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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第五章 流れ落ちる水のように
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第五十五話 「戦うためにここに来た」

「大臣閣下から支援要請を受けた「赤い牙」がどうなったか、ご存じでしょうか」


 フアンは皇城への招きから話を逸らすために、先日サビヌスから聞いた「赤い牙」の去就を振ってみる。

 結論の先延ばしに過ぎないことは分かっていたが、この状況において自分たちがどの立場にいるべきか、もう少し情報を得た上で判断をしたかったのも事実だった。

 『アストリア』傭兵ギルドの一員としてか。

 『アストリア』『メルギニア』の枠を超えた、傭兵ギルドの一員としてか。

 『メルギニア』帝国軍の協力者としてか。


 『メルギニア』帝国軍の協力者として振舞えば、万が一帝都に攻め込まれたとき、フアンたちもまた争いの渦中から抜け出すことは出来ないだろう。「赤い牙」のような戦闘要員を多数抱えた集団でもない少人数のフアンたちでは、渦に呑まれれば抜け出す術も、生き残る術も無いに等しい。

 それは、ただの傭兵ギルドの一員として振舞った場合も同じと言える。『メルギニア』の傭兵ギルドの長であるクライブは、この内乱では国に付くことを決めたと言っていた。内乱の首謀者の目的が帝都制圧なら、『メルギニア』の傭兵ギルドそのものが蹂躙される恐れは少ないかもしれないが、それでも戦が始まれば、知らない顔は難しいだろう。

 『アストリア』傭兵ギルドとの関係性を良好を保つために、クライブならば「知らない顔」も許容する可能性はあるが。

 そして『アストリア』傭兵ギルドの一員として振舞った場合。この地にはフアン達を助ける基盤はない。帝都決戦が始まった時、彼らを守るものは何もないのだ。言い換えれば、彼らが守るべきものも何もなく、それゆえ、見逃される可能性も高かった。

 ただの旅人であるのなら、無闇に命を奪われる恐れも低い……と思いたかった。戦争なのだ。確率が低いだけで、可能性は零ではないことは理解していた。


 「赤い牙」が無事であるなら、機を見て「赤い牙」と合流を図るという選択肢がある。

 そのためにはこの帝都から抜け出す必要があるのだが、街中にいれば可能性はあっても、皇城に入ってしまえば確実に叶わないだろう。

 「赤い牙」が無事でないなら、戦況は厳しいと考えられる。それを素直にガイが語るとは思えないが、彼の語り口から引き出すしかない。

 戦況が厳しいとなれば、いよいよ皇城に入るわけにはいかなかった。


――皇城から逃げる理由ばかり考えてるな。


 そこまで思考を巡らせて、自分の考えが偏っていると苦笑いする。とは言え、傭兵ギルドの下っ端である自分が、帝国でも頂点の集団に位置する帝都防衛長官の庇護を受けるというのは、どうしても素直に受け入れがたい事実だった。


 フアンの逡巡を知ってか知らずか、ガイは事も無げに「無事だ」と返す。


「機密に関わるからな。こんな公の場で話せることはほとんどないが、無事だ、とだけは答えてやれる」


 問うてから返されるまで、ガイに悩む素振りは見えなかった。予め決めていた回答か、それが事実か、今のフアンではそこまで読み取ることは出来ない。


「ここに居れば会えるでしょうか?」


 何を言ってこの場を凌ごうか、と考えていたフアンの横から、フェリがガイに問い掛けた。

 周辺の状況、「赤い牙」の置かれた現状を知る上で、それは都合のいい質問だった。

 フェリの口から出た事もまた都合が良かった。

 フェリならば、ガイも警戒しないはず、と考えるのは甘いだろうか。


 ガイがフェリに顔を向け、逆光で影に隠れていた表情が僅かだが目に映るようになる。穏やかな表情を浮かべながら、瞳の奥は笑わないままで、普段フェリやエレノアと話をする時の笑顔とはどこか違ってみえた。


「外の騒ぎが収まれば、そう遠くないうちに会えるだろう」


 それはフェリの期待に沿う回答であったかもしれないが、フアンにとっては酷く曖昧な回答でもあった。


「……そうですか。良かったですね、シン」


「……え?どうして私に振るの?」


 突然声を掛けられたエレノアは、本当に予想していなかったらしく、最初話しかけられた事も気づかず、皆の視線を感じて初めて、自分に声を掛けられたことに気づいたようだった。

 そもそも、今、自分が「シン」であるという切り替えも出来ていなかったのかもしれない。


「「赤い牙」の皆さんのご無事をずっと気にされていましたから」


「あ……あぁ。そういうこと。うん。そうだね。ありがとう、フ……アン」


「……呼んだ?」


「呼んでない!ちょっと間違えただけでしょ」


 未だ切り替えきれてないのか、エレノアは危うく、フェリの名を呼びかけて「アン」と呼び直した。それを、フアンが咄嗟に拾い、エレノアも自らの間違いでようやく気持ちが切り替わったのか、直ぐにフアンの返しに「乗った」。


「私が心配したところで、それ以上何も出来ることはないって思って諦めてたから、アンみたいなこと、考え付きもしなかった。ダメね」


「シンはすぐに自分で抱え込みますから」


 苦笑いするシン(エレノア)アン(フェリ)は僅かに笑みを浮かべて見つめる。

 その二人の様子を、ガイは娘を見る父親のような眼差しで見つめていた。だがそれも僅かのことで、フアンを振り向くと「で?」と問い掛ける。


 どうやら話題を逸らすことが出来るのもここまでのようだった。


 「赤い牙」の生存の可能性を見極めることは出来なかった。

 遠からず再会が叶う、つまり近隣に「赤い牙」は存在する、それをこの場で発言する意味は二つ。一つは事実としてフアンたちに伝えることを目的とした場合。一つは、この場にいるかもしれない皇弟派の|間者に向けて、帝都の近くに別の兵力が潜んでいると誤認させることを目的とした場合。

 皇弟派からすれば、帝都の兵と戦っている最中に、背後を突かれる恐れがあるなら、帝都に全兵力を向けることが出来なくなる。すなわち、帝都が長く攻防に耐えられるようになるということだった。


 ガイの申し出を断れば、折角築いた協力体制を無下にする可能性がある。

 だが受け入れれば、内乱の渦に呑まれ、抜け出せない恐れがある。

 どちらと答えるべきなのか。


「……申し訳ありませんが」


「隊長!北大路に兵が展開されてる」


 フアンの言葉に被さるようにして、酒場の入口から男の叫び声が響いた。店には、彼らを除けば二組ほどしか客は座っていなかったが、その全員が、声に釣られて「何事か」と入口を見た。


「……聞いてないぞ」


「今、マルクスに確認に行かせてる」


 ガイの隊の隊員であるブルートの報告を聞き、ガイは僅かに何かを考えると、フアンたちを一瞥し、「君たちはそのままここに居てくれ」とだけ告げる。

 そして店内を見渡し、腰に佩いた剣を鞘ごと掲げる。


「私は帝都防衛隊のガイウスだ。外で何が動きがあったようだが、今隊員の者に確認に行かせている。不用意に動かないように。不審な動きをしたものは、悪いが容赦なく斬る。

 外の状況が確認取れ次第、追って指示を出す。それまではその場で座って待っていてもらいたい」


「戦が始まったのか!」


 店にいた客の一人が、ガイに声を掛ける。


「それを確認させている」


「ここは大丈夫なんだろうな」


「そうであるように努めるのが我々の役目だ」


 客は数名しかいないかったが、それぞれが好き勝手に不安を口にし、その一つ一つにガイは誠実に答えていた。

 恐怖と混乱で統率が取れなくなることほど恐ろしいものはない。また、意図的に混乱を演じ、煽ることで更なる混乱を招く事を目的するものがいるならば、それは早期に叩き潰しておかなければならなかった。

 ガイ達が守るべきは帝都であり、そこに住む人々なのだ。

 いずれかではない。いずれもだった。


 そうしている間に、確認を終えたのか、入口からもう一人男が飛び込んできた。


「報告します!東門から『ウツロ』の大群が襲来するとのこと。

 東大路に向けての展開は間に合わないため、北大路で迎え撃つ、と」


「魔術士部隊だけか!?」


「多量の火矢を媒介に『ウツロ』の群れに火の雨の魔術を撃つため、常備軍も後方に」


 ガイはそこまで報告を受けると、鞘をどんと床に叩きつけると、左手で口を覆った。

 視線の先にはフアン達が映る。


 自分たちだけで原隊に戻るべきか、フアン達を連れ原隊に戻るか、それとも、フアン達と共に別動隊として迎え撃つか。


 フアン達を連れて原隊に戻ったところで、フアン達の力を十全に発揮することは出来ないだろう。むしろ、隊として統率の執れないものを組み込んでも邪魔になるだけだった。

 では、自分たちだけで原隊に戻るか。『ウツロ』は東から来る。原隊は北大路で迎え撃つ。ならば、十字路の南東に位置するこの宿は、『ウツロ』の群れに呑まれるだろう。フアン達の無事は保証できない。

 ならば、フアンたちと僅かな手勢で迎え撃つのか……。


「ガイさん」


 額に深い皺を刻み、目を細めていたガイを見て、フアンはそう声を掛けた。


「僕も……戦います。そのために、ここに来たんです」

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― 新着の感想 ―
[良い点]  ガイウスはある意味正直ではありますよね。真意は読ませないとしても。  そういうところはなんとなくフアンくんもわかってるような。 [一言]  フアンくん…。  とうとう、ですね…。
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