第四話 平穏の境目
「とりあえずここまでは痕跡なしか」
「ここまではギルドからもらった情報から推察した通りですね」
「俺はここまで来るなんて話、フアンから聞いてなかったけどな」
デイルが周辺を見渡しながら呟いた言葉にフアンが返すと、後ろで聞いていたレツがぼやくように続けた。フアンがレツに対して手を合わせて謝る様子に、デイルは笑みをこぼす。
『ゲラルーシ山脈』は世界を突く屋根という別称を持ち、『アストリア』と『メルギニア』を結ぶ陸地の大半を塞ぐ形で聳えているが、今回、商隊が進む街道は、そんな山々の隙間を縫うように続く谷間であったり、村を構えることが出来るほどの平たい台地、高原と呼べる場所を繋いで作られていた。
この街道を使わず隣国に向かうためには、もう一つ、『アストリア』南西部に位置する『母なる海』の海岸沿いを抜ける経路も存在する。しかし、こちらは往復の旅程が1分神節(この世界における1か月の意)以上変わること、現在は気候が安定している季節であることから、『ゲラルーシ山脈』越えの経路が選択されている。
山脈が雪と風に閉ざされる水の神節辺りならば、命の危険を顧みないほどの緊急性でもない限り海岸沿いの経路を選択することになる。
デイルは、レツとフアン、二人の少年たちの情報を基に、身を潜めるルートを選びながら、山脈の峠、国境に当たる部分を見下ろす岩場の上に立っていた。
――俺も斥候としてここまで来ることになるとは思わなかったよ
眼下には小規模ながらも峠を塞ぐ形で砦が建てられており、少し先に視線を移せば、同程度の規模の砦がもう一つ建てられているのが見える。
デイルから見て奥に『アストリア』の砦があり、手前が『メルギニア』の砦だ。そしてその狭間は緩衝地帯になっている。
両国が不可侵条約を結んだ後、互いの国の内患から身を守るために建てられた、と建前上はなっている。
「お前たち、傭兵の俺たちよりも怖いもの知らずなんじゃないか?」
「……あそこで引き返しても、斥候の任務は果たせないですから」
ここ幾つ陽か行動を共にし、デイルはレツとフアンの二人が斥候としてはまずまずの力量を持っていると感じていた。
レツとフアンは、共にゲラルーシの麓のベアド村の出身だと言い、この辺りの地理に詳しい、という点に関しては最初からあまり疑っていなかったが、彼の想像を越えて、二人はこの辺りの地形に精通していた、というのがデイルの本音だった。
聞けば、レツの父親の仕事が狩人であり、度々、父親の仕事について狩りの付き添いをしていたという。
そのため、抜け道や獲物を見つけるための高台、潜伏に適した場所などにかなり詳しかった。
だが、国境の抜け道を知っていることは予想外だった。
デイルは今、メルギニア国境内に立っていた。
「この抜け道のことは、赤い牙の人達にも内緒にしててくださいよ。ってか、フアンが行くとか言うからだよ。親父にバレたら殺されるよ、俺」
「ごめん、レツ。でも、どうしても峠を抜けた先、土地が開ける場所までの安全は確認しておきたくて」
フアンがここまで慎重になっている理由についてはデイルもここまでの道中で聞かされていた。
だからこそ、今、この場所に立っていると言っても良かった。
――傭兵家業なんてやってると、平和とは縁遠い生活だからな。自分はぬるま湯に浸かっていないと思っていたが、まだまだ俺の浸かっていた湯は温かったらしい。
『アストリア』は北の『キシリア』が不穏な動きをしている今、『メルギニア』と事を構えたくない。現在も不可侵条約を結んでいるとは言え、より強固な関係を結んでおきたい。そして、『メルギニア』もまた同様に考えている。
今回の取引は関係性を強固にするためのものという意味合いが強い。
ここまでが、表向きの話だ。
しかし、『メルギニア』が『アストリア』侵攻の機を窺っていたら。
この話を聞いたとき、デイルは笑い飛ばそうとして、笑い飛ばせない自分に気付いた。
『キシリア』の動きが不穏とはいえ、それも噂話程度だし、隣国との関係も良好だ。傭兵という職に就いているとはいえ、これまでの仕事は、獣の討伐、他国の潜入調査、紛争地域での戦力支援と国家間の戦争に絡むような仕事はなかった。これからも、少なくとも自分が現役の間は、そんな物騒な話はないだろう、そう考えていた。そう考えようとしていた。
現実から目を逸らしていた、と言っても良い。自分は荒れる海の中でも平気な大船に乗っていると思っていた。だが、その大船も、誰かが船底に穴を開ければ沈むだろうし、より大きな船にぶつけられれば転覆することもあると気づいたのだ。
「山脈の麓まで行かずとも、ある程度拓けた場所までの安全が確認できれば、とりあえずは大丈夫と考えてるのか?」
「はい。国内については、商隊に先立って、辺境騎士団の方々が露払いとして街道を回ってくださったそうです。実際、国境を越えるまでの間にも、危険らしい危険は見つかりませんでした」
先日の轍の正体については、ギルドから「それは辺境騎士団のものだ」、という返答が来ていた。もともと辺境騎士団の巡回経路はある程度各騎士団の団長の裁量に任されているらしく、国もギルドも事前にすべての詳細を把握できるわけではないらしい。
今回もそうした経緯で後から判明した事実だった。
国内の不穏分子としても、辺境騎士団の動きに気付けば、容易には動けない。国内の安全はこれでおおよそ保証されていた。
「『メルギニア』と『アストリア』の間で貿易を行う商隊は以前からいますが、これまで大きな被害があった、という話はあまり聞きません。
『アストリア』同様、治安が維持されている証拠です。そう考えると、目立つ場所で襲われる可能性は少ないと考えました。万が一そんな場所で、僕たちが勝てないほどの戦力を展開できるとするなら、その時は最初から『メルギニア』が『アストリア』に戦争を仕掛けるつもりで部隊を準備しているときです。
でも、そんなやり方、彼らには大義名分が立ちません。逆に『アストリア』に大義が出来て、『メルギニア』は他国から挟撃される恐れを高めるだけです」
「だから、商隊を賊に襲わせて、取引の品々を奪わせ、『メルギニア』は『アストリア』に対して取引の不履行だ、と難癖をつける、か」
「まともな政治家がいれば、こんな事、考えないとは思うんですけど、自国のお偉い方々の考えてることすら、僕たちには分からないんですから、他国の事情なんてもっとわからない。なら、僕たちは自分の身を守るために出来ることをするしかないです」
斥候として共に行動を始めた当初は、デイルと目を合わせるどころか、何も言葉を返せなかったフアンだったが、幾陽(数日)か寝食を共にすることで、少しはデイルに慣れ、今では事務的な会話の受け答えぐらいは可能になっていた。
――目線は未だ合わせられないようだがな
頑なにこちらを見ようとしないフアンの姿に苦笑いを浮かべながらも、デイルは出来のいい弟分が出来たような気持ちでいた。




