第五話 皇城を駆ける羊
『メルギニア』帝都メラノ、その中央には皇帝の居城メラノが鎮座する。
皇帝の居城を守るための街が帝都メラノであることから、帝都もまた皇帝の居城であるとして、街もまた皇城と同じ名を冠する。
その帝都の上空には、白い羊の形をした雲が無数の群れをなしていた。
皇帝を上から見下ろすことのないよう配慮する観点からも、防衛上の観点からも、皇城は高台に建てられており、物見台はこの高台を取り囲むようにして建てられている。
高台には、縁に沿うようにして居城を囲む壁が建てられており、それはさながら砦のようでもあった。
また城内は、皇帝の住まう館を中心に、方形を描くように回廊が二重に張り巡らされ、各回廊は角と辺を守るように施設が建築されていた。
議会の議場はそのうちの外周部分、居城の正門から中心部、皇帝の館をまっすぐに結ぶ線上を遮る形で建てられていた。
「カファティウス国防大臣」
首相との会話を終え、議場から行政府に向かって回廊を歩いていた国防大臣カファティウスは、自らの名を呼ばれ立ち止まった。
短く切り揃えられた黒髪に、全てを飲み込むかのような黒い瞳、すらりとした体格の男は、齢四十にして国の中枢に立つ「やり手」として、国の内外、いずれからも敵視されることも多い。
それ故か、脇に控えていた付き人は、カファティウスが名を呼びかけられると反射的に柄に手をかけようとし、カファティウスはそれを無言のまま手で制した。そして、彼を呼んだ声の主に身体を向ける。
呼び掛けた男の声に聞き覚えのあったカファティウスは、この男が焦るなど珍しい、と思い、幾分報告の内容に興味を覚える。
「お呼び止めして申し訳ございません」
そこに立っていたのは、カファティウスの予想した通りの男、帝都防衛長官のサビヌスだった。サビヌスは、カファティウスと視線が合うと、両足の踵を揃え、右手を胸に添える。『メルギニア』軍における敬礼だった。
「前置きはいい。なんだ」
「お耳に入れておきたい事案が二件ございます」
「続けろ」
「一件目ですが、『アストリア』からの商隊に対し、ならず者共をけしかけて襲撃を企てる輩がいるとの報告を受けております」
「……『キシリア』の食料難民を装わせた襲撃であろう。捨て置け」
「ご存知でしたか」
「いや。だが、程度の低い企てしか出来ぬ者はどの時代、どの国にでもいるものだ。そなたのことだ。誰が企てたかは検討がついてるのであろう」
「ご賢察痛み入ります」
「事後処理は任せる」
「『アストリア』の使節団は宜しいのでしょうか」
「この程度でやられるならそれまでのこと。あぁ、万が一襲撃が成功したときに、物資を持ち逃げされると面倒だ。その時には、襲撃した一団ごと殲滅せよ。
『アストリア』には、報告を受け、駆けつけたが間に合わなかった、とでも説明すれば良い」
「『アストリア』が襲撃を乗り切った場合も同様の報告で良ろしいですね」
「そうだ。それにしても、日頃私が傭兵共を軽く見ているから汲みやすしと見たか」
「大臣の傭兵嫌いは有名ですので」
「「我が国の」傭兵共、だがな。国の枠組みから外れた者共の集まりだ。まともな者など期待すべくもない。国の産業として成り立つ『アストリア』のそれとは比べられるものでもない」
『メルギニア』軍の兵士は徴兵制により補充される。本来ならば傭兵など不要だ。
それでも、傭兵などという職業が存在するのは、真っ当な職業につけなかった連中や、家督争いに破れ、行き場を失った連中の、言わば掃き溜めを作るためだ。
下手に自由にされるより、ある程度管理された組織に属させたほうが、監視もしやすいというものだった。
国の不穏分子のたまり場として、一定以上の大きさにならないよう歯止めは行っていたが、どこにいても厄介者な連中という点では好きになりようがない。
一方で、『アストリア』は職業軍人のみで軍を構成している。
そのため、常設軍として配備できる兵の数は他国より少なく、その不足分を傭兵という非常設軍で補う形だ。
『アストリア』の傭兵団は他国の紛争に出稼ぎするものが多く、他国に軍事力を貸し出して儲ける姿は貸付け商人のようでもある。自分たちをより高く買ってもらうためには、自らを磨く以外に道はなく、兵の質は自然と高くなっていた。
カファティウスとしては忌々しいことではあるが、自国の荒くれ者集団と違い、『アストリア』の傭兵は、ある程度制御下の効く軍隊として一定程度認めざるを得ないところであった。
今回の件は、狭い世界ばかりを見て、外を知ろうとも知らない愚者にはいい勉強になるだろう。
ただし、そこで学んだことを活かす機会があるかどうかは、彼らの態度次第ではあるのだが。
「もう一つはなんだ」
この程度の事で焦っていたなら、この者の能力を買い被っていたかもしれんな、との思いは胸に秘めたまま、カファティウスは続きを促す。
「は。東の国境付近で黒い獣を見たと」
「はっ」
サビヌスの報告に、カファティウスは思わず声を漏らしていた。
顔の毛穴が一時に開いたかのような感触。気付けば手の平は爪が食い込むほどに握りしめられていた。
「詳細を」
「獣を見たとの報告は、国境警備をしている部隊のものからで、二つ陽前のものです。数は二体。四足で、遠目には狼にも見えたことから、弓で矢を射たところ、矢が刺さらなかったとのこと。獣はしばらくその場に居たものの、その後、岩場に姿を消してしまい、見失った、とあります」
「矢は、外れたのではないのだな」
「五名一組の分隊編成で巡回しており、そのうちの半数は、確かに獣の身体を矢が素通りした、と報告にあります
高度な使い魔の類であるのか、現場では判断できなかったことから、軍部を通して魔術協会に問い合わせの依頼を挙げようとしていたところを見つけ、報告を、と」
「よく報告してくれた。
しかし、この報告を魔術協会ではなく私に挙げた、ということは、その獣が何か、予測はついているのだな、サビヌス」
「伝承に聞く『ウツロ』ではないかと」
サビヌスの言葉に、カファティウスは頷く。
昨今の不作に始まり、神の恩寵が薄れていることは、教会から指摘されていたことだ。
『神々の恩寵薄れしとき
異界の顎は開かれ
万物を呑みこまんとす
地より昏き獣現れ
全ての生命を喰む
天は裂け、地は割れ
人はただ神を求める
神、汝の子を遣わして
神力を以て門を封ずる
天地は神に再生され
昏き獣は地に還る』
伝承に残る天地崩壊の逸話だった。
教会は近年の不作がこの天地崩壊の先触れだと騒ぎ、神の子を見つけて手中に収めるべきだと喚いていた。
『ウツロ』が出た、という噂もあったが、所詮は噂だ。
これまでも不作の度に、天地崩壊の逸話を引き合いに騒ぎ立て、布施を増やせ、人を寄越せと騒いでいたため、話半分にしか聞いていなかったが、昏き獣、『ウツロ』らしき生物が実際に確認されたとなれば話は別だった。
「このこと、他に知るものは?」
「見回りをした分隊、砦で報告を受けたその上官と砦の責任者のガイウス千人長、それから魔術協会に報告を上げるべきかを相談してきた私の部下だけです。
ガイウスは、本件について徒に混乱を招かぬよう、分隊およびその上官に他言無用の指示を出しており、分隊も本件は報告者以外には話していない事を確認しているとのこと」
「……間もなく配置換えの時期だ。ガイウスに指示して、その分隊の隊員名簿を抑えておけ。ガイウスにはいつか報いてやるが、今回はよく報告した、とだけ伝えておけ」
「承知しました」
「お前のその子飼いの職員は信用が置けるのか」
「はい」
「ならば、大切に取っておけ。配置換えに合わせて、分隊の隊員共々、協力してもらうことになる」
伝承通りなら、『ウツロ』が現れた後、『神の子』とやらも現れると聞く。これも教会が騒いでいる話の一つで事実かどうかは怪しいものだが、『ウツロ』が存在したのなら、笑い話と流すわけにもいかないだろう。もしもそれをどの国より早く手に入れることができたなら、他国に対して大きく優位に立てる。各国の教会の動きも監視させるべきかもしれなかった。
未曾有の災害とやらも、来ることが分かっていればやりようがある。
あとは……
カファティウスはサビヌスに更にいくつかの指示を出すと、行政府に向けていた足を、皇城の外に向け直した。
空を見上げると、メラノの上空を駆ける羊は、まるで人の欲を吸ったかのように、膨らみ、大きくなっていた。




