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虚空の底の子どもたち  作者: 日浦海里
第五章 流れ落ちる水のように
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第五十四話 獅子は吠え、鷲が舞い、獣は蹂躙する

「で、サビヌス様の回答を待つって理由でメラノに拘束されているうちに、弟君の宣戦布告文が通知されて、帝都からの出入り制限がかかって、今に至る、と」


 食事を終えたレツが、テーブルの上に突っ伏す。

 皇弟からの宣戦布告文が届けられたのが土の央神節三十(三月三十日)。その時から、帝都メラノでは戒厳令が敷かれ、防衛長官の許可なく帝都への出入りをすることは禁じられる事となった。


 それでも、商業の流通についてはある程度許容されているのか、物流が止まり、物価が上がるといった混乱は未だ見られていない。

 出入りの規制から未だ二つ陽()しか経過していないことも理由であるのかもしれない。

 これが長期化すれば、人々の不安や不満も高まる恐れがあるが、政府からはここ幾つ陽()のうちに沈静化するだろう、という通達も出されていた。


 このような状況下では、『アストリア』のギルドからの連絡鳥を受けることも、また送ることも叶わず、自分の意志で情報を得ることが出来ていた事がどれだけ重要であり、それが適わないことが自分にとってどれほど不満であるのか、フアンは改めて感じていた。


 それでも、得られた情報から何か新しい気づきはないか、と人通りを眺めながら思考を巡らせていると、食堂の入り口に幾人かの人影が見えた。

 外出を要する職業に就いているものを除けば、基本的には自宅での待機が義務付けられているため、この時間に出歩いているものは主に傭兵ギルドや商人ギルドに属するものになる。

 光を背に、影だけで表情は見えなかったが、その体格と格好から、おそらく傭兵だろうというあたりはついた。


「やっぱりここか」


 そんな推測も、影が発した第一声を聞けば、答えがすぐに分かってしまった。

 

 どうやら思考することに飢えているらしい。


 あまりにもあっさりと判明した答えにがっかりしている自分に気づき、フアンは思わず苦笑いを浮かべる。

 食堂に入ってきたのは、ガイだった。その後ろにいるのは、おそらくアギィやブルート達であろう。

 サビヌスとの会談が終わった後、彼らはそのままサビヌス付の本来の役割に戻ったのか、顔を合わせるのは、会談の時以来のことだった。


「宿とギルドを除けば、他に行くところもありませんから」


 逆光で表情が見えないから、というわけではないが、フアンが声の主に対してそう返す。

 ガイは「違いない」と答えると、フアン達の座る円卓の上に手を置いた。


「南門側、リシリア平原(帝都メラノの南側に広がる平野)の方角に獅子の紋章旗と鷲の紋章旗が展開している」


「マグノリア軍とメラヴィア軍……」


 獅子と鷲の紋章旗はそれぞれ、マグノリア領、メラヴィア領の紋章旗であり、それらは、『マグノリア』王国、『メラヴィア』王国時代の国旗でもある。

 またそれら三国が『ポートガス』王国として統合された時の国旗は、『ロイス』王国の国旗である狼の紋章旗を合わせた三つの獣がそれぞれ向き合う形をしていたと言う。

 それらは、三つの霊獣によって一つの国を守護する姿とされたが、一方で、一つの国を三つの勢力がけん制し合う姿だと揶揄されることもあったと聞く。


 帝都メラノの西に位置する二つの領が、西側からではなく、『スウォード内海』に面したケヴィイナ領のある南側から来る。

 それは、フアン達が事前に収集していた情報の通りケヴィイナ領が皇弟派についた事の証だった。だがその情報は『メルギニア』の傭兵ギルドを通じ、ちゃんと国に伝わっていたようで、目の前のガイ達にはその事実に対する焦りが見られなかった。


「皇弟軍がケヴィイナ領を通って来ることは、ある程度予測が出来ていたらしいが、ギルドの情報はその裏付けとなり、対策も打ちやすくなった。サビヌス様は、君達には改めて感謝を伝える場を設けたい、と仰っていた」


 それは遠慮したい、と言葉に出来るはずもなく、フアンは「光栄です」とだけ返す。

 だが、フアンが人見知りであることを知っているガイは、フアンの顔が僅かに引き攣ったのを見逃すはずもなく、苦笑いを浮かべた。


「既に皇弟軍も南側に陣の展開を終えたと聞く。だが、喊声が聞こえてこないということは、未だ閣下とマグノリア侯の間で交渉が成されているということだろう」


「……それで?」


 最初にその話を持ち掛けてきたということは、フアンたちが待ち望んでいた、『メルギニア』との協力関係に関する回答とは違う話をしに来たのだろう。

 まもなく開戦となるなら、軍の兵士がこんなところで雑談することを許容されるはずもない。


「もしも宮殿内に保護されることを望むのならお連れしろ、とのことだ」


 むしろ、状況次第ではそここそが最前線になるのでは、と思ったが、やはり言葉にすることの出来ないフアンだった。


△▼△▼△


「北東からバトロイト侯の軍勢が、西からは皇帝直轄軍(クリペウスハスタ)とロイス侯の軍、そしてケヴィイナ侯の軍がまもなく到着するでしょう。

 戦わずとも大勢は決しています。同胞の血を無駄に流すべきではない。今矛を収めていただければ、これはあくまで『ウツロ』討伐を目的とした行軍として扱う、と陛下は仰せです」


 フアンがガイ達と会話を交わしている正にその時、帝都メラノの南門から数百メートルほど離れた場所で、サビヌスはマグノリア侯ルクセンティア、メラヴィア侯シューブリンと対峙していた。

 サビヌスの下には、一つ陽前(昨日)の内に、三つ陽()前に行われたカリヤ湖の会戦で、ロイス侯の軍勢が皇帝軍に降ったという報が届いていた。

 状況は、サビヌスが述べた通りであり、皇帝が今回の進軍の件を不問に帰すという指示も、この戦の前から下された命に従っているだけだ。


 そのサビヌスの言葉を、ルクセンティアは冷ややかに受け止めていた。


 ケヴィイナ侯の裏切りをなぜ皇帝が知り得たのか、ルクセンティアに知る術はない。ケヴィイナ侯が、裏切りの態度を見せながら最初から皇帝派であったという可能性から、自陣に潜んでいた皇帝の間者に悟られた可能性まで、彼の知り得る情報から考えられる可能性は幾重もある。


 正解は、皇妹メテオラの情報提供をきっかけに、カファティウスが最悪の筋書きを想定し、予めクレーベ侯を通してケヴィイナ侯に手を回したからなのだが、それをルクセンティアが予測することは困難であっただろう。


 しかし、ルクセンティアとてすべてがうまくいくと考えていたわけではない。彼も最悪の筋書きとして、ケヴィイナ侯が皇弟派のふりをしてこちらに近づき、ルクセンティアたちを引き込んだ上で裏切る可能性は考えていた。その場合、逃げ場のない海上で迎え撃たれるであろう、そこまでは覚悟の上だった。

 海上で迎え撃たれることなく、またケヴィイナ領をなんの障害もなく通過できたことから、ケヴィイナ侯の裏切りはないと考えていたのだが、まさか帝都を目前にしてそれを知らされるとは思っていなかった。だが、それもサビヌスの言葉を聞いて納得した。


――戦場に立って尚これか。


 裏切り者を許すなど、先帝ペテルギウスや、更に先代のアルニウムならばあり得ない事だろう。そもそも話し合いの場など設けるまでもなく、既に自身の首と胴は永遠の別れを迎えていたに違いない。

 ルクセンティアはこの戦を始めた時から、いつ死しても構わないという覚悟を持っていた。その結果、一族を巻き込むことになることもまた承知の上。それは彼の娘のメイサも同様であったであろう。覚悟と言っても、「あれ」は自らの身に不幸が降りかかるとは信じていないであろうが。


「陛下の温情、痛み入る。だが、サビヌス殿。貴殿は何か勘違いをしている」


 この場で拘束され、刑場に連れ出されるならば従いもしたであろう。

 だが、今ならば不問とする、と皇帝は言う。それは彼にとって死よりも屈辱的な罰であるということを理解できぬからこその言葉であったのだろう。だが、知らなかったからなんだと言うのか。

 受け入れられぬものは受け入れられぬ。

 そして、受け入れられぬならば抗うしかないのだ。


「私は自らの地位の安泰を求めているわけではない」


 ルクセンティアは腰に()いた小剣に手をかけ、ゆっくりと抜いた。それを見たサビヌスの従者も同様に剣を抜く。

 突然の事にシューブリンはルクセンティアを見るが、ルクセンティアは彼に一瞥を与えることもなく、サビヌスの前に剣先を突きつける。


「私は従わせる力を欲したのだ!誰に(へつら)うでもない、ただ己が道を征くために必要な力を」


 ルクセンティアの突き出した剣先を見つめた後、サビヌスはルクセンティアの目を見る。

 そこに狂気の光はない。

 ならば、これは彼の真意なのだろう。変わることのない。


「なぜ、そこまで力を望むのですか」


 それはサビヌスにとって純粋な疑問だった。


 狂気に侵されているのでなければ、彼はここで自らを殺すことはないだろう。ここでサビヌスを殺したところで、指導者を失った帝都の防衛軍は機能を失うわけではない。

 むしろ、選帝侯に対する敬意を表し、自ら足を向けた指導者(サビヌス)を殺したルクセンティアに対する激しい憎悪から、最後の一兵になるまで戦い続ける恐れまである。

 正気のルクセンティアならば、そのような効率の悪いことを行うことはない。


 だからこそ、サビヌスは冷静なまま疑問を口に出来た。


「一度手にしかかったものが目前で零れ落ちた時、やけに惜しく感じるであろう」


「……それは、そうですが」


 だが、ルクセンティアがそれだけを理由に一族すべてを巻き込み、滅びの道を選ぶだろうか。

 サビヌスの思いは顔に表れていたのか。ルクセンティアは僅かに笑みをこぼす。


「そういうことにしておくが良い。これ以上の言葉は必要ない」


 その笑みは自嘲であったのかもしれない。

 ルクセンティアの言葉を聞きサビヌスはそう思った。彼は手を上げ、従者に剣を引かせると、ルクセンティアに一礼をする。


「残念です」


「互い……に」


 サビヌスに向けた剣先を鞘に収めたルクセンティアは、言葉の途中で視線をサビヌスから外し、その遥か後方に向けた。

 その視線の先では、閉ざされていたはずの南門が開かれ、一頭の馬に乗った兵士が駆けてくる姿が見える。

 その数が一頭だけであることから、サビヌス達による奇襲である可能性はない。

 であれば、至急の伝令と考えられるが、今この時に、この会談の場に駆けつけるほどの報とは何か、自らの胸の内に渦巻く複雑な感情とは別に、純粋な好奇心が彼の視線を止める。


 ルクセンティアの様子に違和感を感じたサビヌスは、その視線の先を追い違和感の正体を知る。彼もまた、ルクセンティア同様、今この状況下において駆けつける至急の報が何かを想像することが出来なかった。


「伝令!」


 会談の場で到着を待つことにしたサビヌスの前に、馬から転げ落ちるように降りた伝令が駆けつ、その場にひざまずく。


「何事か」


「東より百を超える『ウツロ』の群れが出現。バトロイト領よりこちらへ行軍中のバトロイト侯が、帝都東にてこれと当たりましたが、敗走。『ウツロ』はしばらくの間その場に留まっておりましたが、現在は帝都東門を目指しております」


「まさか……」


「……予言は本当だったのか」


 サビヌスとルクセンティア、共に思い浮かべた事は同じであったが、言葉としては形を変え。


「マグノリア侯!」


「このような形で帝都を灰燼にするつもりはない」


 『ウツロ』が滅ぼした事にすればいいとは考えていたが、『ウツロ』に滅ぼされていいなどと、ルクセンティアは考えていなかった。

 その結果、天地崩壊が起きようものなら、治めるべき国は失われるのだ。

 帝都は『ウツロ』と共に滅びた。そして、ルクセンティアがその『ウツロ』を滅ぼした。「神子」の予言通りに。

 そうでなければならない。背後に女神の意志があるのなら、『メルギニア』という国は自らの後ろについてくるのだから。

 ルクセンティアは振り向くと、背後に控える従者に伝令の指示を与える。


「全軍に通達。これより帝都に侵入した『ウツロ』を討伐のため、全軍進軍せよ」


「帝都に戻る。馬を借りるぞ」


 サビヌスとルクセンティアはそれ以上互いに声を掛けることもなく背を向けると、それぞれの率いる軍が控える陣地に向かって走り去った。

 抱えるものは違っていても、今戦うべきものは同じであることを二人は語らずとも分かっていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  シリウスが前皇帝のように振る舞っていれば。  サビヌスがここへ来ていなければ。  そう考えると本当に、紙一重で。 [気になる点]  ファブリツ。良い落とし所があったのでしょうか。 [一…
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