第四十九話 突破
2023/04/13
ムスヒからイザキへの報告について表現を一部修正。
物語の流れや内容そのものに変更はありません。
進軍を開始して早々に後方でざわめきが起きていることに気づいたイザキは、ナキサに声を掛け、何が起きているのかを確認させようと振り向き、その必要がないことを知った。
「ムスヒ隊長」
どこからか聞えてきたその声の内容がざわめきの原因であると推測することは容易かった。いや、もはや推測ですらなく、それは確定事項と言っても良かったであろう。
本来いるべきではない味方がいるとなれば、しかもそれが「軍」ではなく、ただ一人であるというなら、誰もが「何事かあったのか」、と思っても仕方あるまい。
本来であれば隊のざわめきを叱責した上で軍事行動を継続すべきところであったが、その名が「ムスヒ」であった事から、イザキは全軍にその場で停止するよう指示を飛ばした。
ムスヒは今頃、自らが単独で潜入可能とした遠征地に楔の封印に向かっているはずだった。
それがこの場に居るということは、作戦に何か問題があったのか、作戦を中断してでもこの場に駆けつけなければならない事態が起きたのか、その両方かであろう。
そして、本作戦に限って言えば、ムスヒの言動は非常に重要な意味合いを持つことが多かった。一分一秒を争う局面でもない。隊を停止させる事を躊躇う理由はどこにもなかった。
ムスヒがイザキの前に姿を現わすまではさほど時間を要さなかった。
かなりの長距離を駆けてきたのか、足を止めてイザキの前に立ったムスヒの額には多量の雫が浮かび上がり、背中まで掛かるその黒髪もしっとりと重みを持った色をしていた。
それでも、イザキの前では息が切れたまま何も話せなくなるという醜態を晒さぬよう手前から息を整えていたのか、踵を揃え、右手を左胸に沿えた礼を取った後は、何事もないように語り始めた。
「先の戦闘、お見事でした」
「御託はいい。現在貴様は別作戦行動中だったと認識しているが、この場に駆けつけた理由があろう。それを話せ」
日頃は皮肉を交えた言動の多いムスヒだが、公式の場ではそのなりを潜める。しかし、それも最低限だ。そのムスヒが社交辞令のような挨拶から会話を始めるのは違和感の塊でしかなかった。
イザキの内心を知っているのか、ムスヒは涼しい顔をして彼の問いに応える。
「小官の作戦は既に完了いたしました。その際、起きた想定外の事態について、第二遠征隊の作戦に大きな影響を及ぼす可能性があると考え、急ぎ馳せ参じた次第です」
「……想定外の事態?」
ムスヒの、既に作戦を遂行済みである、という報告にも驚かされたが、それよりも今後の作戦に影響を及ぼす可能性があるという「想定外の事態」の方にイザキは興味を惹かれた。
「楔を打ち込むと同時に発動する結界です」
「結界?」
「過去の戦での経験から、我々が行う楔の正常化に対抗すべく、『ウツロ』の勢力の神によって仕組まれていたもののようです。
楔が正常に稼働すれば、周辺の神の恩寵が正しく楔に流れ込みます。これと同時に、『ウツロ』の活動源となる光も失われることになるため、『ウツロ』の無力化が成るはずでした。結界はこの影響を一時的に楔のある建物の中にのみ抑え込むことが出来るようです。
結界は時間と共にその効力を弱め、最終的には楔は正しく力を発揮することになるのですが、それまでの間、『ウツロ』は勢力を保ち続けるため、我々は戦闘を継続せざるを得ません。
今後作戦を立案する上で、事前にこの事実を知るか知らないかでは大きく差があると考え、急ぎ駆けつけた次第です」
「貴様の遠征先で同様の事態が起きた、と言ったな。そちらはどうした」
ムスヒが語る事が真実であるならば、ムスヒの遠征先においても結界は発動したはずだった。その上でこの場にいるということは、『ウツロ』の群れをただ一人で殲滅したか、全く別の方法を使って遠征地から逃れたか、となる。
「私は『ウツロ』に気取られることなく作戦を遂行可能でした」
そこまで語ると、ムスヒは今一歩イザキの近くに詰め、その分声を潜めた。
「これは私も知らなかったことですが、楔を打ち込むことで、神の御力がより強くなり、楔を転移陣のように使用できるようになるらしく、遠征地からはその御力を使ってこの地まで」
「……なるほど、作戦遂行後にすぐこの場に駆けつけることが出来たのもそのためか」
「現在、諸事情で魔術が十全に使えず、失礼しました」
ムスヒは再びイザキと距離を離した後、頭を下げてそう告げた。
ムスヒは神の力を借りることで『ウツロ』から姿を隠すことが出来るという。だがその代償として、ほとんど魔術を扱えなくなるとイザキは聞いている。
その仕組みの詳細はムスヒも理解できず簡単にしか話せないと前置きした上で、
『神の力を借りて揮う力「神術」と、魔力を用いて揮う力「魔術」は、魔術回路の基盤が異なるため、同時に利用出来ない』
と語っていた。
また、神の力は魔力と違い、世界に満ちているものではないことから、行使可能な量も限定的であり非常に使いどころが難しいという。
その状況で、遠征地に単独で乗り込ませる上層部も上層部だったが、その上でこれまでも潜入作戦を完遂し、今回は楔の発動も成し遂げたというのだから、その功績と実力は確かであり、それだけにムスヒの言葉は特別な重みを持っているのだった。
「まだそれほどの『ウツロ』が出てくると思うか」
「遠征前にこの地にも潜入しておりましたが、我らの十数倍を超える数の『ウツロ』と、その更に百倍を超える精霊が。
精霊についてはさほど気にするものではないと考えておりましたが、先の戦闘を見る限り、あれらも我らに干渉する手段を持ち得る様子。それを考えれば、精霊も全て敵として見做すべきでしょう」
この遠征地にいる『ウツロ』の数だけでも、彼ら望星隊全てを合わせた数を超え、精霊の数はその更に百倍となれば、それは絶望的な戦力差だった。
それでも『ウツロ』だけならば十分戦えるだけの実力はあるというのが、先の戦闘を踏まえた上でのイザキの見立てではあったが、精霊は確かに厄介な存在だ。一体一体の力は大したことはなくとも、数はそれだけで力だった。
魔力の自然回復が見込めない遠征地においては、長期戦になるというだけでも彼らにとっては致命的なのだ。
イザキが思案に耽る表情を見つめながら、ムスヒもまた今の状況を苦々しく感じていた。
この地を巡ったムスヒだからこそ、成り行きに任せていれば、楔を目前に多量の敵とぶつかることは分かっていた。だからこそ、この状況を打破するために事前に様々な手を打ってきたはずだったのだ。
それがどこかで狂っていた。
『アストリア』でも活動する必要があったムスヒは、この地である程度の策の道筋を引き終えた後、次の策の準備のために望星隊の本拠地『キト』に帰還し、その後『アストリア』に向かった。
自分以外の誰かに策の行く先を委ねなければならない以上、全ての策の確実な遂行など望めない。だからこそ、この地で仕組んだ策は、多少想定外が起き、いくつかの策が実を結ばなかったとしても、ここで迎え撃つことになる『ウツロ』の数はこの都に元々存在する『ウツロ』だけになるように手を打ってきたはずだった。
もしも全てが上手くはまれば、戦闘すら起きない、そんな可能性もあった。
だが、始まってみれば彼の想定していない群れが都の外に現れ、遠征隊と戦闘を行っていた。幸いその数は合わせて一万にも満たず、戦意もそこまでではなかったのか、ある程度の被害を受けた段階で引いたため、遠征隊が目立った被害を被る事はなかった。
しかし問題はそこではなかった。本来この場にいないはずの群れがいる、それが問題なのだ。
もしも全ての策が何者かによって崩されていたとするなら、ムスヒの採った策はむしろ自分たちを窮地に追い込むことになり、結果、この地にいるほとんどの『ウツロ』を相手取ることになることが予想された。
――そうなれば、『ウツロ』の数は十数倍では済まない
『ウツロ』の数だけで百倍を超え、精霊はやはりその百倍、百万の軍を僅か百二十で相手取らなければならない。
いくら望星隊の能力が『ウツロ』の個体の能力を大きく上回っていようとも、全滅は必至だった。
救いがあるとするならば、まだその最悪の状況に至っていないということだろうか。
都の中の動きもなければ、そこから漏れ聞こえる声もない。
もし既に都の中が『ウツロ』と精霊で埋め尽くされているなら、数キロを離れた距離と言えども地鳴りのように響く音が聞えてくるだろう。
そう考えるなら、都の中の『ウツロ』の数は当初見立て通り。あとは時間との勝負だった。
「……イザ」
「転移陣は貴様の力で何人まで運べる」
ムスヒの言葉を遮るように告げられたイザキの言葉は、まさにムスヒが進言しようとした内容に関する問いかけだった。
「本来の転移陣とは異なるため、一度であれば、二十が限界です。「神の御言葉」を信じるなら、ですが」
「転移間隔は?」
「飛ばすだけなら左程は。ただ、神力が持ちません。出来て二回。合わせて四十」
「一小隊分か。十分だ。ナキサ、全隊長に通達。これより旧跡内の楔に向けて全軍で突入する。作戦は当初から若干変更を加える。
第二小隊は楔を最優先目標とし、他の一切に関わるな。
第一小隊は『ウツロ』発見後、これを牽制、撃退。
第三小隊は第二小隊の護衛。楔の発動まで第二小隊に向かう全ての敵を防げ。
楔発動後は第一小隊と第三小隊は旧跡に突入した東門から転移陣に向けて撤退。
第二小隊はその場に残り、別の手段で現地から離脱する。そちらの詳細は同行するムスヒより現地で説明を受けろ。
ムスヒ、楔の発動は一見して分かるものか?」
「楔は神の恩寵の光を取り込み、魔力を生んでいますが、楔が発動すれば結界によってその流れが止まります」
「楔に流れる光が止まった時だな」
イザキの言葉にムスヒが頷くのを見て、イザキはナキサに視線を移す。ナキサはそれだけでイザキの意図を汲み取ると、すぐさま十数の風の精を呼び出し、イザキの言葉を復唱して、一斉に放った。その姿を見ながら、ムスヒはイザキに問う。
「良いのですか?」
想定される『ウツロ』の数が襲いかかってくるとするなら、生き残るには全部隊を足しても怪しいところだ。それなのに第2小隊は先に還すという。
元より、ムスヒはそれを進言するつもりではあったが、イザキから言い出されたとなると、現実が分かっているのか、と問いたくなった。残った部隊はかなりの確率で生き残れない。つまり、イザキもかなりの確率で生き残れないのだ。
「大軍を抜くだけならば、数は少ないほうが良い。俺の槍の威力を知らんのか」
そう言って笑ったイザキの言葉は、期待した回答からかけ離れていたが、そこに込められた意志は十二分に伝わった。
ムスヒは、らしくない、と思いながらも、無言で踵を揃え、左胸に右手を当てた。それ以外、返す何かを思いつくことが出来なかった。
作戦の内容に若干の変更が加わったものの、陣列の変更がなかったことから、遠征軍はすぐに進軍を再開した。
地平線上に浮かぶ小さな線に見えた旧跡の壁は一時間も経たない内に巨大な壁に姿を変え、その壁の上ではまばらに神の恩寵の精霊と思われる光が激しく揺れ動いていた。
壁のどこかに階段が備え付けられているのか、そこから次々と神の恩寵の精霊が現れるのが見える。
――僕たちの接近が予見されていたわけではないのか?
壁の上の様子を見たムスヒがそう考えている内に、遠征隊から次々と風の矢が放たれ、壁の上の精霊が射抜かれていく。
しかし、矢を放ちながらも駆け抜ける速度を落とすこともなかった。
ゆっくりと閉じ始める門の扉に向けては、次々と火の矢が放たれていく。
――出来るか?
ムスヒは意識を自身の内側に落として尋ねてみる。だが、期待した答えは返ってこなかった。
――『お前が認知出来ないものに力は行使できない』
ある意味期待通りの答えに、神も存外使えない、と内に潜むものに罵りながら、ムスヒは一人駆ける速度を上げた。
――こういうのはヒノが得意なんだけどね。
自らの足裏を風の術で跳ね飛ばすことで一気に跳躍すると、そのまま門の内側まで飛び込み、門を閉めようとする精霊の光を風の刃で切り裂く。
一度閉められてしまえば、火の矢で門を炎上させるためにはかなりの時間を要する。時間を要すれば別の場所から援軍が駆けつけて囲まれる危険性が高まる。
軍が集まる前に全てを決する必要がある以上、ここで門を閉めさせるわけにはいかなかった。
ムスヒの動きに第一小隊長ヤマチが続き、もう一方の門の側にいた精霊を槍で貫くと更に続いてきた第1小隊の部隊が門の周辺の精霊たちを次々と打ち倒していった。
門から都の中心部を通り西門まで続く大通りの先には、幾ばくかの『ウツロ』と精霊の群れと思しき光が見えていた。
「ヤマチ、露払いよろしく」
「気安く命令すんじゃねえよ」
ヤマチに向かって前方の光を指し示すと、ヤマチは右腕の力こぶを左手で思いきり叩き、抗議の意を示したが、実際の所それが彼の役目でもあるため、それ以上の事は言わず、隊員たちを連れてそのまま先を駆け抜けていく。
第二小隊を楔まで先導する役目があるムスヒは、門に向かおうとする精霊達を排除しながら、ここで後続を待つことにした。
いつの間にか、空には、蒼と白と黒の斑の波食べつくすように無数の羊雲たちが飛び跳ねていた。




