすませているようにも見える。

 その表情に思わずカファティウスは言葉を止めたが、それに気づいたシリウスがカファティウスに視線を移した時には、シリウスの瞳は明けゆく空を写しとったかのような深い蒼に見えた。


「平定にはマグノリア侯も連れていく」


「それは……「神子」を期待してのことでしょうか」


 マグノリア領に現れたという「神子」は姿を消して以降、どこかでその姿を見たという話は聞かない。だが、シリウスは、先の会談でもルクセンティアに対し、「神子」を用いて地の底に沈んだ国を回復し、その土地を平定せよ、と命じていた。

 あれは「神子」がいないことを知り、実行できないことを分かった上での命だと考えていたが、そうではなかったということか。


「平定には時が必要となる。予にはまだ跡を継ぐ者がいないが、今それを待つことは出来ない」


 シリウスがメテオラを見る。


「万が一の際、後継が必要となる。それをメテオラ、そなたに託したい」


「なぜ陛下自らが平定に向かわれる必要があるのでしょうか。天地崩壊が起きた土地の回復は「神子」にしか成すことが出来ないはず。天地崩壊が起きた地まで「神子」の護衛に軍を派遣するとしても、そこに陛下が危険を冒してまで赴く必要は無いはず……」


 そこでメテオラは言葉を切り、右手を胸元に掲げかけて、その手を止めた。

 表情を隠そうとして、手にした扇子を広げようとし、手にしていないことに気付いたのだろう、とカファティウスはメテオラの心中を推測する。陛下の前でそのような態度は不敬に当たると責められかねないのだが、それすら忘れてしまうほどの驚きを感じたということなのだろう。だがそれがなんであるのかまでは、カファティウスには分からなかった。


「『メルギニア』は神子フルークが見出した子、レムスが興した国。その血を引く者として、女神の恩義に応える必要がある」


 一方で、シリウスはメテオラのその一連の動きを気づいた様子でありながら、その事に触れることはなかった。代わりに告げた言葉は、メテオラの質問を逸らすかのような回答で。


「承知、しました」


 この件に対して、シリウスが回答する気がない、と悟ったのか、メテオラはそれ以上踏み込むこと無く、シリウスの言葉を受け入れた。

 直前の失態もあってか、メテオラはこれで矛を収めようとしているが、カファティウスは未だそのつもりはなかった。

 メテオラを(めと)れという命も、なぜ自分なのかをはっきりさせておきたかった。わざわざメテオラの近親者から選ぶ必要など無く、皇帝の血族を絶やさぬためというならば、五大選帝侯の血縁から選べば良いのだ。

 カファティウスは今の時点でも選帝侯の中では頭一つ抜けた権威を持っている。これ以上を手にすれば、周囲から不要な敵意を持たれる恐れもあった。


「……皇妹。不肖ながら、私には陛下がなぜ御自ら立たねばならぬのか、未だに理解が及びません」


 シリウスとメテオラの会話は、言葉を交わしているようで成り立っていない。皇族特有の隠語でもあるのかと疑いたくなる程に。

 だがそんな隠語は存在せず、ただメテオラの失態によってこの会話が切り上げられようとしているのならば、カファティウスはここで引き下がるわけにはいかなかった。


「クストは私が相手では不満でしょうか」


 「それ」は伝染するのだろうか。

 メテオラがカファティウスに向けた言葉もまた、彼の言葉に応えているようでいて、成り立っていない返答だった。

 だが成り立っていないにも関わらず、否と言わせない言葉でもあった。

 先のシリウスとメテオラの会話も、カファティウスには理解できなかっただけで、これと同じだったのだろうか。

 シリウスの告げた言葉は、メテオラの問いに応えないまま、否と言わせない言葉だったのだろうか。


「……承知しました」


 シリウスの見ている先に何が映っているのか、カファティウスはその未来が黒い靄に覆われたままに、シリウスの起こした波に呑まれていた。



△▼△▼△



 寝台の上で横たわったままのフェリの手を握りしめながら、エレノアはフェリの顔をじっと見つめていた。

 手の平から伝わってくる生命(エーテル)の流れは、今も変わらず正常なまま、意識だけが戻らない。まるで、ただ深い眠りについているだけのように、フェリの胸は規則的に上下運動を繰り返している。


 どうしてあの時、フェリを止めなかったのか。

 教会の地下で石柱を前に『ウツロ』と対峙したあの時、『ウツロ』が姿を消し、石柱に向かうフェリを、エレノアは止めることが出来なかった。

 止めなかったわけではない。止めたくなかったわけではない。それでも止めることが出来なかった。

 彼女が彼女であるための想いの力で。エレノアはエレノア自身の力で、フェリに駆け寄ろうとする自分をその場に留めた。

 あの時、エレノアはレツを、ガイを、アギィを護ることを選び、その結果、フェリを護ることが出来なかったのだ。

 



 『ウツロ』が石柱に触れた後、地の底からせり上がってきた波のようなものがレツたちに触れた途端、レツたちはその場に倒れた。なぜそれが起きたのかは分からない。でも、なぜ倒れたのかは明白だった。

 レツたち三人の身体を巡っていた生命(エーテル)が、魔力(マナ)を取り込むために人に備わっている器官、「ホール」から流れ出していたためだ。

 生命(エーテル)が急速に失われていくことで、生きていくために必要な身体の機能が維持できなくなり倒れたのだ。

 フアンとフェリと自分(エレノア)が無事である理由も分からなかったが、そのまま状態が進行すればレツたちの命が失われるということだけは確実だった。

 どうなるかは分かっても、どうすればいいのかは分からなかった。


 また目の前の命を失うのか。

 また自分は救うことが出来ないのか。


 そう思ったとき、エレノアに語り掛ける声があった。


『この者たちの生命(エーテル)。それをあなたの『時』を代償にしてでも、救いたいと願いますか』


 それは、いつかの声だった。


 初めてその声を聞いたのは、エレノアがまだ治癒術に目覚めていない頃。

 自分のわがままのために死に瀕した少女を救いたいと願ったとき、その声が聞こえた。

 二度目は治癒術士になってから。

 付き人になったフェリが不慮の事故で致命傷を負ったときだった。


 治癒術では救えない命を救おうとする時に聞こえてくるその声が、今、エレノアの脳裏に響いていた。それはつまり、今起きている生命(エーテル)の流出はただの怪我ではなく、別の何か、命そのものが失われていく何かということだった。


――それで命を救えるのなら


『この地が回復するその時まで、あなたの『時』が失われ続けても?』


 その声の意味することは分からなかった。

 ただこれまでのように、何かを「治す」ものとは違う力が求められてるのだ、ということだけは分かった。

 それでも、目の前の命が失われていくのを防ぐことが出来るのなら、彼女に「否」はなかった。


――それでも!


『あなたらしい、と言うのでしょうね』


 もう一度何かを語り掛けられた気がした。

 けれどその声は、エレノアの内側から広がる光の奔流にかき消され、言葉にならないままだった。

 光が消えて、次にエレノアが目にしたのは、石柱を前にフェリが崩れ落ちようとする光景を目にした時だった。

 先程まで側にいたはずのフェリがどうして石柱の前にいるのか、周りのみんなはどうなったのか、倒れたフェリに何が起きたのか、その時は何も分からなかった。

 ただ、フェリが崩れ落ちる姿を見て、考える間もなくフェリの下に駆け寄っていた。




 フェリは石柱に触れた後に倒れたのだと、後からフアンから聞いた。けれど、それだけで意識を失うような何かが起きるとは思えなかった。


 気づけば『ウツロ』の姿が消え、フェリが倒れた直後、フアンも何が起きているのか分からない様子だった。

 その時、彼の独り言のような問いかけに「フェリなら知っているかもしれない」と、自然と言葉にしていた。

 それがなぜなのか、エレノア自身にもその時には理解できなかった。


 状態が落ち着いて、教会から外に戻ろうとした帰り道で、あの声の言っていたことを思い出した。


『この地が回復するその時まで、あなたの『時』が失われ続けても?』


 生命(エーテル)が失われていく状況。地の回復。『ウツロ』の存在。

 それらが示すものを、エレノアは一つしか知らなかった。


 天地崩壊。


 それは地を呑み込むものだと聞いていた。

 だから、それは大地が崩れるような何かだと思っていた。


 だけど、そうではなく、生命(エーテル)が地の底に呑み込まれる、そのことを指した言葉だとしたら。


 天地崩壊を回復出来るのは神力を扱える「神子」だけだ、と伝承に伝えられている。

 『ウツロ』が石柱に触れて天地崩壊が起きたのなら、

 石柱に触れて、地を回復したフェリは……。


 そこまで思い至ったとき、自分がなぜ教会の地下で見た不可解な状況を「フェリならば知っているかもしれない」と答えたのか、なんとなく分かった気がした。


 もしもフェリがエレノアの思う通りだったとして、あの時、フェリが天地崩壊を沈めるために大量の力を消費したのだとしたら、フェリは生命(エーテル)ではなく何を失ったのだろうか。


『それであなたの『時』が失われても、いいのですね?』


 もしもそれが失われたのだとしたら、もしかしたらフェリはこのまま目が覚めないのかもしれない。


 その不安は、エレノアの胸を押し潰しそうで、その不安を忘れるために、彼女はフェリの手をぎゅっと握りしめ、その温もりを確認するのだった。

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