第六十七話 大臣の思惑、傭兵の憂鬱
皇帝と三人の選帝侯を前に、多くの者が気を張り詰める中、皇帝の前に跪くルクセンティアの姿を目にし、胸中で安堵の息を吐く者がいた。
「赤い牙」の傭兵アル。『メルギニア』の防衛大臣カファティウスの命により、突如大臣の護衛という名目で、実態は皇帝の護衛として連れ出され、場違いの鎧を着せられてこの場に立っている。
魔術と体術を主体とするアルは、普段対刃性の高い服だけを身に纏い行動しているのだが、それでは護衛として格好がつかず、また『メルギニア』の兵を装う必要から、着慣れない鎧を着用することとなった。
魔術士然とした服とどちらがいいかと問われ、それならばまだこちらの方がましだと妥協した結果でもある。
胸当てや肘当てなど局部を守る軽い鎧だけにしてもらったが、それでも常日頃と比べれば、動きが鈍くなることは否めなかった。
一介の傭兵であるアルが、帝国の重臣であるカファティウスの護衛に就くことに異論を挟む者がいなかったのには当然理由がある。
そしてその理由の一つが、アルが今、安堵の息を吐いている理由にもなっていた。
――形だけでも元の鞘に納まるのなら、それが一番だ。国の大事を決める相手を手に掛ける、なんて荷が重すぎるからな。
片が付いたのであれば、一刻も早くこの場を去りたい。ルクセンティアの背中を見下ろすことは不敬に当たるため、なるべく視線を前に向けたまま、アルはそんなことを考えていた。
「一つ、君たちに追加で頼み事をしたい」
『ウツロ』との戦闘の後始末に駆り出されていた最中、アルとティオは突然カファティウスに呼び出され、そう告げられた。
「個人で依頼を受けることは団の規約に反します。相手が大臣様なら尚のこと」
団員が個人的に手助けを行い、個人と誼を深めることは禁じられていないが、個人で契約を締結することについては固く禁じられていた。
個人として「稼ぐ」ことを禁じるためではなく、団と団員の双方を守るための規約だ。契約内容に裏がないか、信頼の置ける契約内容か、団の方針に反する内容ではないか。契約と称して団の評判を貶めたり、団員を危険に曝すといった行為が行われる可能性が無いわけではない。こうしたことを防ぐために、傭兵ギルドや傭兵団の事務方を通して契約をするよう規約で定められている。
目の前のカファティウスは『アストリア』の傭兵ギルドの中では傭兵嫌いとしても有名な人物だ。警戒してしすぎることはない、とティオは判断していた。
そんなティオを見て、アルは子犬が狼に向かって警戒心を露わに吠えている姿を思い浮かべるが、顔には出さずに、カファティウスに語り掛ける。
「まずは内容を」
「アル!」
「依頼に値する内容ならば、団長を通す。今現在の契約内容の範疇なら問題ないだろう」
「それは確かにそうだけど」
でも『メルギニア』の防衛大臣だよ、というティオの言外の言葉をアルは気づかなかったことにする。
『ウツロ』との戦闘でうやむやになってはいるが、現在は皇弟派の内乱の最中だ。危機が去ったわけではないのだから、カファティウスもここで「赤い牙」を敵に回すようなことはないだろう。アルにはそんな打算があった。
「お見苦しいところを申し訳ありません。まずはお話を伺わせてください。伺った後、我々で判断出来かねる内容ならば、一度相談の上、返答となりますが、それでも宜しければ」
「それで構わんよ」
「ありがとうございます」
アルが礼をするのを見て、ティオもそれに続いて頭を下げた。その顔からは先程までの不満げな表情は消えている。ティオも子どものように駄々をこねたいわけではなかった。
「陛下が突然マグノリア侯と話がしたいと言い出してな」
「皇帝陛下が、ですか?」
アルの問い掛けに、カファティウスは無言で頷く。
「内乱の首謀者だぞ!?」という心の声を、アルはなんとか抑えつけると「それで?」とカファティウスに続きを促した。
「状況が状況だ。お一人で、というわけにはいかん。わたしも同行する旨をお伝えした」
「……我々に大臣の護衛をしろ、と」
「理解が早くて助かる」
この内乱において、カファティウスは自らの率いる兵を一人も連れていない。彼は今、アンスイーゼン侯カファティウスではなく、『メルギニア』防衛大臣のカファティウスとしてここに居た。
防衛大臣は本来、皇帝の兵を借り受け、戦の指揮権を揮う権限を持つが、皇帝自ら親征しているこの戦においては、彼が指揮出来る兵は一人もいないことになる。では、アンスイーゼン領の兵を呼び寄せれば良いか、と言えばそうもいかなかった。
アンスイーゼン領は隣国レジルと国境を接する領地であり、軍のほとんどは国境守備の為に割かれている。安易に兵を動かせば、レジルに国内の異変を察知される恐れがあるだけでなく、攻め込まれる恐れもあった。
特にレジルは2代前の皇帝アルニウムがヴィスタ領を切り取って以来国交は回復しておらず、今なお一触即発の状態が続いている国だった。
カファティウスが内乱鎮圧にあたり「偶然」居合わせた「赤い牙」をその場で雇う決断をしたのはそうした背景もあった。
「皇帝陛下の護衛をお借りすればいいんじゃないですか?」
「私の身を守るだけなら、それで事足りるかもしれんな」
「何か問題……」
ティオが続けようとするのを、アルが手で遮る。
「咄嗟の時に、命令出来ない相手では十全な働きが出来ない、と」
「そうだな」
それはお願いの域を超えている、とアルは思う。だが、一方で、元来の契約の範疇でもあった。すなわち、皇帝と大臣に害を成そうとする皇弟派から護り、脅威の元を取り除くという契約。
「そのような事態とならないよう、善処します」
――もしもの時、マグノリア侯を除け、なんて命令を受ける事態になど巻き込まれたくはない。
だがそうしなければ、内乱の火は再び燃え上がるだろう。もしかすると、当初の火よりもずっと激しく。下手をすると『メルギニア』全土を燃え上がらせるほどに。
それは、アルの期待する未来ではなかった。「赤い牙」としては……それでもいいと考えるかもしれなかったが。
「期待している」
カファティウスの浮かべた笑みを、アルは目礼することで視線を逸らした。
マグノリア侯ルクセンティアの居る天幕を後にした皇帝一行は、その後、特に問題が起きることなく自陣に帰り着いた。
「ご苦労だった。『アストリア』随一を誇る魔術士と、強弓使いの弓術士の技を目にすることが出来ずに残念だが」
別れ際のカファティウスの言葉に、アルは目礼をすると、「いつか機会がありましたら」とだけ返す。
カファティウスも、それ以上の返答は期待しなかったのか、軽く手を上げた後、その場を立ち去った。
元々の依頼の範疇である、という立場を取る以上、それ以上の報酬を要求しないことは事前に取り決めていた通りだ。
「思ってたより気さくな人だったね」
カファティウスの後姿を見送りながら、ティオが笑顔を浮かべていた。
「それが心からの言葉なら、私はお前を見直さなければならない」
「……それ褒めてる?」
「褒めている。一応な」
「傭兵嫌いって聞いていたから、どれだけ嫌味な奴かと思ってたけど、身分を振りかざして「言う事聞け」って感じでもないし、話せばちゃんと話が通じそうだからさ」
「お前の目から見ると、そう映るのか」
雇用主との契約関係を何よりも拘るティオらしい発言だと、アルは思う。契約を正しく締結し、履行する上で、会話に応じない契約主は厄介なものだ。その点、双方の言い分を聞く度量がある雇用主というのは、ティオの目線から見れば「いい人」なのだろう。
「アルはどう思ったの?護衛任務の話をしている時も、何か含みがある態度を取ってたけど」
「そうだな。自らの障害となる者には容赦ない御仁だ、と思う」
「偉い人なんてみんなそんなものでしょ?」
ティオの言葉は無邪気なようだが、正しくもあるように思えた。そう。帝国の上層部に籍を置くものに真っ白な善人など居るはずがない。だが、その言葉だけでは言い表されない、引きずり込まれそうな何かを、アルはカファティウスから感じ取っていた。
「……そうだな」
『アストリア』で傭兵をやっていると忘れそうになるが、「偉い人」などみんなそんなものだ。傭兵が都合よく捨てられることなどよくあることだ。
敵地で殿を務めさせられ、そのまま見捨てられることも、僅かな兵で敵と立ち向かわされることも、他国のギルドでは日常茶飯事だ。
「偉い人」にとって、兵は駒であり、数字だ。
敵を効率よく排除するための道具に過ぎない。
カファティウスも同じだろうか。
おそらく彼は、そうしたものとは違う恐ろしさを持っている。強いて言うならば、彼にとっては同じ選帝侯であっても「駒」ではないのだろうか。
もしかすると、彼自身もまた自らを「駒」と捉えているのではないか。
だとして、彼は一体、何と戦い、何と勝利するために、一手を打っているのか。
全ては想像に過ぎなかったが、この短い期間で彼の人となりを感じるほど、カファティウスという人間の底が見えなくなっていく。アルにはそのことが恐ろしく思えた。
今回の皇帝とマグノリア侯の会談は、平和裏に終わりを告げた。おそらくこの内乱は、皇帝の思惑通りに、『ウツロ』を討伐するための遠征として処理され、なかったことになるだろう。
だがカファティウスは、おそらくあの会談が決裂することを想定し、その際には本格的な武力衝突に事態が移るよりも早く、マグノリア侯ルクセンティアとメラヴィア侯シューブリンを排除し、火種を消し去るつもりだった。
マグノリア侯は今回命を拾った。
火種は、消えたのだろうか。
カファティウスの全てを呑み込むかのような黒い瞳が、アルの脳裏から離れずにいた。




