第六十四話 距離
アギィが意識を取り戻した数分後にはガイとレツも目を覚ましたが、それからしばらく待ってもフェリが意識を取り戻すことはなかった。
静かに上下する胸と、エレノアの「エーテルは正しく流れている」というその言葉から、フェリの生命が失われたわけではないことだけは分かるが、なぜ目が覚めないのかは分からない。
フェリが目を覚ますのを待つ時間を使って、フアンはガイたち三人に対し、彼らが意識を失っている間の状況を説明していた。
黒髪の少女が石柱に触れ、地から何らかの歪みが湧き上がった後、その歪みの波に合わせて『ウツロ』が人の姿をとったこと。
3人が倒れた後もしばらく『ウツロ』と対峙したが、突然黒髪の少女が「退く」といって、姿を消したこと。
その後、フェリが石柱に触れ、歪みの波が地の底に沈んだように見えたことは話さず、フェリは3人から少し遅れて突然倒れたと、話すに留めた。
「どうして、フアン君とシンちゃんは無事だったんだ?」
「どうして皆さんが倒れたのかが分からない以上、僕たちが無事な理由も分かりませんよ」
「それもそうだな」
そこで、何かを考え込むように黙り込んだガイは、突然「あぁ」と小さく声を上げた。
「今の話とはまったく関係がないことだが、フアン君がいう、黒髪の少女、あれは多分男だぞ」
「……はい?」
「確かに見た目は少女と見間違うかのような容姿だったが、肩幅とか、骨格とかが男のそれだった。まぁ、絶対とは言い切れんがな」
「隊長がそう言うならおそらくそうなのでしょう」
アギィが澄ました顔でガイの言葉を追認する。
戦闘中に何を見ているのかと思ったが、その後に続いたアギィの言葉は納得のいくものだった。
「相手の体格や身のこなしから、ある程度推測するのは、要人警護においても、純粋な対人戦においても有益で、ことそういう技能については隊長は人一倍長けていますので」
「目はいいからな」
言ってガイが笑う。
――つまり、この人の前ではちょっとした変装をしても見破られる可能性があるってことか。
折角打ち解けられてきた相手であるにも関わらず、気づけばどこか「敵」として見ていることに気づき、フアンは複雑な気持ちになった。
一通り話を終えた後、「いつ目が覚めるか分からないなら、このままこの場で待っているより、ちゃんとした場所で身体を休ませた方がいいだろう」、と言い出したのはガイだった。
「代わらなくても大丈夫か?」
地下から外へ繋がる螺旋階段で先頭を歩いていたガイは、背後から聞こえる荒い息に気づき、その場に立ち止まり、振り返った。
声を掛けたのは後ろから二番目を歩いているフアンだ。
「だ…いじょうぶ、です」
フアンは顔を上げる元気もないのか、下を向いたまま、少し息を切らしていた。
その顔のすぐ横にはぐったりとしたままのフェリの顔がある。教会から出るにあたり、フアンがフェリを背負って連れ帰ることにしたためだった。
「後ろから支えられるようについてるから、気にせず進んでください。こう見えて、フアンには山狩りの経験があるから、そこまで柔じゃないんで」
フアンの言葉を受けて、最後尾にいるレツが大きな声でガイに答える。
――山狩り?
少し気になる回答ではあったが、長く止まれば寧ろフアンに負担がかかる、とガイは再び階段を昇り始めた。
下っていた時は「急がなければ」と気が急いていて気づかなかったが、螺旋階段は二階建ての酒場が一つすっぽりと収まる程度の高さがある。
その長い階段を、足下に気を付けながら人を一人背負って登っているのだ。当然疲れもするだろう。
意識を失ったままのフェリを連れて帰るにあたり、この中ではおそらく最も力のあるガイがフェリを背負うことを最初提案したが、それをフアンは断った。
ガイとアギィは教会を出た後、隊に戻らなければならず、背負い直す手間がかかること。
二人は鎧を着こんでおり、人を背負うには適した格好ではないこと。
ガイ、アギィ、それにレツは、全身の力を失って倒れたばかりであり、今はまだ無理をしない方が良いこと。
こうした理由から、フアンがフェリを背負う、と説明をしていた。
特に最後の点を理由とするならば、現在この五人の中で唯一『ウツロ』と渡り合える可能性があるのはフアンだけになってしまい、フアンの行動を拘束することも問題ないのか、とレツから指摘があったが、その点についてはガイもフアンも同じ考えで、問題ないと断じていた。
石柱の前での『ウツロ』との戦闘からある程度時間が経過したにも関わらず、他の『ウツロ』が教会内に侵入した形跡がないことから、建物外の戦闘も既に決着がついていると考えたのだ。
帝都を防衛する魔術部隊が敗れていれば、今頃教会には『ウツロ』が殺到しているだろうから、今この場に現れないということは、全て倒されたか、撤退したか、そのいずれだろうというのが、ガイとフアンの考えだった。
意識を失うにあたり、全身から力が抜けていった感覚を覚えたことから、フアンの理由は尤もなように思え、ガイも強く反対することはなかった。
唯一心配だったのは、魔術士であるフアンに、女性を一人背負うだけの力と体力があるか、ということであったが、今のレツの言葉を聞く限り、フアンは一般的な魔術士と違って、ある程度体力にも自信があるようだった。
――そういう意味では、「赤い牙」のアルと同様に「例外」の魔術士というわけだな。
そうガイは納得する。
フェリを背負って帰る上で、フアンが自ら背負うことを提案したのは、ガイたちに話した理由もあるにはあったが、それ以上に、フェリが『ウツロ』であった場合、真っ先にその脅威に曝されるのは自分でなければならない、と考えていたからだった。
フェリが『ウツロ』である危険性を誰にも語っていないことに対する責任もある。だが、自分の知る限り、『ウツロ』に触れられて、唯一生き延びたことがあるという点も理由の一つだった。
教会の地下に下った時と比べると、その五倍程度の時間を掛けて、五人は教会の外に出た。
教会の扉に触れた時と、建物の外に出る瞬間、皮膚の表面の産毛が逆立つような、僅かな違和感があったが、それ以上のことはなかった。それよりも、教会の外で駆けまわっている多くの人々の姿に意識を奪われ、そうした小さな違和感があったことは、すぐに意識の彼方に消えてしまっていた。
教会を出てすぐの場所には、多くの台車が止められていた。その台車の一台一台に人が横たわっており、その上には布のようなものが掛けられていた。
ガイやフアンが予測した通り、『ウツロ』との戦闘は既に収まった後のようで、目の前のそれは戦闘後の事後処置のようであった。
「フアンとレツ……、それとシンか」
慌ただしく人々が動き回る様子を眺めていた5人に、背後から声が掛かる。それはフアンたちにとっては久しぶりに聞く声だった。
「デイルさん」
声の方を振り返ると、そこには予想した通りの人物が立っていた。
『アストリア』から『メルギニア』まで商隊を護衛する際に同道した「赤い牙」の傭兵デイル。一時期、フアンとレツは彼と3人で国境砦までの斥候として行動するなど、「赤い牙」の中では最も過ごした時間の長かった傭兵だった。
「……背負っているのはアンか。お前たちは『ウツロ』との戦闘に巻き込まれたのか?」
「……誰だ?いや、フアンくんたちの知り合いだというのは分かるが」
そのままフアンと会話を続けようとするデイルとの間に割って入ったのはガイだった。ガイからすれば、フアンたちは共に『ウツロ』を敵とする仲間だが、それとは別にサビヌスの客人でもあった。素性の定かではない人物を容易に近づけるわけにはいかなかった。
一方で、デイルはそこで初めてガイとアギィを認識した。
ガイとアギィの服装が帝都防衛部隊の隊員たちと同じであったことから、彼らもまた戦後処理に駆り出されている人員だろうと思っていたが、どうやら違うようだ、と気づいたのだ。
「『アストリア』傭兵ギルド所属、「赤い牙」のデイルだ。フアンたちとは、以前ガレル商隊の護衛任務の際に一緒だった知り合いだ」
「「赤い牙」?アンスイーゼン侯と一緒だったのでは?」
「アンスイーゼン侯?あぁ、国防大臣殿か。一緒だったが、あの方は既に貴国の陛下と共に皇城に帰城されたぞ」
――戦闘前には帝都の西に布陣していたと聞く。確かに戻っていてもおかしくはないか。
そもそもガイは、まもなくマグノリア侯が帝都に現れるため、フアンたちを皇城で庇護する目的でここに来たのだ。その際、予めその当時の布陣の状況は聞いていた。
南門を挟んで、城内には帝都防衛軍。
帝都の北東から駆けつけるバトロイト侯の軍は、南門に布陣するマグノリア・メラヴィア連合軍の東側面から襲い掛かる手筈となっていた。
そして西側からは、ロイス軍を取り込んだ皇帝直轄軍・ブラーベ連合軍、南西からはケヴィイナ軍が進軍し、包囲網による殲滅戦となる予定だった。
その際、包囲は完成させず、マグノリア・メラヴィア連合軍の南側は逃亡可能なように配置しておく予定だった。
殲滅戦とは銘打つものの、指揮官に騙される形で率いられてきた同国人を虐殺するのは味方の心理的にも厳しい。マグノリア・メラヴィア連合軍には、心理的な敗戦を味わわせ、軍としての崩壊を狙ったのち、首謀者であるマグノリア侯とメラヴィア侯を捕らえる手筈となっていたはずだ。
陛下は無条件降伏を許容し、戦闘そのものを回避しようとしていたようだが、そうはならないだろうと、当時そう考えていたことをガイは思い出す。
それが突然現れた『ウツロ』のお陰で状況が一変した。それでも「赤い牙」がここにいるということは、内乱は回避されたということだろうか。
「そうか。あぁ、申し遅れた。私は帝都防衛隊のガイウス・アスカニアスだ」
「同じくウィプサニア・アグリッピーナです」
皇帝が帰城していると知り、思わず自分の興味を先に尋ねてしまった非礼に気づき、ガイはデイルに頭を下げた。
その横で、アギィが挨拶としての一礼をする。
「……「赤い牙」の傭兵団が来たのなら安心だな。積もる話もあるだろう。私たちはこれで失礼するよ。フアンくん、アンちゃんの意識が戻ったら教えてくれないか。おそらくしばらくはこの辺りにいるだろう。もしも翌陽まで目覚めそうになければ、一度フアンくんとレツくんだけでも城に来てもらえないか。城の治癒術士に見てもらえるか確認しておく」
「ありがとうございます」
「シンちゃん以上にうまくアンちゃんを治癒できる術士がいるかは分からないけどな」
最後のそれは軽口だったのか、ガイはそう言うと、アギィを連れて十字路に集まる隊の方へと向かっていった。
フェリを背負ったままのフアンは、礼を出来ないために軽く頭だけ下げて謝意を伝える。そこで、ふと妙な表情をしているレツに気づいた。
「……どうかした?」
「いや……、アギィさんって、そうだったのかって」
「……あぁ」
レツの反応に、フアンも最初は自分もアギィのことを勘違いしていたな、と思い出して笑みを浮かべた。




