第六十五話 「赤い牙」との再会
「まずは、お疲れ」
ガイたちと別れたフアンたちは、一旦宿に戻り、目覚めないままのフェリを寝かせることにした。フェリを一人のままには出来ないため、エレノアはそのままフェリと共に部屋に残り、フアンとレツは1階の食堂で待つデイルたちと合流した。
『ウツロ』の出現による避難指示が出ているため、食堂はおろか宿にも店員は残っていない。不法に侵入したと疑われることを避けるなら避難場所に移る方が望ましいのだが、この後の会話を考えると、人目の多い場所よりも、無人の宿の方を選んだのだ。
――何か言われたときは、ガイさんにお願いしよう。
フアンのその心の声を聞いたものがいたとしたら、さすが『アストリア』傭兵ギルド長の直属だな、と言ったに違いない。
そして、言われたフアンはさぞ顔をしかめたであろう。
「デイルさんたちもお疲れ様でした。『メルギニア』の内輪もめに巻き込まれたって聞きましたよ」
宿の一階でフアンたちを待っていたのは、十字路で出会ったデイルの他にウィルとセリカを合わせた三人だった。
彼ら三人はみな、『アストリア』の傭兵ギルドに所属する傭兵団「赤い牙」の団員であり、およそ一神期前に『メルギニア』に向かうガレル・クラム商隊の護衛役として、フアンたちとともに一分神節ほどの間、共に旅した面々であった。
この旅は「赤い牙」以外にも、「蒼の風」「新緑の枝の徒」といった複数の傭兵団で構成された総勢六十名に及ぶ大きな旅団であったが、中でも彼ら「赤い牙」は、フアンたちの身柄を預かる立場にあったため、フアンたちとは特に親密な仲となっていた。
「俺たちはそこまで大した働きはしてない。接近戦に持ち込む前にほとんど片がついてたからな。それなりに働いたのは、ティオとアルぐらいだ」
「そのお二人の姿は見えないですが、別行動なんですか?」
「そうだな。今は「別行動」中だ」
「他の場所で片づけってわけでもないんですよね」
「赤い牙」の面々は、『ウツロ』との戦闘の後始末の手伝いのため、今も十字路付近の後片付けを支援している。にもか関わらず、彼ら三名が一時的に作業を離れる許可を得ているのは、単に商隊で共に護衛をした仲だから、というわけではない。
現在の「赤い牙」は『メルギニア』の国防大臣の依頼を受けて、皇帝直轄軍の護衛任務を受け、彼らの軍務に同行しているが、それよりも前に「赤い牙」は『アストリア』で別の依頼を受けており、その依頼というのが『メルギニア』で調査任務に就いているフアンたちの保護であった。そのため、フアンたちの身柄を預かるというのは本来の「赤い牙」の目的なのである。
「……そうだな」
フアンたちの保護を優先するなら、『ウツロ』の襲撃直後であることを考えると、この場にアルを派遣するのが望ましい。
一方で、皇帝直轄軍の護衛を考えるならば、アルはそちらの任務を優先しているとも考えられる。『アストリア』の傭兵ギルドにとってどちらがより重要度が高いかなど比べるまでもない。
にも関わらず、言い淀むというのは……。
――これ以上は聞かない方がいいのか?
歯切れの悪い様子から、あまり公に出来ない任務についているようだ、とフアンは推測する。
こんな状況で、公に出来ない任務なんて、まともであるはずがなかった。
「アンの様子は気がかりだが、まずはお前らが無事でよかった」
それでももう少し突っ込んだ方がいいだろうか、とフアンが悩みかけているところで、ウィルがレツとフアンの肩を叩いた。
「どうも『メルギニア』がきな臭いから、引き際を誤って帰れずにいるお子様たちを回収してこい。時機が良ければ、ついでに俺たちを高く売りつけてこい、なんて依頼を受けたんで、内乱にお呼ばれするのは覚悟してたが、まさか『ウツロ』まで現れるとは思ってなかった。
ヴェッティの旦那もさすがにそこまで予測してなかったろうな」
くしゃっと笑顔を浮かべて、フアンとレツの肩を叩く度に二人の顔がわずかに歪む。
「ウィルさん、いてえって。せめて籠手外してから叩いてくれよ」
レツが身を捩って座っていた席から転がるようにして逃げ出す。その一方で、フアンは考え事をしていた分初動が遅れてしまい、がっちりとウィルに肩を組まれていた。
「いや、叩かないでほしい……です。太刀振り回す筋力で叩かれたら、素手でも痛い」
フアンもウィルに悪気がないことは分かっているおり、非難するつもりはなかったが、それでも被害は防がねばならず、言うべきことは言っておく。
「あ、わりぃ」
「帝都に『ウツロ』が出たって聞いて、隊長の指示も待たずに助けに向かおうとするぐらいには心配してたからね。それぐらい許してあげて」
フアンたちの前にしゃがみ込んで見上げるように笑顔を見せたのはセリカだった。後頭部で纏められた金の髪がゆらりと揺れる様と、唇の端が少し歪んで持ち上げられているのが、心の内を示しているようにも見えた。
「そんなんじゃねぇ。その前の戦ではなんの働きも出来なかったからな。少しは暴れてぇって思ったってぐらいだ」
「『ウツロ』には魔術しか効かないのに?」
「ぐっ……」
言い詰まるウィルを見て、フアンたちは笑みを浮かべる。過ごした時間にすれば、一分神節でしかない。にも関わらず、命の危険の及ぶ場所に身を曝すことに躊躇いを感じないウィルの人の好さが有り難く、心が救われた気になる。
「素直になればいいのにね」
格好つけなくても今更なのに、とぼそりと告げるセリカの言葉にレツが吹き出し、ウィルに睨まれていた。そんな三人を横目に、フアンはデイルに向き直る。
「商隊の時と違って多少身軽とは言っても、『アストリア』から『メルギニア』までは一分神節近く掛かるはずです。皆さんはいつからこちらに?」
「水の降神節二十九には『メルギニア』に向かう依頼をもらってたから、一分神節と少し前に『アストリア』を出た計算か?」
何を言ってもセリカにからかわれそうで分が悪いと思ったのか、フアンの疑問に即答したのはウィルの方だった。
「そうだな。途中バトロイト領への使いを終えて、『メルギニア』に着いたのが土の昇神節二十三。で、どこから情報を手に入れたのか、メラノに着いた翌陽には『メルギニア』の国防大臣から団長が呼び出しを受けて、内乱鎮圧の支援依頼を受けることになった。で、即日出立。何人かをメラノに残す話もあったんだが、『メルギニア』ギルドでは、お前らが『アストリア』に向かって出立したって話も聞いてたし、それならいいかってことで全員で皇帝軍についていった感じだな」
「うわっ、ぎりぎりすれ違ったんだな。俺たちが『メルギニア』に戻ってきたのが二十六《二十六日》だろ。
二つ陽前では『メルギニア』に居たんだな」
そして、『ゲラルーシ』山脈の国境砦の通過は、フアンたちが『ゲラルーシ』山脈に到達する4つ陽前ぐらいなのだろう、とフアンは考える。
もしも途中で彼らと出会えていたら、など今更考えても仕方ないことかもしれない。
それでも、もし「赤い牙」の『アストリア』出発が数つ陽遅れていれば、国境砦に向かう途中でフアンたちと「赤い牙」は出会っていたかもしれなかった。
その場合、『ゲラルーシ』山脈でフアンたちが出会うはずだった『ウツロ』は「赤い牙」と遭遇したかもしれず、「赤い牙」には少なからず被害が出た可能性がある。
「赤い牙」には『アストリア』でも随一の戦闘力を誇るアルが居るが、四体の『ウツロ』から全隊員を守ることは、アル単独では難しかったかもしれない。
フアンたちが少人数であり、またあの時はアギィという二人目の魔術士がいたことで、誰にも被害を出さずに終えることが出来たと言える。
そして、「赤い牙」と出会えたら、フアンたちはガイたちと同道することなく『アストリア』に帰還したことだろう。
フアンたちが「赤い牙」と出会い、『アストリア』に帰還していたとしたら、この陽、『メルギニア』で起こった『ウツロ』の襲撃の結果がどうなったのかは誰もに分からない。ただ、フアンたちが居なければ、『ウツロ』たちが教会の石柱へ行った行為はそのままとなったに違いない。
結局、あの時フェリが何を行ったのか、フアンにはまだ分からない。
だが『ウツロ』が現れた結果引き起こされた事態が何を引き起こすのかを考えた場合、あのままであれば何が起きていたのかと言えば天地崩壊以外に考えられなかった。
改めて事態を整理すれば、あれがなんだったのか。
これまで『ウツロ』は獣だと考えられていたため、『ウツロ』は本能のままに動き、その結果、天地崩壊が起きていると考えられていた。
だがそうではなく、『ウツロ』は天地崩壊を起こすために、各地を襲っていたのだとしたら。
この大陸の各地には、教会で見たあの石柱と同じ石柱が他にも隠されていることになり、『ウツロ』はそれを狙って襲撃してくることになる。
自分たちが護るべきは石柱なのではないだろうか。
フアンは考えながらも、自分の考えに確証を持てずにいた。
理由はいくつかある。
その一つに、天地崩壊が起きた場合、地の底に沈んだ人々の命は失われる、という伝承と、今回の事象が合致しない、という点があった。
天地崩壊が起きたなら、『メルギニア』で『ウツロ』と争っていた人々は全て命を落としているはず。
レツやガイ、アギィのように、天地崩壊と共に意識を失った者がいたため、最初はあの空間の歪みが、地の底に呑まれていく状態なのか、ということも考えた。
だがしかし、教会を出てみれば、人が倒れたという話を聞かない。レツたちが即座に命を落とさなかったことから、命を失うまでに時間がかかったり、石柱との距離で影響が変わったりするのかもしれない、とも思う。
もう一つ、仮に石柱との距離で影響に差があったとして、あの時なぜ自分とエレノアとフェリは何も感じなかったのか。
この点だけを考えれば、異常なのはフェリに限った話ではないのだ。
「フアン?」
自分から話を振っておいて黙り込んでしまったフアンにレツが声を掛ける。いつものように自分の考えに耽っていることは分かっていたが、今は「赤い牙」の面々もいた。放っておけばいつ戻ってくるか分からない思考の海に放置しておくわけにはいかなかった。
「何か、気になることでもあったのか?」
「……お互いの旅程がどういう状態だったら会えたのか、って考えこんでしまってた。ごめん」
フアンはそう言って曖昧な笑みを返す。「赤い牙」の面々を信頼していないわけではないが、今、フアンが思いついたことはなんら確証がなく、そして確証がない状態で話してよい内容ではなかった。
――エレノアたちが『アストリア』から姿を消したのも、これが理由か。
だとしたら、この事実をより強く隠そうとするのはフェリの方ではないだろうか。
これまでの二人の様子から、伏せるべきはエレノアの持つ何かであり、フェリはそれに付き合っているだけ、というように見えた。
――それとも、やはり勘違いなんだろうか。
いずれにしても、エレノアたちが抱えるものについて、ちゃんと話すべき時なのかもしれない。
エレノア自身の言動にも、そしてまたフアン自身にも、気になる点はあるのだから。
「みなさんが出たのが水の降神節二十九だとすると、ギルド長は僕たちに帰還命令を出す頃には、皆さんにお迎えの依頼を出していたってことなんですね」
これ以上のことはフェリと話すまで考えることを止めようと、フアンは思考を切り替えて、再び「赤い牙」の面々に質問をする。
「ギルド長から連絡もらったのって?」
ぽんとフアンの肩を軽く叩くと、ウィルはすぐ脇の椅子を手元に引き寄せ、背もたれに腕を乗せるようにして座った。
「土の昇神節一」
セリカはその場に立ち上がりながら返事をすると、ウィル同様に椅子を引き寄せると、背もたれにもたれかかりながら足を組む。
「お前らなら、最後、もう一回『ゲラルーシ山脈』近辺を調査した後にメラノに寄って、それから帰還するだろうから、その辺で捕まるだろうって言われてたな」
「内輪もめの話がなければ、そうしたかもしれませんが」
「そこは現地で感じる肌感ってやつだからな。外れたとはいえ、そこまで読んでるヴェッティの旦那が変態的に鋭いだけだ」
直属の上司だけに、「変態的」という評価に素直に頷くことは出来ず、フアンは曖昧な笑みを返す。レツも消極的肯定という態度なのか、わずかに視線を逸らしていた。肩が震えているところを見ると、ただ吹き出すのを我慢しているだけなのかもしれない。
「フアンたちがギルド長の予測を超えて成長した、とも言えるな。『ゲラルーシ山脈』の調査をしてからの帰還では間に合わない恐れがある、と判断したということだろう?」
「……そうだと嬉しいですね。いつまでもギルド長の手の内に収まる程度ではいけないでしょうから」
「調子に乗ったら、再起不能な目に合わされそうだから、フアンがこんなこと言ったって黙っててくださいよ。絶対いじめられるんだから」
フアンのセリフに不穏な笑みを浮かべたセリカを見て、慌ててレツが言葉を付け加える。
「えぇ?どうしようかなぁ」
「ちょっと、セリカさんっ」
これまでのティオをいじる際のセリカの行動を見ていると、本当にやりかねない。そうレツが焦る様子を見て、デイルは苦笑しながら助け舟を出してやることにした。
「あまりからかってやるな。うちの団員じゃないんだから」
「ティオがいなくて寂しいんだろ」
「う……。ちょっとそれはあるかも。反省」
「……ティオさんたちは今何を?」
それは一度躊躇った質問だったが、気軽に名前を出せるなら聞いてもいいのか、とフアンが改めてこの場に居ない二人のことを聞いてみる。
聞かれた三人は互いに顔を見合わせ、その後ウィルとセリカが揃ってデイルを見た。
二人の視線にデイルは仕方ない、というように息を吐く。
「皇帝の護衛だ」
それは、フアンがこの状況下であるなら優先されるべきであろうと考えた任務であり、だからこそ彼らが言い淀む理由を考えると、不穏なものを感じずにはいられないのだった。




