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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第五章 流れ落ちる水のように
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第五十七話 器は満たされた

 気づけば、フアンの足は地に着いていなかった。それどころか、周囲の景色は一変し、先ほどまで目前にいた『ウツロ』たちだけでなく、自分の後方にいたはずのレツ、エレノア、フェリ、そしてガイとアギィの気配もなくなっている。

 代わりに、フアンの眼下には、見知らぬ円卓が置かれているのが見えた。その側には金色の光を纏う黒髪の人物。そこから少し離れた場所にくすんだブロンドの髪の人物が見える。

 フアンと円卓の間は、大人三人分程度の高さの距離があるだけだったが、その途中には何か膜のようなものがあるのか、光は阻害され、円卓とその周りの景色はどこかぼやけて見えた。


 辺りを見渡せば、闇星と共に空に瞬く数多の星のような光が輝いて見える。そんな中、フアン自身は水の中に身体を預けているかのような浮遊感に包まれ、自身の重さを感じる事が出来なかった。


――なんだ?


 眼下の光景がなんであるのかも気になったが、皆はどうなったのか。『ウツロ』はどうなったのかも気がかりで、思考が定まらない。

 どうすればいいのか分からないまま、それでも円卓の側にいる誰かと会話すれば糸口でも見えるだろうかと体勢を変えようとした時、辺りの景色は割れるように崩れ去り、外側から差し込んだ光に、フアンは意識ごと呑み込まれた。




 光が収まると、フアンは再び宿の屋根の上に戻っていた。身体がそこに戻ったのか、意識がそこに戻ったのか。

 だが、先ほどまでそこにあったはずの『ウツロ』の姿が消えていたことから、同じ瞬間に戻ったわけではなさそうだった。


 光に包まれる直前、フアンが咄嗟に展開した円形の風の殻が突然たわむ。見れば、大通りを続けてやってきた新たな『ウツロ』達から放たれた風の矢が、風の殻を突き破るべく襲いかかってきていた。

 先ほどの『ウツロ』達がどこに姿を消したかは分からずとも、このままここに留まることが危険であることだけは理解できる。

 一度退くか、という考えと共に、後方に下がろうとしたその時、背後でガイの叫びが聞こえた。


「あそこだ!」


 振り返りガイの指さす方を見ると、十字路の向こう側に飛び移り、そこから更に西大路に降り立とうとしている少女と『ウツロ』の姿が見える。


「下へ!」


 目前に迫る『ウツロ』の群れもいる。フアンが叫ぶまでもなく、アギィはエレノアを抱え、ガイと共に屋根から飛び降りていた。レツとフェリも慌ててそれに続く。フアンは少しでも追撃の手を緩めさせるために、東大路の『ウツロ』たちに向けて風の矢をばらまいた後、南大路側に飛び降りた。

 飛び降りながら北大路に視線を向けると、北側では、大路と建物上の双方で魔術士たちと『ウツロ』の群れの間で戦闘が始まっていた。


「『ウツロ』たちが教会に……」


 アギィに抱えられて乱れた服を直しながら、エレノアが呟く。


「術士たちの大半は城に召集され、教会に人はほとんどいないはずだ」


 エレノアの不安を理解しているのか、ガイが即座に告げる。それを聞き、エレノアの表情は幾分和らいだが、この状況下では、心から安心できたとは言えなかった。


――上手くやる、何とかする、そう言っていたが、あれはどういう意味だ。


 そもそもなぜ『ウツロ』と会話できる、とガイは先ほどの黒髪の青年の動きを思い返す。


 突如現れ、『ウツロ』と会話をした人物。現れた時から既に3体の『ウツロ』を従えており、それらとは何らかの意思疎通が出来ているようにも見えた。

 『ウツロ』もまた、その人物を守るように動いている。

 何らかの手管で『ウツロ』を魅了したのか、それともまったく未知の手段で意思疎通をとることが可能なのか。

 あの短い時間と会話では、何かを推測するにも情報が少なすぎた。


 あの黒髪の人物を捕らえることが出来れば、これまで謎だった『ウツロ』の事が何かわかるかもしれない。そして、あの人物を捕らえるにあたり、側にいた『ウツロ』と渡り合えるのは、アギィとフアンでなければ難しいだろう。

 欲を言えば、フアンが自分よりも遥かに強いという「赤い牙」のアルという魔術士の傭兵がいれば良かったが、いつ現れるか分からない相手を待っていることは出来なかった。


「連中を追って教会に向かう。フアンくんも、いいな?」


 ガイの申し出にフアンも否はなかった。


――分からないことが多すぎる……。


 突然『ウツロ』と共に現れた少女。こことは異なる場所で、空に浮いたまま見下ろした円卓と二人の人物。少女と意思疎通を交わす『ウツロ』。少女を守ろうとする『ウツロ』。


 何もかもが分からないことだらけだったが、そのうち一部の答えを持っているであろう当事者たちが教会に居るのなら、ガイの申し出を拒む理由などなかった。


 それにこのままこの場に留まったとしても、フアンやアギィだけでは東大路の『ウツロ』の群れからレツやエレノアたちを守り切ることは難しいだろう。

 それならば、少数で行動を始めた『ウツロ』たちを追い、その行動を阻害するほうが、結果的に役に立てる可能性がある。


「はい。行きましょう」


 その声を合図に、彼らはアギィを先頭、フアンを殿として、『ウツロ』たちが姿を消した教会に向けて駆けだした。



△▼△▼△



「姿を消した神子は本物だったというわけか」


 サビヌスにつけていた従者から送られてきた報告を受け、カファティウスは地平の先に見える帝都の壁を見渡した。


 『ウツロ』発見から数時間が経過し、帝都南側に軍を展開していたマグノリア侯とメラヴィア侯は既に帝都に向けて進軍を開始しているという。

 『ウツロ』の群れの正確な数は不明とあったが、魔術士部隊だけで千を超えるマグノリア・メラヴィア連合軍を前に、無事ということはないだろう。

 到着するころには全てが終わっていた、ということも考えられた。


「騎馬隊は魔術士たちを乗せ、帝都を目指せ。それ以外の兵士たちは行軍のための縦隊を維持。速やかに帝都へ向かう。アンスイーゼン侯!」


 カファティウスの受けた報告は漏れなく皇帝シリウスにも届けられており、シリウスはその場で皇帝直属軍(クリペウスハスタ)の指揮官プブリウスと二言、三言言葉を交わすと、即座に指示を出し始めた。

 その指示の最後として、カファティウスの名を呼ばれる。カファティウスはシリウスの前に進み出るとその場に跪いた。


「そなたの「私兵」はそなたに任せる」


「御意」


「全軍出陣!」


 カファティウスの返答は聞かずとも分かっている、とでも言うように、シリウスはすぐさま身を翻すと、指揮杖を目前に振り、軍の進軍を指示した。

 カファティウスはその姿を目を細めて眺めると、一人軍列を離れる。

 向かう先は、『メルギニア』のどの軍にも属さない兵力。隣国『アストリア』の傭兵部隊「赤い牙」の下だった。

 帝都とマグノリア・メラヴィア連合軍、そして皇帝直属軍(クリペウスハスタ)が揃っている状態で『ウツロ』に負けることはない。ならばその後。本来カファティウスが敵と見据えていた相手に対して、どう有利に立ちまわるかを考え始める必要があった。



△▼△▼△



 十字路の一角を中心にした戦闘は熾烈を極めていた。

 建物の物陰からの奇襲攻撃が使えなくなった帝都防衛軍の魔術部隊は、東大路北側の建物の上から、東大路を進む『ウツロ』の群れをけん制しながら、十字路に軍を展開していく。


 魔術の扱いは帝国の中でも最高峰に位置する彼らではあったが、その彼らを以てしても『ウツロ』が放つ魔術に対抗することは困難を極めた。


 『ウツロ』が放つ風の矢一つをとっても、魔術士が放つ風の槍に相当するほどの重みがあり、獣の咆哮と共に放たれる風の槍は、何層にも重ねた風の盾を用いてなお、風の余波が魔術士たちを襲った。


 何より脅威であったのはその身体能力だ。

 人と変わらぬその姿は、一体一体が体術の達人であるかのように、魔術士たちが放った魔術を防ぐだけでなく、時には避け、一瞬で距離を詰め、仲間の命をその黒い身体で刈り取る。

 その身体から振り降ろされる黒い靄の腕は、さながら死を招く鎌の刃先にも見えた。


 『ウツロ』の十倍以上の兵数で陣列を展開していた魔術士たちも、時間の経過と共にその差は少しずつ縮まり始め、その差が縮小する早さは時を追うごとに加速していった。

 後方に展開する帝都防衛軍の弓部隊も、前衛である魔術士の数の減少と共に被害が増え始め、前衛で抑えきれなくなった後は、率先して攻撃対象となり始めていた。

 魔術士と違い、『ウツロ』を直接攻撃する術も、身を護る術も持たない弓兵たちは、『ウツロ』の黒い靄の波に次々と呑まれ始めると、やがて目の前に迫りくる黒い壁に恐怖し逃げ始めるものが現れた。

 そうなれば、瓦解は早かった。

 魔術士隊の後方を守る弓部隊は、僅かのうちに食い破られ、気づけば魔術士部隊は包囲殲滅の憂き目にあっていた。


 十字路の直ぐ脇にある教会の地の底から呻くように地が鳴いたのはその時だった。




 地が裂けるような音と共に、大地は小刻みに揺れ、砂が舞い上がる。

 十字路で命のやり取りをしていた人々は気づく余裕もなかったが、建物の陰に隠れていた人々は、建物の床下から、もっと言えば地の底から、足先に触れ、少しずつ這い上がってくる冷たい気配を感じ取っていた。

 それはまるで、この地に水が流れ込み、大地を呑み込んでいくようで、その冷たい感触は徐々に嵩を増していき、人々の膝を越え、腰を越え、胸元を越え、やがて、全身全てを包み込む。

 その感触は冷たさを感じさせるだけで、水のように浮力を得るでもなく、動くために抵抗を受けるでもなかった。強いてそれ以外の違和感を上げるとするならば、その冷たさに浸された場所からは、生きる温もりが抜け落ちていくような、そんな感触を感じるのだった。


 建物の陰に隠れていた人々がそうした感覚の違和感を覚えている頃、命のやり取りを行っていた外の人々は、まったく異なる違和感を感じていた。いや、目にしていた。


 それまで、ただの黒い靄であったはずの『ウツロ』たちが、彼らと同じ人の姿で、目の前に立っていたのだ。


 互いの姿に戸惑い、双方が距離を置き始めた頃、南門のある南大路から喊声と地を踏み均す轟音が波のように押し寄せてきていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 正体不明だったウツロの謎がいよいよ解明されそうですね。 この物語は細かな設定に凝っているように感じられますので、お話の内容と多くの登場人物たちがどこでどう交わり、収束していくのか今後も楽しみ…
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