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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第五章 流れ落ちる水のように
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第五十六話 重なる『ウツロ』たち

「君はそれで良くても、アンちゃんやシンちゃんたちはそれでいいのか?」


「戦うのは、僕とレツだけです」


 フアンがレツに視線を送ると、レツは何も言わずに頷く。

 レツはフアンほどに役に立つとは考えていなかったが、それでも、出来ることがあると知っている。


「二人は……」


「この場に残るぐらいなら、一緒に居たほうが良いでしょう」


 フアンの言葉を遮ったのはアギィだった。

 今から全力でこの場を離れるならば話は別だが、おそらくそうはなるまい。そうであるなら、どこに居ようと、危険は大して変わりはしなかった。


「隊長も大して役に立たないという点では同じです。何かの際には盾ぐらいにはなっていただきますから大丈夫です」


 アギィらしからぬ物言いにフアンは呆気に取られたが、ガイはそれがアギィなりの気遣いであることを理解した。


――役立たずは役に立てるうちに役に立つか


 外では遠くから喊声が聞こえ始めている。まだ戦闘が始まったわけではないだろうが、あまり猶予がないという点では変わらないだろう。


「……この場にいるものは店の者も含めて今すぐ街の南西に避難するよう。十字路近辺は戦場になる。まっすぐ西大路を抜けると、戦闘に巻き込まれるおそれがある。正面の南大路を横切った後は、一旦南に下って先道を西に行くんだ」


「何かを持ち出している余裕はありません。今すぐ避難してください」


 避難の引き伸ばしは危険ではあったが、今は内乱の最中。どこに間者がいるか分からないと、ガイはフアンたちとのやり取りの間も店内で不審な動きがないかを見ていたが、これ以上の引き伸ばしては守るべき民を逃がすことも出来ないと判断し、避難指示を出す。

 指示の中でアギィに視線を送ると、アギィも心得たもので、頷きを一つ返し、ガイの指示の内容をそのまま引継ぎ、外への誘導を始めた。

 その後の避難はブルータスたちに引き継ぎ、そのまま避難民と周囲の監視も任せる。『ウツロ』との争いでは戦力にならないなら、治安維持に回ってもらった方がガイの精神的にも助かった。

 


 ガイの意思を汲みとり、避難誘導を続けるアギィを横目に見ながら、ガイはフアンの前に立つ。


「協力感謝する。『ウツロ』との戦闘経験を持つ味方は貴重だからな」


「では、その経験を見込んで、話を聞いてもらってもいいでしょうか」


「……?」



△▼△▼△


 フアンたちは宿の屋根の上に伏せ、東大路を駆け抜けていく『ウツロ』の姿を見送る。正面から来る群れに少数で当たったところで押し負けるだけだ。それなら、正面から迎え撃つのは北大路に配置された魔術士達に任せ、撃ち漏らした『ウツロ』を後背から討つ。

 それは姑息な戦術かもしれなかったが、自分たちが生きる上では必要な戦術であり、また北大路に配置された軍を支援する上でも効果的な戦術だと考えた。

 群れとしてならば、個の強さは数の多さで押し勝てる。だが、個の力で見れば、『ウツロ』は一人一人の魔術士よりも優秀だ。「赤い牙」のアルほどではなくとも、それに近い身のこなしが可能となれば、普通の魔術士は接敵されてしまえば成す術もなく倒されるだろう。

 なぜなら魔術士は、魔術を扱う技術はあっても、体術を揮う力量はないのだから。


 だからこそ、個としての『ウツロ』が自由に動く前に仕留める必要があった。そして、その時機と動きを見極められることが出来るのは、個の『ウツロ』との戦闘経験を持つフアン達以外他にはいないと考えた。


 だが、フアン達だけでは火力として心許ないこともまた事実だった。魔術士2名ではどれだけ不意を打ったところで、一度に倒せるのは数体だ。それに対して、敵の数はその何十倍にもなる。最初の一撃は上手くいっても、そこで仕留めきれなければ、やはり身に危険が及ぶのは変わりなかった。


 ガイに頼んだのは、フアンたちのように別の確度から『ウツロ』の不意を打てる兵の配置だった。北大路に全ての火力を配置するのではなく、十字路の北東と北西の2か所にも何名かの魔術士を配置しておくことで、群れへの攻撃から免れ、通り以外の場所に逃れようとした『ウツロ』がいたとしても、確実に仕留め、個の力の発揮する暇を与えないことが目的だった。

 十字路の南西に配置するには、十字路を通って、南側に出る必要があり、結果『ウツロ』に視認される恐れがあったため、配置することが出来なかった。

 一方、フアン達は既に十字路の南側に位置していたことから、十字路の南東側、先ほどまで滞在していた宿の屋上に姿を移していたのだった。


 『ウツロ』が人をどう認識しているのか、これまでの戦闘経験だけでははっきりしなかった。生命を何らかの感覚器で察知しているなら、どこに隠れていても発見される恐れがあり、その場合、屋上にいるフアンたちは格好の餌食と見做されるだろう。

 視覚や聴覚だったとしても、彼らが獣である以上、人の何倍もの力を保有している恐れもあった。その場合でも、僅かな動きや振動から居場所が察知される恐れがあった。

 そのような状況下であったからこそ、まもなく十字路に『ウツロ』が差し掛かろうとしたその瞬間まで、フアンたちは生きた心地がしなかった。


 視界の端にその黒の靄を捉えてから、『ウツロ』が十字路に差し掛かるまでの僅かな時間、時間にして十秒ほどのその時間が、フアンには無限の時のようにも思えた。だが、当然その時間は有限であり、そして、唐突にその時は訪れた。


 轟っという音に僅かに遅れてどんっという巨大な破裂音が十字路を突き抜けた。


 無数の風が吹き抜ける事で押しのけられた空気が十字路をの両脇に立ち並ぶ建物の壁を揺らし、大きな鼓を叩くような音が鳴り響く。

 数瞬の後、十字路から失われた空気を補うように東西から流れ込んだ風が十字路の真ん中でぶつかり、竜巻となって砂を巻き上げる。

 次いで、その巻きあがる風に逆らうように、今度は十字路の上空から再び轟と音が駆け抜けた。降り注ぐのは無数の目には映らない風の槍。

 一本一本は矢程の細さの槍ではあったが、穂先は風を裂き、黒の靄を裂き、地に叩きつけられた。

 巻き上げられる砂で目がやられぬよう、袖で目をかばいやり過ごす。

 その風が収まりきる前に、フアンたちは屋根の上に立ち上がり、眼下を見下ろした。


 数十体いたはずの『ウツロ』の群れは、群れの後方にいた数体を残し、全て霧散したようだった。残った靄がその場を離れようと身を屈めた瞬間を狙い、フアンは四本の風の矢を放つ。足元と飛んだ先数か所に向けて。

 そのうちの一本が『ウツロ』の足を貫き、もう一本が胴を貫いた。

 その横では、アギィがもう一体の『ウツロ』を仕留め、通路を挟んだ北側の屋根の上からも魔術士たちが残った『ウツロ』目掛けて追撃の魔術を放っていた。


 残るは二体、と視線を移そうとした時、フアンの視界の端で何かがひらめき、フアンは考えるよりも早く風の盾をその方向に向けて展開する。

 だが、彼には何も起きなかった。代わりに、北側の屋根の上にいた魔術士三人が、言葉もなく、その場に倒れた。


 次の瞬間、今度こそフアンの目前を黒い影が過り、それは、フアンの間近に降り立った。


「盾を!」


 それは後方にいたアギィに向けてのものだったが、その言葉が通じたかどうかは分からなかった。言葉を発した瞬間、フアンは突然正面に現れた『ウツロ』が放った風の槍に吹き飛ばされそうになったからだ。

 直前に展開していた風の盾がなければ、今の攻撃で既に命はなかった。だが、あれほど高速に編まれた魔術で、十分な力を込める時間もなかったはずの『ウツロ』の槍は、たった一撃でフアンの盾を弾き飛ばしていた。


 咄嗟にバックステップをとりながら、風の刃を纏わせたナイフを投げる。目の前の『ウツロ』はそのフアンの動きよりも早く、フアンに向けて手を伸ばしかけ、それを咄嗟に引いた。

 一瞬前まで『ウツロ』の腕が伸びていた場所を風の矢が通り抜ける。

 それはアギィが放った風の矢だったが、フアンはそれを頭で理解する余裕もないままに、ナイフを纏った風の刃を投擲した。

 態勢を崩しながらのそれは右手で放った一本のみ。風の矢も、ナイフに纏わせた一の矢と追撃の二の矢が精一杯だった。

 その二つの矢を『ウツロ』は、引いた手を上に振り上げるだけで切り裂いた。

 どうやったのかは分からない。だが、何をやられたのかだけは理解できた。

 その一瞬で風の刃を指先に生み出し、風の矢を切り裂いたのだ。

 ナイフは『ウツロ』を傷つけることなくすり抜け、十字路の向こうの建物の壁に当たると、乾いた音を立てて地に落ちていく。

 これまでもフアンは2度、同格の『ウツロ』との戦闘経験があった。その2度と今、どちらが強いかは、条件が違うため一概には比べられなかったが、これまでの中で一番「死」を意識した相手であることだけは間違いなかった。


 即座に『ウツロ』に次の一手を打たれていれば、フアンはそこで終わっていただろう。だが、『ウツロ』はそこで何かに躊躇い、動きを止めた。『ウツロ』にも視覚があるとするなら、何かを見ているのだろうか。

 その表情に「目」を見つけることが出来ず、『ウツロ』の視線を読むことは出来ない。


 そうして睨み合ったのは数秒なのか、数十秒なのか。

 東大路の先から更なる『ウツロ』の群れが向かっているのが見えたフアンは、目の前の『ウツロ』を早く仕留めなければ群れに呑まれると、風の矢を半円上に放つ。『ウツロ』の後ろに屋根はなく、その先は東大路だ。横一線の矢を放てば、下がって降りるか、飛んで避けるかのいずれかしかない。そして、飛び上がればその時は格好の的だった。

 この『ウツロ』はそんな下手は打たない。フアンはなぜかそんな確信を持っていた。

 だが、『ウツロ』が採った行動は、フアンの想定したそのどちらでもなかった。放たれた風の矢は視えているとでも言うように、自らも風の矢を放ったかと思うと、フアンの矢とすれ違う瞬間に合わせて矢を破裂させ、フアンの風の矢を霧散させたのだ。

 咄嗟に風の盾を張るフアンのすぐ左脇を風の槍が、右脇を火の矢が通り抜けていき、目の前の『ウツロ』に襲い掛かったが、槍と火矢は『ウツロ』の後方から現れた別の『ウツロ』の手によって散らされた。


 フアンが視界に捉えた群れから数体が飛び出し、目の前の『ウツロ』と合流を図ったようだった。だが、驚くのは突如現れた三体の『ウツロ』の姿だけではなかった。

 それら三体の『ウツロ』共に現れた一人の人。


――人?


 その事実は僅か数歩の距離に『ウツロ』の姿があるにも関わらず、フアンの思考を止めるに十分な事態だった。

 三体の『ウツロ』に囲まれているというよりは、三体の『ウツロ』に守られるようにして屋根の上に立ったその人は、一見すると少女のような顔立ちにも見えた。長い黒髪は汗で濡れているのか、光星を反射して僅かに煌めいている。瞼に薄く蒼い線が入った切れ長の黒い瞳はこちらを見つめているようで、フアンの側の『ウツロ』を見つめているようにも見える。


「ミナカ」


 その少女は、透き通るような、しかし身体の内側に響くような声でそう告げた。その言葉がフアンたちに向けられたものでないことは、視線の先を見れば明らかだった。


「……くさび…あ……ても……かうよ。いざ……、……ち……に……てくれと……た」


――『ウツロ』と会話している。


 なぜ、と問い掛けたくても、その言葉は声にはならなかった。

 『ウツロ』四体を前にして感じる圧力から声が出ないのか、それとも、信じられない事実を前にして、言葉を忘れてしまったのか。そのどちらでもあるかもしれなかった。


 不意に目の前の『ウツロ』の圧が緩んだのを感じ、直後フアンの左脇から風の槍が放たれるが、『ウツロ』はそれを難なく風の槍で撃ち落とす。

 自分たちはいつでもフアンたちを倒せる、そうした余裕を見せるかのような動きにも見えた。


「……おそ…く、ひ……からみな……べつ……たいが……。……ここか……る」


「君は誰だ!なぜ『ウツロ』と共に行動している!」


 目前の少女と『ウツロ』から放たれる圧に動けないままのフアンとは異なり、後方でアギィと共にいたガイが少女に問いかける。

 少女は『ウツロ』に向けていた視線をガイに向ける。


「『楔さえ打てれば皆に退くように伝えてある。後は僕が上手くやる』」


「どういうことだ!」


 ガイは更に問いかけるが、少女は再び視線を『ウツロ』に向けてしまい、問い掛けが届いているのかどうか定かではない。

 少女らしき人物が隣の『ウツロ』と会話し、ガイの言葉に反応している間も、少女の背後にいる3体の『ウツロ』からはこちらを射貫くような視線を感じていた。

 『ウツロ』からの視線。少女と『ウツロ』の意識が逸れ、圧が緩むと同時に感じられるようになったそれはただ彼らの魔力(マナ)の流れを錯覚しただけなのかもしれない。

 それでも、その流れがフアンから外れ、レツに向かうのを感じた瞬間、そこに明確な殺意の意志を感じたフアンは、前方の『ウツロ』に向けて風の盾を維持しながら後方の『ウツロ』一体に向けて矢を放った。

 盾と、三体に守られるようにして立つ少女を避けて放ざるを得なかった矢は、射角の関係から、一番右端の一体の身体を一部傷つけるだけに留まる。


 だが、それでも効果はあったのか、フアンは『ウツロ』の視線がレツから再び自分に戻るの感じた。レツもまた、自らに意識が向けられそうになったことが分かったのか、弓を手にしたまま、身を低くする。『ウツロ』が四体いる今は、弓を構える事も難しくなっていた。


「僕が何とかする」


 少女のその言葉は誰に向けられたものだったのか。その言葉を合図にしたかのように、少女の隣に立つ『ウツロ』が腕を振った。腕の軌跡に合わせるようにして生み出された風の刃は、合わせるように放たれたアギィの風の槍が貫いた。その槍は刃を裂いても勢いが落ちることなく『ウツロ』に襲い掛かるが、『ウツロ』はその槍を振り抜いた腕とは異なるもう一つの腕から生み出した風の盾で易々と止める。


 身体の動きに合わせて自然に生み出される魔術は、体術を魔術を融合させて戦う「赤い牙」のアルを連想させた。

 触れればこちらの生命力を持っていかれることを考えれば、目の前の『ウツロ』はアル以上に脅威であるのかもしれない。


 だが、フアンたちにはこれ以上の猶予はなかった。時間を掛ければ掛けるほど、後方の群れが追いついてくる。目の前の『ウツロ』四体を討ち、一刻も早く一度この場を離れる必要があった。


「三、二」


 倒す手だての浮かばないままに『ウツロ』達の隙を窺っていると、目の前の少女が数を数え始める。


「一」


 数字と共にフアンの足元から背中を通り首筋に掛けて冷たい風が吹き抜ける。それは言葉に出来ない恐怖だった。

 その恐怖を振り切るように、フアンは手を目の前に突き出し、前面に風のドームを展開する。


「零」


 少女の言葉と共に、風が止まり、時が止まった。

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― 新着の感想 ―
[一言]  繋がった世界、知り得た事実。  でもだからこそ、言葉が出ません。  4章での彼の言葉の重みが、今になってわかるようです。
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