第六十一話 我々は何と戦っているのか
馬を駆り、南大路をひた走るサビヌスは、東西南北の大通りが交差する十字路に重なる血と躯の群れを目にした。
直前にその場を去っていく黒い人影の群れを目にしたが、『ウツロ』と思われる黒い靄の群れは既に姿を消していた。
途中、足下からせり上がってきた正体不明の冷気に馬が混乱をきたしたのか、暴れようとするのをなんとか抑える場面もあり、幾分駆けつけるまでに時間を要したが、その間に全てが決してしまったということだろうか。
だが、残された魔術部隊は皆、一様に呆然とした面持ちで東の方向を見ており、『ウツロ』を撃退したという歓喜に溢れているわけでもなければ、仲間を失った事に対して悲嘆に暮れているわけでもない。
一種異様な光景に見えた。
サビヌスから遅れること僅か。馬に乗せられるだけの数を乗せて魔術部隊を率いてきたルクセンティアも、十字路で佇む魔術部隊の異様な雰囲気に息を呑む。
――戦が続いていれば、やりようはあったが。
既に戦が終わってしまっていては、兵も冷静なままだ。
特に、今ルクセンティアが引き連れてきた魔術部隊は元々子飼いの兵士たちとは異なる。無法な命令を受け入れる者はいないだろう。
――『ウツロ』も大したことはないな。
期待外れだ、と内心嘆息をこぼし、騎乗したままサビヌスの立つ魔術部隊の下へと向かう。その時、この場に駆けつける途中で感じた不可解な冷気を、今度は頭上から感じた。
このままでは先程同様馬が暴れる。
そう考え、ルクセンティアはすぐさま馬の首を撫でてやり、声を掛けた。
馬の扱いに慣れない者たちの中には、抑えきれずに振り落とされた者もいるが、ルクセンティアの騎乗する馬は、日頃から乗り慣れた馬だ。信頼するルクセンティアからの言葉に、馬も僅かないななきと首を震わせた程度で、落ち着きを取り戻した。
既に馬を下りていたサビヌスも、遅れて冷気を感じ、咄嗟に頭上を見上げるが、当然そこに何があるわけでもない。強いて言うなら、途中僅かに視界が揺らいだ程度の違和感がある、その程度だった。
二度に渡る不可解な悪寒は、考えたところで分かるはずもなく、今は現状の把握が第一と、サビヌスは魔術部隊の部隊長の姿を探す。
「インテリウスかサピエヌスはいるか?」
「隊長は勇敢にも『ウツロ』に立ち向かい、戦死されました。副隊長は存命ではありますが、話せる状態になく、長くはもたないでしょう」
サビヌスの声に、陣列の中で頭一つ分ほど身長の高い男がのっそりと姿を現した。身体中の至る所に赤黒い液体を纏い、一部は既に凝固しているのか、ひび割れ、欠けている箇所もある。その塊がなんであるのかは、問わずとも分かった。
地に伏したままの遺体の数からも、かなりの激戦であったことが分かる。
「貴官は?」
「研究部所属のストゥディウムと申します、閣下。軍属ではないため、規律に疎く、無礼がありましてもご容赦ください」
「……貴君の協力に感謝する。サピエヌスは重傷なのか」
「左肩から先を失っており、治癒術士でも止血出来る傷ではなく」
「……そうか」
サビヌスは僅かに目を伏せる。悲しみの為ではない。まもなく訪れる死を前にした命を前に冥福を祈ったのだった。この先、落ち着いてその時間をとれるかどうか分からない。彼なりのせめてもの礼だった。
「戦局は?見る限り『ウツロ』は退いたように見えるが」
「……あれを『ウツロ』と呼んで良いのなら、彼らは確かに退きました」
ストゥディウムの物言いに引っ掛かりを覚えるが、サビヌスがそれを問うことを初めから期待するかのように思えた。
相手の手の平の上で会話をするような話の流れに、僅かに苛立ちを覚えながらも、事態を正確に把握するためには聞かざるを得ないのもまた事実だった。
「『ウツロ』と呼んで良いのなら、とはどういうことだ。貴君たちは『ウツロ』と戦い、それを撃退したのではないのか?」
ストゥディウムはサビヌスから視線を外し、その背後を見やる。
サビヌスがその視線を追って振り返ると、馬上からこちらを見下ろすルクセンティアの姿があった。
「皆さまが『ウツロ』と認識していたものは、我々との戦闘の後、兵を退きました。ですが、我々は一体何と戦わされていたのでしょうか。その点を皆さまと議論させていただきたく、選帝侯の皆さまを集め、報告の場をいただけないでしょうか。
閣下にお話をしたとしても、もう一度他の皆様に同じお話をすることになると思いますので」
視線を向けられたルクセンティアが剣呑な表情を浮かべる。
「名は?」
「ティトゥス・ストゥディウムと申します、閣下」
「平民風情が選帝侯を呼べと言うか」
『ベトゥセクラ』の国の流れを汲む者は、領地を所有する領主(貴族)は、個人名、氏族名、家名と三つ以上の名を持ち、領地を所有しないもの(平民)は、個人名と家名の二つの名を持つ。
そのため、正式に名乗る場合、三つの名を名乗ることで貴族は貴族と分かるようになっている。
ルクセンティアのように選帝侯にしか許されない家名を持つ者は、名乗りにおいても三つの名を名乗らないことで、より「上位」の貴族であることを示す事もあった。
ストゥディウムは二つの名しか名乗らなかった。そして、ストゥディウムという選帝侯はいない。そういうことだった。
「魔術士は、平民であっても一代限りの貴族特権を持っていると記憶しております」
「分を弁えよと言っている」
ルクセンティアは腰に佩いた剣を抜く。
「マグノリア侯」
ルクセンティアの動きにサビヌスが諫めるように声を掛けるが、それだけと言えばそれだけだった。
目の前の男が何を伝えようとしているのか興味はあるが、今は時期が悪かった。
ルクセンティアは直前まで皇帝に対して反旗を翻そうとしていた。『ウツロ』の出現で一旦うやむやにはなったが、それも、いざ駆けつけてみれば『ウツロ』は既に退いた後。
ルクセンティアとしては、振り上げた拳の落とす先が見当たらない状態だ。
今ここで下手を打てば、犠牲なく収まるはずだった内乱の火種に再び火が付きかねない。サビヌスとしてはここで事を荒立てることは望ましくなかった。
「ストゥディウム!」
剣を抜いたルクセンティアに怯える様子も見せず向き合うストゥディウムの服の裾を、駆けつけた魔術士の同僚が引っ張り、そのまま膝を折らせる。
「申し訳ございません!この者は常に理を優先する故、このような態度を。公平にして公正と名高いマグノリア侯であればと思っての行動故、どうかこの度はご容赦を」
駆けつけた者はストゥディウムと同じ魔術士隊の隊員のようだった。声と姿から女性のようにも見えたが、俯いた表情は長い髪に隠れて、サビヌスからははっきりと目にすることが出来ない。
「いや、俺は……」
「黙りなさい!」
その隊員は何かを言い募ろうとしたストゥディウムの頭を地面に叩きつけるように下げさせる。
「侯にはご不快を与え、申し訳ございません。
私はサビニア・ウェスパシア・サビヌス。オレアニア領ウェスパシアの娘でございます。この者、このように不敬を働く愚かな一面もありますが、我々魔術部隊の中では人望厚く、部隊長、副部隊長を失った今、この先の部隊の混乱を収める上で必要な人材。どうか平にご容赦を」
サビニアと名乗った隊員と、ストゥディウムの2名が地に伏す姿を、ルクセンティアは馬上から見下ろしている。
「マグノリア侯。まず私の方で報告を受けます。
『ウツロ』が退いたと言えど安心するにはまだ早く、侯も考えるところがおありでしょう。まずはお戻りになられては」
サビヌスは、ルクセンティアの拳の振り下ろす先、その矛先を一度ずらすことでこの場を収めることにした。
『ウツロ』の再侵攻をほのめかすことで、軍の維持の正当性を与える。マグノリア軍にはこのまま退いてもらうのが理想だが、実際『ウツロ』の再侵攻の可能性が残る以上、帝都を守る立場からすれば、兵は、特に魔術士は少しでも多いほうが良い。
ルクセンティアもこのまま軍を維持することを望むだろう。帝都の側で軍を維持できるならば、機会はまだある、そう考えるはずだ。
「……身を以て帝都を守り抜いた貴君らへの態度ではなかったな。サビニア殿はここにいるサビヌス殿の縁戚か」
「恐れながら」
「遠縁と、伺っております」
「……その名は帝都を守った者として、長く語り継がれるやも知れぬな
サビヌス殿。わが軍に南門外で陣を張らせるが構わぬな」
「是非に。後程食料などの物資を届けさせます」
「有り難くいただこう」
抜いた剣を鞘にしまうと、ルクセンティアは馬首を返し、連れてきた自軍の魔術士たちを連れ去っていった。
「……ストゥディウム、サビニア、両名は此度の戦の状況を報告せよ。
動けるものは戦で疲れているところ悪いが、部隊を分けて、交代で休憩をとりながら次のことを行え。その際には城内の待機していた部隊も私の命で全て連れ出して構わない。
まず、負傷した者たちを治癒術士の下へ連れていくこと。これが最優先だ。
次に命を落とした隊員たちの遺体を回収。
それが終わり次第、この戦で破損した建物の記録と、東門にかけての被害状況の確認。国民に被害が出ている場合には名前の記録も怠るな」
内乱が起きた時の戦後処理を思えば微々たるものかもしれないが、形あるものが壊れ、人の命が失われた以上、怠るわけにはいかない処理だった。
前話のサビニアの回想の中で
「ストゥディウムは領主の令息」
という描写がありますが、
本編中に記載の通り、
これはサビニアがそういう噂を聞いたという程度です。
サビニアはストゥディウムが
どの氏族、家名なのかを知りません。
そのため、マグノリア侯ルクセンティアに対しての弁明では
ストゥディウムが貴族であるという話をせず、
隊に必要な人物であると理由で助命を嘆願しています。
この時、自分の家名が役に立つという打算もありました。




