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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第五章 流れ落ちる水のように
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第六十八話 兄と妹

 皇城メラノ、その中心地、皇帝の居館に向かう廊下を、シリウスとカファティウスは歩いていた。

 議場の裏口から続く皇帝の居館への通路は、本来皇帝と宰相のみが歩くことを許される通路であったが、「会わせたい者がいる」というシリウスの命にカファティウスは付き従う形でこの場を歩いている。


「お招きいただくことは光栄ですが、なぜこの道を。臣下のものを招き入れる場であれば、別に設けられているはずですが」


 尋ねてみたものの、考えられることは多くない。そしてそのいずれの理由も大きな意味では同じだった。


「公の場を使うことは出来ぬ。その程度は推測できていよう」


「は」


「それ以上の理由は、その場で話す」


 その体つきも、その肌色も、どこか儚げな印象を与えていた皇帝が、見た目よりもずっと芯の強い性格をしていることは分かっていた。先日開かれた選帝侯会議においても、全選帝侯を前に堂々とした態度と発言を行っている。先代、先々代の皇帝の性格が苛烈であり、言動も激しかったことから、物静かである現皇帝シリウスは、どこか弱々しく見えてしまうが、それはただ程度比較の結果でしかなかった。

 そのことをカファティウスは理解していたつもりでいたが、その認識を以てしても、ここ数日のシリウスの言動は尋常ではなかった。

 ロイス軍を前にした演説は、彼らの不満を抑える必要があるための演技であると思えば、その力強さも分からなくはなかった。


 では、先程のマグノリア侯との会合は?


 決して声を荒げていたわけではない。

 これまで同様落ち着いた声音で淡々と彼の考えを話していた。ただそれだけの会話に過ぎない。だが、そこに込められたある種の気迫が、あの場に居た者たちの反論を無意識のうちに封じ込めていた。


 皇帝シリウスという一人の人間が持つ力を、未だ測りきれていないのではないか。

 会合を終えた後のシリウスの眼差しに、恐ろしいものを感じながら、カファティウスはそう考えていた。




「お待ちしておりました、陛下」


 皇帝の後ろを歩いているという状況にも関わらず、気づけば思考に耽ってしまっていたのか、カファティウスは突如聞こえたその声に、はっと我に返った。

 目前では、皇居の一室に繋がる扉が開かれており、扉の先には皇帝と同じ透き通るような蒼い瞳でこちらを見つめる女性の姿があった。


「……皇妹」


「心にもないことを申すな」


「あら。待っていたのは事実でしょう?」


 彫刻のように感情の欠けた表情のシリウスと、内側から溢れ出る生命(エーテル)輝きを放つかのような表情の皇妹メテオラは、似た顔立ちであるだけに余計に対照的な構図に見えた。


「クストも」


「皇妹ともあろうお方をお待たせしてしまったようで申し訳ございません」


 なぜ彼女がこの場に居るのか、その驚きを胸の内で殺すべく、浮かべた表情を隠すようにカファティウスは頭を下げる。


「皮肉?」


「そのようなことは」


 彼の頭上から、吐息が漏れたような笑い声が聞こえる。カファティウスには理解出来なかったが、どうやら彼女のお気に召す回答だったようだ。


「中に入っても?」


 シリウスの言葉に、メテオラは身体を半身下げると、部屋の奥に向けて右手を伸ばした。


「陛下こそがこの館の主なのですから」


「ありがとう」


「……随分、面白くなったのね」


 メテオラは、浮かべていた笑みを消すと、館に足を踏み入れるシリウスの姿を興味深そうに眺めていた。




 シリウスたちが訪れたのは、皇城の中央に位置する皇居の中では南西に位置する離れだった。

 議場から皇居に繋がる道を外れ、僅かに奥まった場所にあるその館は、国外の賓客や国の重鎮を招く館とは線対象の位置に配置されており、今回のように皇帝の身内を個人的に招く場合などごく限られた用途において使用される館である。

 正式な賓客をもてなす為の館ではないが、それでも置かれている調度品はきめ細かな飾りが彫られているもの、滅多に目にすることのできない材質で造られているものなどが揃えられている。

 カファティウスは、それらの造形に興味を奪われそうになりながらも、目前に座る二人の皇族に意識を戻した。


「そなたの側仕えは息災か?」


「ユリアのことかしら」


 突如シリウスから切り出された名前にはカファティウスも覚えがあった。


 ある日、突然メテオラが召し上げた少女。どこから見つけたのか、その素性すら怪しい少女は、その日以降常にメテオラの側にあった。

 灰色がかった金髪に、薄い茶色の瞳の少女は、容姿に優れているわけでもなく、特別優秀な働きを見せるわけでもない。

 従順にメテオラの世話をする、ただそれだけの少女だ。

 メテオラがその少女に何か特別な感情を抱いているのではないか、と勘ぐる者もいたが、日頃接する姿からはそうした様子も見られず、一人だけ呼び出しを受けるといった事もない。他の側仕えとは何ら変わらない扱いを受けているようにしか見えなかった。

 あまりにも平凡なその少女は、自らの身の置き場に戸惑っているのか、常に感情を押し殺しているかのように感情を表に出すことがなかった。

 メテオラに仕事ぶりを褒められるようなことがあったとしても、喜びを表に出すことなく、ただ感謝の言葉を述べるばかりで、少なくともカファティウスはその少女が笑みを浮かべた姿を見たことはない。

 あまりにも平凡で、どこか異質である故に、カファティウスはその少女の名と存在を記憶していたのだ。


「そうだ」


「陛下が私の側仕えの名をご存じであることが驚きですが。元気にしておりますよ。今も控えに。呼びましょうか?」


「いや、必要ない」


「……そうですか。陛下はどこでユリアを見染められたのでしょうか」


 シリウスは僅かに目を細めた。探るようなその目つきにメテオラは黙ったまま見つめ返す。


――このような会話をするような人だったか。


 目的とする話題を直接述べるのではなく、敢えて異なる切り口から会話を始める。政治家が好む言い回しをシリウスは好まず、何事も率直に尋ねる、そんな人だったはず。その疑念は、メテオラに別の疑念を呼び起させたが、それを口にすることは出来ない。


「そのようなものではない。逆に聞こうか。そなたはどこであれを見つけた」


「……今日のお話というのはユリアのことでしょうか」


「いや。そうだな。いきなり本題に入るというのもどうかと思い話題にしてみたが、あまり適切ではなかったようだ。これまで積極的に皆と関わってこなかった弊害だな。反省しよう」


 二人が何を考え、このような会話を交わしたのか、カファティウスには推測出来ない。だが、なぜか印象に残るその少女が、二人にとっては何か意味の存在である、ということだけは理解出来た。

 シリウスは、人付き合いに慣れていないことを理由にしたが、この会話をカファティウスに聞かせることに意味があった、というのは考えすぎか。


――だとして、皇妹の側仕えの身上調査をすることは難しいだろう。ならば、皇帝は何を期待して、今この話をしたのか。


 ここまであからさまにユリアという少女に興味を示す会話が交わされれば、カファティウスも興味を持つであろうことはメテオラも容易に想像が出来るだろう。そうであるならば、もしユリアの身上に何か秘密がある場合、メテオラはそれを知られぬよう秘匿するか、敢えて誤った情報を得るよう情報を操作するといった対策を採るだろう。

 そうして、調査していることを知られれば、カファティウスがメテオラに対して疑念を持っていることを知られることになる。


――それが狙いか?


 今回の内乱で、シリウスは皇弟派の筆頭であるマグノリア侯ルクセンティアを抑えつけることに成功した。「神子」という手駒がルクセンティアの手に戻れば、勢力を拡大させる好機を与えることになる両刃の剣のような策ではあるが、仮にそうなったところで問題ないと考えている可能性もある。

 そうすれば、国内において次に脅威になる派閥は皇妹になる。

 皇妹はカファティウスの姉テッサリアの娘であるため、アンスイーゼン侯の血を引く。そしてアンスイーゼン侯は古くから続く五大選帝侯の一人であった。

 シリウスを皇帝に押し上げたのもまたアンスイーゼン侯カファティウスであったが、だからこそ脅威であるとも言える。

 ここでメテオラとカファティウスの関係性に亀裂を入れることで、カファティウスとシリウスの関係性を強化し、自らの体制を盤石にしようとしているのだろうか。


 そこまで思考を巡らせたとき、ふと、メテオラがカファティウスを見ていることに気づき、視線を向ける。

 メテオラもまたカファティウスと同じ事を考えていたのか、彼と視線が合ったことに気づくと、視線をシリウスに向けた。


「自然と見つめ合うほど仲が良いのだな」


 その二人の様子を見ていたのか、シリウスが薄い笑みを浮かべた。


「クストには幼い頃から相手にしてもらっていましたから」


 そう返すメテオラもまた笑みを浮かべ、カファティウスに視線を移した。気づかれたのであれば、視線を逸らすことに意味はない、そう考えたのだろう。

 カファティウスはその視線に応えながらも、視界にはシリウスの姿を捉えたままでいた。


 もしシリウスがメテオラとカファティウスの関係性に亀裂を入れるつもりであるなら、おそらく仕掛けはこの程度ではないだろう。

 その一挙一動から目を離せず、カファティウスはシリウスの次の言葉を待った。


「メテオラの相手が出来るのがアンスイーゼン侯しかおらぬのだろう」


「それは私の友人が少ないことに対する皮肉ですか?」


「いや、そう聞こえたなら、すまない」


 少し顔をしかめたメテオラを見て、シリウスが苦笑する。

 先程からシリウスの表情は細かく変化を見せているが、凪いだ海が僅かに波打つ程度のようで、感情の動きという観点では、ほとんど変化が見られなかった。

 感情に流されることなく、すべてを正しく見通そうとするためなのか、別の何かであるのか、カファティウスには読み解けない。

 ただの談笑のようにも思えた皇族二人の会話は、それが既に本題に向けた前振りであることを次の瞬間思い知らされた。


「そなた、アンスイーゼン侯に嫁ぐ気はないか?」


「何を……」


 目を見開き立ち上がったメテオラを見て、カファティウスは、珍しいものを見た、と思いながら、自身もまた、シリウスの言葉を受け入れられてない事に気づいていなかった。

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